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自殺未遂を定期的にやってわかったこと。たぶん希死念慮は個性ではない。

私は重度のうつ病になってから定期的に自殺未遂をしている。頻度はだいたい月に一回。手段は飛び降り、酒の過剰摂取、首吊りなど様々だ。
実は私は10代の頃から自殺未遂をしている。
やり方がわからなかったので、包丁で自分のお腹を刺そうと思ったこともあるくらいだ。
私にとって希死念慮はそんなに珍しいものではなかった。
人は誰でも悩めば自殺未遂くらいするもんだと思っていた。
ところが病院に通い始めて、大方の人は悩む=自殺ではないことを知った。
これにはほんとに驚いた。
思わず「え?」と言ってしまったほどだ。
改めて書くが、多くの人は辛いことがあっても本気で死にたいとは思わないそうである。
医者からは「あなた、うつに慣れすぎてるわね」と言われた。
そうなのかと思った。
私の場合は、自分がうつ病になってから病院のお世話になるまでに時間がかかったから、うつ病との付き合いが長いのである。

さて、そんな自殺とは無縁の人が世の中には多いということなので、ここに希死念慮を抱く人の気持ちを書いてみる。
もちろん、これは私のことなので、希死念慮を抱いている人全てに当てはまるわけではない。
私にとって希死念慮とは自分でコントロールできない願望なのだ。
ある日突然、自分が死にたいと強く願ってしまう。
感覚としては首に紐の感触が浮かび上がるような感覚だ。その感触を埋めてあげるために実際に首に紐をかけてあげるそんな感じだ。
頭では自殺は迷惑をかけるとか色々知っているので、理性で自殺をしないようにするのだが、本能の部分で死にたいと感じてしまう。
死にたいのに死ねない。だから、苦しくて余計死にたくなる。
馴染みのない人には意味不明かもしれないが、性欲と同じようなものだと思ってもらえればいい。

この希死念慮ともうずーーーっと付き合ってきて、現在通院をしていて思ったことなのだが、この希死念慮というやつ、どうやら個性ではなく病気なのだと思う。
私にとって希死念慮はずっと個性だった。
ところが、この希死念慮にはある一定のパターンがある。そのパターンは他の希死念慮を抱いている人と同じなのだ。いわば、症状を比較してみたら類似点が多いことと一緒。
そうなると、もうこれは私の個性ではないなと思い始めた。
だから、これも馴染みのない人には不思議なことかもしれないが、私は希死念慮をずっと個性だと思っていたので、治療をして希死念慮がなくなることが怖かったのだ。
今では希死念慮を抱くことは病気の症状の一種だと思っているし、希死念慮を抱くことはキツイと思っているのでできれば希死念慮を抱かない人生を歩みたいと思っている。

ただ、忘れてはならないのは希死念慮を抱く自分には個性があるというわけで、それを否定してしまってはいけないということだ。
ここがとても難しい。
結局自分とはなんなのかを考えないといけないし、希死念慮さんとはまだ長い間付き合っていかないといけないのだ。

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