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❓❕【哲探進歩/てったんしんぽ】❕❓…9歩目(優先すべきは結果か過程かそれが悩みどころ)

🐾9歩目(優先すべきは結果か過程かそれが悩みどころ)🐾
(「散歩」で気づきを得て、「探究+哲学」で考察を重ね、「進路」で学問・仕事と結びつける)

「散歩…気づきの土台・地面」
いつものサンマルクにて。
今日は贅沢にアイスコーヒーと一緒に、「チョコクロ」と「エビ&タマゴのグラタン風パン」を注文した。「エビ&タマゴのグラタン風パン」は最近売り出されたメニューである。

完全に個人の感想だが、「チョコクロ」は生地のパリパリ感と甘味が魅力である。そして「エビ&タマゴのグラタン風パン」はしっとりとした生地と塩味・酸味が魅力である。

「探究<課題の設定>…気づきの芽」
対照的な二つの商品を購入したことにより、私は難しい選択に迫られることになった。
「どちらを先に食べるべきか(❓)」、それは裏返すと「後味はどちらであることを望むか(❓)」という選択でもあった。

「探究<情報の収集>…気づきへの無機養分」
この選択は表面的には、甘味で終わるか、塩味・酸味で終わるかという「味覚」の問題に思えるが、もう一つの問題が関わっているのである。

それが「伝統重視か斬新重視か」である。この伝統か斬新かというテーマは、古来より議論されてきたものである。しかし、伝統を何か固定的なものと捉えて、そこに一定の価値を見出すのは、既に伝統重視から出発しているからと言える。

古代ローマの第4代皇帝であるクラウディウスは、「われわれが古来からの伝統と思いこんでいる事柄とて、それが成された当初はすべてが新しかったのだ。」という言葉によって、伝統というものが決して固定的で不変の価値を持っているものではないことを示している。人間の営みは、地球の歴史の或る時点から始まったわけであり、現在では伝統と看做されているものの全てがクラウディウスの言葉の通り、或る時点で発生し、その時は新しいものだったはずである。

だから、チョコクロを伝統の旗手とし、エビ&タマゴのグラタン風パンを斬新の旗手として、両者を戦わせることは、時間軸の或る一点を切り取ったときに成り立つ話に過ぎないので、それは不毛な議論に思えてきた。

この伝統と斬新について考えているうちに、他の問題の存在も頭をよぎった。それは、楽しみをリードオフマンとして先取りするか、それとも楽しみをメインとして後に回すかという問題である。この問題は、お弁当のおかずにおいて、より顕在化すると思われる。お弁当ではないが、ラーメンの具についても、私は同様の問題に悩まされてきた。

ラーメンの麺の上で躍る魅力的な具の数々。最近、私はそれら全てを先に食べてしまう。なぜかというと、様々な具と麺とスープのローテーションとか順番とかに関わる煩わしさが嫌なのである。だから、先に食べてしまって、シンプルなラーメンに専念するのが、精神的な負担がないと考えて、最近はそうしているのである。

「探究<整理・分析>…気づきの剪定」
だが、これらの問題で頭を悩ましているのは、そもそも私が「過程」を前提にしているからではないか。あれこれ考えているうちに、根本的な部分に気づかされた。

どちらを先に食べるか、どちらを重要視するか、どちらの印象を最後に強く残すかといった悩みは、全て、「過程」にこだわっているから生じるものである。チョコクロも、エビ&タマゴのグラタン風パンも、両方とも最終的には腹に入るわけであり、また両方とも私の身体を構成する物質として吸収されることになる。そう考えると、どちらが先か後かというのはあまり意味をなさないと言えそうである。

「水35リットル、炭素20キログラム、アンモニア4リットル、石灰1.5キログラム、リン800グラム、塩分250グラム、硝石100グラム、硫黄80グラム、フッ素7.5グラム、鉄5グラム、ケイ素3グラム、その他少量の15の元素。標準的な大人ひとり分として計算した場合の、人体の構成物質なんだ。今の科学ではここまで分かっているのに、実際に人体錬成して成功した例は報告されていな い。足りない物がなんなのか、科学者は何百年も研究を続けている。ただ祈って待ち続けるより、有意義なんじゃないかな。ちなみにこの成分材料は市場へ行けば子供の小遣いでも全部買えちまうぞ。人間てのはお安く出来てんな」

これは漫画『鋼の錬金術師』の最初の方で出てくるセリフである。人間というものは、物の値段からすれば大して高いものではないというニュアンスで、これは人間を「単なる物質の集まりと捉えた『結果』重視の主張」と考えられる。

ただセリフの中でも、構成物質は分かっているのに、それを組み合わせても、上手くいかないと述べられているので、結果重視だけでは人間を語り切ることができない点は残されているように表現されている。ここまでの考察をヴェン図にまとめてみると、人間が持つ過程と結果それぞれの要素が見えてくる。

「哲学…気づきへの水」
そして、この語り切れない点には「『過程』としての人間存在の価値」が隠されていると私は思う。オーストリアの哲学者であるウィトゲンシュタインは、「論理学においては、過程と結果は等値である」と述べているが、これは人間存在についても同様といえる。

「探究<まとめ・表現>…気づきの花」
人間存在の過程と結果について考えると、「『結果』としての人間存在の価値」は鋼の錬金術師のセリフに表れているような「物質としての人間」と考えることができる。これに対して、「『過程』としての人間存在の価値」は「精神としての人間」と考えることができる。つまり過程と結果は、長らく哲学の世界で議論されてきた「人間とは精神的な存在か、物質的な存在か」というテーマと結びついていることなる。それゆえ、両者は単に等値として天秤の左右に釣られて均衡を保つレベルでは終わらないと考える。人間存在の過程と結果、換言すれば精神と物質は、「一心同体」なのである。

人間存在という壮大な話になってしまったが、一旦、私の目の前にある二つの選択肢とどう関わるかという現実に差し迫っている問題について考えることにする。目の前の「チョコクロ」と「エビ&タマゴのグラタン風パン」について、過程と結果のどちらを重視するかというと、これも一心同体ということにしたい。一気に食べてしまえば、過程と結果の区別がなくなり、最後にアイスコーヒーを流し込んで、両者を調停してもらえば丸く収まるはずである。

私はそれを実行した。

「進路…気づきの果実」
今回の考察によって、過程か結果かというテーマは古来より、様々な事象と結びつき、形を変えながら議論されてきていることが明らかになった。ここから、学問の一例として「時間栄養学、哲学、心理学」など、仕事の一例として「食育アドバイザー、作家、カウンセラー」などが連想される。

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