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❖偶然は宝物、記憶も宝物、しかしポジティブなままとは限らない❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年1月20日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆偶然は宝物、記憶も宝物、しかしポジティブなままとは限らない◆
散歩は偶然の宝物に出会える素敵な時間である。昨日は新しさと懐かしさが混ざり合った不思議な宝物と出会った。

普段は単なる風景の一部であることが多い自動販売機だが、その一つに目が止まった。綺麗に並べてられた飲み物の中で、異彩を放つ飲み物があった。

手書きで「缶コーヒー各種」と書いてあった。そして他の商品が100円以上なのに、この商品だけが50円だった。しかも「各種」であるから、何が出てくるか分からないわけである。ガチャガチャならば、良いもの(レア)を期待して、ドキドキしながらハンドルを回したり、レバーを引いたりするだろう。

しかしこれは缶コーヒーである。普通、ブラックか微糖かビターかなど、その人のこだわりまたはその日の気分で、狙いを定めた選択をするところ、この自動販売機ではその選択はできず運試しのようになっている。

この自動販売機との出会いは初めてにも関わらず、私はどこかで懐かしさを感じていた。私は中学時代、同じように何が出てくるか分からない自動販売機に出会ったことがある。中学校から家に帰る途中、帯広三条という高校の近くにあった駄菓子屋横の自動販売機に「ミステリージュース」と書かれた商品が売っていたのである。今回の「缶コーヒー各種」と同様に、他の商品よりも安かったと記憶している。

私はこの「ミステリージュース」を何度か買ったことがあった。その中で今でもはっきりと覚えているのは、「炭酸入りのコーヒー」である。最初手にとったときは、ハズレだと思ったが、飲んでみると意外にも美味しかった。

そして、また飲みたいという気持ちになり、その後も何度か「ミステリージュース」を選択した。だが、残念ながらあの炭酸入りコーヒーに出会うことはなかった。

そんなほろ苦い思い出に浸りながら、「缶コーヒー各種」のボタンを押した。出てきたのは、普通のコーヒーだった。普通のコーヒーの価格からすると、その半額なので、得をしたはずなのに、全く得をした気分にはなれなかった。

コーヒーという商品一般を手に入れるための支出は少なくて済んだので、経済的な観点では得をしているのは間違いがない。また通常のコーヒーよりも質が劣悪だから半額ということでもなかった。

単に自由度がなく何が出てくるか分からないだけを考えれば、それはネガティブな要素であり、半額であることは経済的な観点での説明がつく。しかし私にとって、この自由度のなさは、決してネガティブな要素ではなく、かつての「ミステリージュース」の思い出のおかげで、ワクワクとしたポジティブな要素だった。そして、かつての炭酸入りコーヒーのような意外性のあるコーヒーが出てくるのではと、勝手に期待値が高まってしまっていた。

半額によって生じる経済的プラスは、自由度のなさという精神的マイナスによって既に相殺されていたのだろう。だが、懐かしい記憶に導かれて高まっていた期待値は、実際に出てきた商品が普通であったことで、ギャップとなり、その分がそのまま精神的マイナスとなった。

その結果、出てきたコーヒーを手にした私の心の中は、マイナスとなったわけである。しかも心の中のマイナスは、かつて出会い、しかし二度と会えなかった炭酸入りコーヒーに対する寂しさというマイナスも上乗せされていたと思う。

そのせいだろうか。コーヒーはとても苦く感じた。

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