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❖「ノベル」な書き出し「述べる」だけ(第21話)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2023年7月24日)

(小説っぽい書き出しで表現してみるシリーズ)

<探究対象…文化、錯覚、イデア論、心理、表現活動>

昔も今も、先進国も途上国も、様々な人為に関わる条件を抜きにして、美しい形というものがあることに気づかされる。

その代表例が「円」であろう。中心点から等しい距離に位置する点の軌跡。淀みのない曲線の美しさ。

しかしプラトンが述べているように、私たちが生きている現実の世界では、円にしても、三角形にしても、美にしても、正義にしても、永遠不変で完全なる姿と触れ合うことは難しい。おそらく難しいではなく、不可能である。

それでも私たちが、円や三角形や美や正義の本来の姿とその見事さを感じることができるのは、私たちの魂がかつては完全なる世界に住んでいたからだと、プラトンは述べている。

円や三角形については、プラトンの理屈を借りずに科学的に捉えた場合、主観的輪郭とタイポグリセミア現象を組み合わせた話で説明できそうである。主観的輪郭というのは、図形のある部分で色がなくなり輪郭が途絶えたとしても、それまでの輪郭の傾向などを材料にして、そこに輪郭があると知覚するもので、錯視の一種である。次にタイポグリセミア現象というのは、人間が文章などを認識するとき、一文字一文字を独立させて捉えているわけではなく、文字が多少入れ替わったとしても脳内でそれを補正しているため、正しい形で認識できてしまえるという現象である。

この2つの仕組みによって、現実の世界において目の前にある図形や事象が多少歪であったとしても、私たちはそれを正しい形として認識できるのである。

私たちが小学校を訪れ、2階にある校長先生の部屋に通されたとき、授業中だったからだろう。子どもたちと遭遇することはなかった。しばらく校長先生と話をしたあと、部屋を出たときちょうど休み時間になったようだ。

部屋を出て少し歩くと、グラウンドを見渡すことができた。グラウンドには既に数名の生徒がいる。そのうち、子どもたちの数はどんどん増えていった。そうして子どもたちは手を繋ぎ始め、グラウンドには連続性を持った大きな図形が形成された。

所々、出っ張ったり引っ込んだりと歪ではあるが、私の脳内でそれは補正され、きれいな輪郭として認識されていた。

そうしてグラウンドに作られた見事で美しい正円を私は見ていた。円の内部には、中心点が仲良く3つ隣り合っていた。二つは大きな女の子。もう一つは小さな女の子である。普通、円の内部に中心点らしきものが複数あったならば、楕円のようになってしまいそうである。

その場合は、焦点と呼ばれるものになるはずだが、ここでも私の補正機能が働く。3つの点は3つであって3つではない。寄り添いあって、1つになっていた。

しばらくすると、大きな円がグルグルと回り始めた。円を構成する子どもたちが大きな声で歌いながら回っている。歌が終わると同時に円の動きも止まる。すると続けて、仲良しの中心点がその場でクルクルと回り始めた。片手を前方に出して、人差し指を伸ばしている。もう片方の手は自分の目を覆っている。こちらの動きもしばらくして止まった。

そして中心点の小さい女の子が指を向けた先にいる男の子が動き出し、中心点と交代する。大きな女の子二人についても同じように交代する。私はこの遊びを知らないが、観察して得られた断片的情報を元にして、やはりここにおいても足りない部分を補って、正しい認識がかたちづくられていた。

子どもたちは休み時間中、繰り返しその遊びによって盛り上がっていた。無邪気な笑い声は遊びに参加していない私にも楽しさを届けてくれて、昨日から続いている重々しい気持ちにはありがたい癒しに。

そのうちに円は粉々になった。どうやら休み時間が終わったようである。その中でも一際、急いでグラウンドを後にする子どもが一人。昨日の女の子である。その子は急いで2階に上がってきて、この後、自分たちの教室に来てほしいと伝え、教室の方へ走っていく。

先ほどまでの癒しはどこへやら。昨日の感覚が全身を覆っていく。

前回を受けての書き出し部分が【課題の設定】
そのあとの部分が【まとめ・表現】
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【本日はここまで、以下は補足、蛇足?】

昨日NGOのスタッフが提案した通り、この日は作業場の隣にある小学校を訪れました。地元の公立小学校のようです。訪れたときは授業中でしたが、校長先生とお話した後に部屋を出ると、休み時間になっていました。グラウンドにたくさんの子どもが集まり、輪になって遊んでいました。大きな子も小さな子も皆一緒になって遊んでいる姿が印象的でした。【情報の収集】

古代ギリシアの哲学者であるプラトンは、永遠不変である真の実在を「イデア」と呼び、それは現実の世界に生きる人間の感覚では捉えられないと考えました。しかし、私たちは現実の世界で接する事物の中にイデアの断片のようなものを見いだし、それをきっかけにイデア界にある完全なるものを思い出すとプラトンは考えました。この想起はアナムネーシスと呼ばれます。【整理・分析】

グラウンドの子どもたちが作る円は正円ではなく所々歪ではありますが、とても美しい姿をしていました。それは本文で述べたような「主観的輪郭」や「タイポグリセミア現象」などの科学的な要素だけでそう感じたわけではないと思います。その円には元気に楽しく遊ぶ彼らの雰囲気が宿っていたわけで、もしかするとそれが最も大切な要素だったのではないでしょうか。【整理・分析】

そして休み時間が終わるとき、昨日の女の子が私たちの所へ走ってきて、自分たちの教室に来るように熱心な勧誘を受けました。校長先生と話し、グラウンドの子どもたちの様子も見れたので、うまくいけばこれで見学は終わりになるかもと思っていたのですが、女の子の勧誘によって、私の甘い期待は崩れ去ったのでした。【整理・分析】

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