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まいに知あらび基おもいつ記

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毎日、粗びきな、思いつきをスマホにメモし、それを紹介しています。長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を。
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2021年10月の記事一覧

❖楽しさのエスカレートは危険と重なる❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月31日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) 孔丘が知り合いならば次のようにアドバイスしてくれただろう。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」だぞと。10月に入ると、様々な場所が橙色を中心に、暖色で彩られる。コントラストとして黒も用いられる。時折、白も使われる。橙色の象徴となるキャラクターは、カボチャの顔をしている。もともとは白いカブだったらしいが、現在はカボチャで定着している。代わりに白色の象徴となるキャラクターは、オバケだろう。それから黒色を象徴

❖離れてこそ分かる価値❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月30日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) 物事を説明するために、物・人と空気との間、物・人と物・人との間に、本来ないはずの輪郭を、絵画で何かを描くかのように、定義という名の境界線として引く。単純に知覚できるものだけではない、雰囲気や状況が別のものとどう異なっているのか、概念同士の区分も、とにかくあらゆるものは、線引きによって、それが何であるかが決まってくる。そうして意味やら意義やらが確定する。それがdefine。語源としては、deが「完全

❖ワークシート職人たれ❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月29日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) 自分は自作のワークシートを絵画のように捉えてしまっている。だから自分の感覚から素直に出てきた形が、正解であって、その形を変更する提案は、自分の感覚の否定に思えてしまい、抵抗感がある。そのワークシートを自分だけで、または自分が解釈をすぐに加えられる範囲で、使うにとどまるならばそれでも良いが、一つの商品とする場合にはダメである。言い回しにしても、例示にしても、展開の意図にしても、自分と感覚を同じくする

❖朝のささやかな楽しみ❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月28日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) データの量はたかが知れているから、印象みたいなものだが、ネクタイやネクタイピンの変化にいち早く気づくのは女子生徒の方が多い。あくまでステレオタイプの性別の二分法によって展開してしまっているので、性の多様性に基づいたLGBTQのような詳細な区分による分析・考察ではないことから、分析・考察としての価値は無いに等しいことを承知で綴ることもご容赦いただきたい。今日は自分が担当する授業クラスが全てあったし、

❖正義のバーゲンセール❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月27日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) 芥川さんが言っていた。「正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理窟をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。」自戒の念もある。自分にも当てはまり、耳が痛いのは事実。強引なディベート気質は、黒を白との境界線まで引っ張り、あたかも最初から白であったかのようにしてしまう。事実が誤った情報のように扱われ、誤った情報こそが事実のような顔をして堂

❖民主主義の火が消えないように❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月26日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) 最近、民主主義とか民意とかいうものの力や意義を説明しにくく感じる。教科書には民主主義や民意の大切さが書かれているが、現実の世界で、それを大切にした動きがどれくらいあるだろうか。世論が加熱や暴走しやすい面があるのは確かだが、だから世論に目を向けないというのは違うだろう。世論として示されている割合が正しく実態を表しているわけではないのも事実だが、だから世論に配慮しないというのは違うだろう。それほどに民

❖海外生活はそれ自体が財産❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月25日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) ネットの普及だろうか。選挙運動期間が短いからだろうか。もう投開票日まで1週間を切っているのに、街中を歩いていても、マニフェストやら政策パンフレットやらを受け取る機会がほとんどない。以前なら、簡単に集められた記憶がある。やはりメインはネットに移行しているのだろうか。アナログの冊子を印刷するコストより、ネットの方が安く済みそうだし、頒布力もネットが優位か。しかしアナログで直接受け取るならば、内容を見る

❖世の中に溢れる二項対立❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月24日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) 英語は主体と客体の区別が明確だ。感想など個々では定性的情報も、集まると傾向分析が可能な定量的情報に変わる。感想を現に書いている生身の状態。英語は得意じゃないが、多分、現在分詞が関わる状態がここに該当するだろう。だからbe動詞と現在分詞が組み合わさり、進んでいる様子で能動の様子を表現するのも頷ける。すなわち進行形。その時点では現に生きている自分と強く結びついた主観であり、動的で定性で質的な状態すなわ

❖うわべの法教育にならぬように❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月23日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) ルールの全てが自分たちで作るべきもので、与えられるべきではないというのは、法教育の観点では不十分では?自分たちに、即時的には不都合なルールをあえて設定し、自分たちを矯正するような意識で子どもたちはルールを作れるだろうか。ルールは、個々を集めた世界のバランスが取れるように設定されるもの。自然界のルールは、重力とか気圧とか温度とか、疑いようのない明白な条件がきっちり決まっているところから、演繹的に広が

❖脳内を徘徊する死語❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月22日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) ジェネレーションギャップを感じる出来事があった。生徒と会話するときは、ギャップは当たり前にあると理解しているので、特に気にかけないが、別の仕事で二十代の人と話をしていてギャップに気づいた。話題は、授業内容のレベルと受け取る生徒のレベルの関係のようなものだった。自分としては、レベルの高い状態をやや滑稽なニュアンスでオブラートに包む婉曲的表現のつもりで「ハイソ」という言葉を使った。それまでテンポよく続

❖ルーティンは知里にも知理にもなる❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月21日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) 形に残すルーティンは、あとで材料として大きな武器になる。創作に対して一気に取り掛かる熱量や集中力に欠ける私は、大規模な表現が苦手だ。しかし今まさに実行しているルーティンの形で、少しずつでもコツコツと、表現を形に残しておくと、積み重なった素材は後々、それらを組み合わせたり、それらを発展させたりして、豊かな表現を可能にする。以前はアナログのメモ帳に、思いつくままに走り書きしていた。それはそれで自然で純

❖えぐった心に宿る魂❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月20日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) 本気や本音のワンピースをはめないままの、カッコつけた、後ろ足重心の守りの表現だから、刺さらない、響かない。重心を前に置くということは退路を断つような覚悟。前に進むことに特化した動作。そこから退こうとしてもワンテンポ遅れるので、攻めに特化した動作。退路を断った分、覚悟や真剣さが宿るので、その思いは伝わるのだろう。これは表現の世界だけではない。卓球もそうだった。卓球の場合はもちろん思いではないが、重心

❖脳内音楽祭❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月19日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) 散歩中の脳内音楽祭。夜のルーティンの散歩。外灯は所々にあるけれど、太陽の明るさがない分、余計な周囲の様子は飛び込んでこない。だから考え事に集中できる。頭の中で、あれこれグルグル思考を巡らせる。良いアイデア、なかなかの着地点が見つかると、忘れてしまわないようにスマホのメモへ。貴重な思考の液体をそのまま保持したいのだが、頭はまるで粗雑な土器の如く、その大切な液体を外へと染み出させてどこかへ失わせてしま

❖カタブツだが優しい法、陽気だがドライな政治❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月18日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) 法律は、法という原理・装置に従いある意味自動で結論を導かれる。政治は、人の意思で利害調整して結論が導かれる。ただし、法による結論は、法的判断で、真に自動的で機械的ということではなく、合理的なものである。だから、理性を辿っていけば正しいゴールの平原に出ることができるというのが一般的な理解。これに対して政治による結論は、政治決断で、議論が分かれ、それぞれの立場や視座における正義があり、単純に決着をつけ