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❖ワークシート職人たれ❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月29日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

自分は自作のワークシートを絵画のように捉えてしまっている。だから自分の感覚から素直に出てきた形が、正解であって、その形を変更する提案は、自分の感覚の否定に思えてしまい、抵抗感がある。そのワークシートを自分だけで、または自分が解釈をすぐに加えられる範囲で、使うにとどまるならばそれでも良いが、一つの商品とする場合にはダメである。言い回しにしても、例示にしても、展開の意図にしても、自分と感覚を同じくする他者よりも、そうでない人の方が多いと考え、体裁だけでなく素材も含めてあらゆる面の推敲、検討、見直し、修正などは当たり前である。絵画ならば、感覚が合う人が買ったり鑑賞したりすればよく、合わない人は縁がなかった、仕方がないで済むかもしれない。しかしワークシートは、感覚の相性で済まされない。極力、万人に理解してもらえる体裁や素材で構成しなければならない。それを商品として提供するならば尚更というか、不可避、当たり前になる。まあ、合わない人は購入しなくても構わないという強気の売り方なら別だが、そういうわけではなく、広く受け入れてもらえる商品としてのワークシートであることを望んでいる。だから、体裁にしても、素材にしても、自分の感覚だけではダメである。感覚も主観も大切だが、他者視点、客観性を意識する必要がある。ここ数年、ワークシートを商品化する機会に恵まれていて、とてもありがたいことなのだが、私の大甘な勘違いが時折顔を出す。ワークシート作成は確かに一つの表現活動である。作り手の私は曲がりなりにも表現者ではある。だが稚拙なアーティスト気取りである状態が、感覚による表現を唯一解と捉えることに繋がっている。自分の感覚に直結した表現物がそのまま世間で受け入れられるような、天才的表現者ならばそれでよい。絵画ならば感覚や感性を大切にした表現の受け入れの余地が大きいが、ワークシートは違う。感覚や感性の共鳴による好き嫌いで終わらず、それを道具として他者が活用できなければならない。他者に訴えかけるのが感覚や感性だけでは不十分。分かってもらうため、文字や理性で説明しなければならない。その説明までも、表現物と一緒に、自然に、可視化できるならば、ワークシートにおける天才的表現者であるといえるだろう。しかし残念ながら、私はその域には達していない。まだまだ説明が必要。自意識だけが膨張し、理解させられないこちらの非ではなくて、理解できない相手の非などと考える傲慢さが噴出してはいないか。自分はワークシート職人という意識でスタートしたはず。いつの間にか、ワークシートアーティストという勘違いに足を踏み入れている。職人は人の生活を便利に快適にする様々な物を作り出す。同じように、ワークシートは人の思考を便利に快適にする道具。芸術品のような派手さはいらない。実直に素朴に、誠実に、常に使う人の気持ちを意識した道具であるべき。作り手の私も同様だ。実直に、素朴に、誠実に。つまりは作り手としての謙虚さから離れてしまわないということ。最近、謙虚さという原点から遠出してしまっていたようだ。

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