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❖正義のバーゲンセール❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月27日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

芥川さんが言っていた。「正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理窟をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。」自戒の念もある。自分にも当てはまり、耳が痛いのは事実。強引なディベート気質は、黒を白との境界線まで引っ張り、あたかも最初から白であったかのようにしてしまう。事実が誤った情報のように扱われ、誤った情報こそが事実のような顔をして堂々と居座る状況を作り出してしまう。私のディベート気質は、あくまで気質にすぎず、ディベートの高いスキルがあるわけではなく、また積み重ねた経験によって洗練された精神があるわけでもなく、単にその仕組みを都合よく使ってしまおうという考えくらいしかない。しかし、そんな自分の独善的な正義の話など足元にも及ばない出来事が最近世の中で溢れ出しているように感じる。お金とか権力とか立場さえあれば、正義の名の下で、色々疑わしいことがまかり通る。黒と思われていたものが白として持て囃されるような雰囲気に変わる。変わるというか、変わったことにしているが正確か。とにかく、まるで潮目が変わるかのように。物事全体の是非を問うことなく、変わったことにした結果を主役に置き換えて、是非を論ずる姿勢には「過ぎたことだから」という引導を渡そうとする。よくよく考えてみると、別に最近になってからの出来事ではないかもしれない。この国の底流にある特徴かもしれない。私もその特徴の中に生まれ育ったから、同罪か。だが、同罪だから仕方がないで終わらせては何も変わらない。「過ぎたこと」「終わったこと」で、目の前の結果に論点を移し、是非とか原理とかを問うことをやめてしまう諦めてしまう忘れてしまう姿勢では、いつまでもリーガルマインドは身に付かないだろう。法治国家を謳うのならば、法治国家の一員になったという自覚があるのならば、腐っても法治国家の端くれであるという誇りがあるのならば、正義について正面から向き合う国であってほしい。そして、自分の襟も改めて正していきたい。

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