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❖脳内を徘徊する死語❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月22日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

ジェネレーションギャップを感じる出来事があった。生徒と会話するときは、ギャップは当たり前にあると理解しているので、特に気にかけないが、別の仕事で二十代の人と話をしていてギャップに気づいた。話題は、授業内容のレベルと受け取る生徒のレベルの関係のようなものだった。自分としては、レベルの高い状態をやや滑稽なニュアンスでオブラートに包む婉曲的表現のつもりで「ハイソ」という言葉を使った。それまでテンポよく続いていた言葉のラリーが一瞬滞った。それは、私の言葉に同意できず考えているとか、内容を組み立ててから話す準備をしているとかというものではなく、微妙で変な間であった。その一瞬が持っている問題点に気づいた私は「インテリ」という言葉で、話を上書きした。そちらはスムーズに伝わったようだった。話し合いが終わってから、「ハイソ」という言葉をネット検索してみた。するとハイソと打ち込んだ時に、「ハイソ 死語」と候補が出てきた。他には、ハイソックスやハイソフトなども出てきた。ハイソサイエティも出てきたが、一番最初ではなかった。「ハイソ 死語」という候補が出てきて、自分が知らず知らずのうちに死語化しつつある言葉を普通に使っていることに驚いた。まあ、ブームのように使わせていた「イタ飯」とか「KY」とか「アウトオブ眼中」なら、死語だなという自覚があったが、「ハイソ」もそうだとは気づいていなかった。そこで、死語一覧なるサイトを見つつ、自分の言葉を思い返してみると、職場で「お茶する」という言葉を時折使っていることにも気づいた。「インテリ」や「オブラート」も死語化しつつあるとのサイトも見かけた。言葉は生き物というが、死んだ言葉を生きているかのように扱えば、それは「キョンシー」の世界である。これも死語か。

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