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寂しい夕暮れが心地よい

高校を卒業後、就職らしい就職もせずにバンド活動に打ち込んでいた。
ブッキングは概ね平日の夜が多くて、名の知れたライブハウスで土日にライブを行うには、ある程度有名にならなければなかった。

卒業後はとりあえず金属加工の工場に勤めてはみたものの、村社会化された排他的で一部の者だけがバカ騒ぎしている空気感が絶望的に身体に合わず、わずか五日で辞めた。
昔から集団行動が苦手で、その中に居ると妙に虫唾が走ったり、目の前の人の頭を発作的に叩き割りたくなったり、全員が質の悪い病原菌のようにも思えてしまう子供だったので、元から日本人社会そのものが合わなかったのだろう。

当時の自分は基本的にお愛想くらいは振る舞えるものの、人付き合いが日々の掃除の五万倍ほど面倒な上、何を考えているか分からないと人に言われても変わる気もなかった。
一体何の仕事なら合うのだろうと血迷って「ヤーコン茶」を取り扱う怪しげな通販会社のポスティングをやってみたり、献血に通って社会貢献しているつもりになったり、レンタルビデオ店の面接では
「なんで応募しようと思ったんですか?」
と問われ、考え抜いた挙句、
「なんでですかね?」
と返して見事に落とされたり、文字通り迷走していたのだ。

未成年で社会経験も乏しく、また何の資格もなかったので働く場所は非常に限られていたのだけれど、たまたま近所の県立施設の警備員を募集している求人を見て面接を受けた所、あっさり受かってしまった。

制服を着込んで本来の自分ではなく、「警備員」というキャラクターに扮してバイトを始めてみると、体力的にはキツイ部分がありつつも、これが案外自分にハマった。
施設の来館者が最も増えるのは夏の期間で、始めはその期間中だけの契約だったのが「家が近いから」という理由で通年世話になることになり、十八から二十三の歳になるおよそ五年間、その施設で警備員として勤めることになった。

学校に通っていた頃は中学二年から遅刻年百回以上、欠席二十回以上というのが常で、行きたければ学校に行くスタンスだったのだけれど、この警備のバイトは休んだことも、また、遅刻したこともなかった。
一緒に働く人は夏場限定で働く陽気な大学生が大半で、あとは定年退職したおっさん達が多くを占めていた。

学生でも定年退職者でもなく、バンドをやりつつもただの「フリーター」として勤務する宙ぶらりんな人間は自分一人だけで、自分と歳の変わらない大学連中が想像すら出来ないサークルだのゼミだのの話しで盛り上がっていると、その傍で帰る場所がない迷子のような気分になってしまうこともあったりした。

夏のピークが過ぎると短期者が一斉に辞めて行くので、勤務者は警備隊長、副隊長と自分、三人での日々が始まる。
段ボール紙で出来ているのかと思うほどペラペラな夏服はやたら金の掛かった軍将校のような厳つい冬服へ変わり、役割も夏と同じ来館者や駐車場の誘導の他、周辺警ら活動なども加わって来る。

基本的に一時間半立ちっぱなしで「見て守る」仕事をして、三十分休憩した後にまた一時間半立って、を繰り返す。
十月までは日中にそこそこ客が来るのだが、十一月になるとほぼ来館者はいなくなる。
車が入って来たと思っても車中で休憩を取る営業マンだったり、県のお偉いさんだったり、客らしい客は一日十組もいればマシな方だった。

そんな期間中、とても好きだった秋の景色がある。夏が過ぎてから、静まり返った施設入口の立哨警備で見る景色だ。
施設のすぐ側には大きな川が流れていて、夕陽が沈んで行くと辺り一帯が水面の反射でオレンジ色に染まる。
それが過ぎると空が濃い紫色に変わり、地平線の辺りだけが仄かにオレンジを残す。
空気が冷えて指先がかじかむくらい寒くなり始めると、何処かの庭先でゴミでも燃やしているのだろう、秋の気配に良く似合う燻した匂いが鼻を掠めて行く。

振り返ると駐車場には一台の車もなく、ぽっかりと広々とした空間に、施設の閉館を告げるややモノラル気味の自動アナウンスが流れ始める。

それを聞く客など当然一人もいないのだが、その時の色や静けさや寂しさが、いつも妙に心地良かった。
暗がりから聞こえて来る川の音、自動音声のアナウンス、徐々に紫に染められる仄かなオレンジ色を眺めている内に、世界から置き去りにされたような感覚もあれば、世界からようやく解放されたような気分にもなれた。

今日が終わるな。
そう思っていると、暗がりの奥で赤灯のついた警棒が揺れる。
「上がりましょう」という、警備隊長の合図だ。
同じく警棒を振って応答し、誰もいない駐車場を突っ切って警備室に戻ると、その日の業務を終える。

いつまでその仕事を続けようか考えていたが、結局警備会社はあまり良くない理由で急遽潰れることになった。
夏の盛りを過ぎた後にやって来る寂しい季節がいつも密かに楽しみで、警棒を振って応答していた頃が懐かしい。
しかし、あの頃と同じ気分で同じ光景を見ることは二度と出来ないのだろうと思えば、残念な気持ちになったりもしている。

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