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【小説】 思い出タクシー 【ショートショート】

 六月十日。その日、五回目となるお母さんの命日を迎えていた。母子家庭で育った私は、大人になるとお母さんのことを疎ましく感じるようになった。お母さんは年齢を重ねるたびに物覚えが悪くなり、そのたびに私を頼った。更年期のせいでやたらと心配性になり、三十を越えても独身のままでいた私の将来をお母さんは異常なほど心配し、離れて暮らす私に日を追うごとに干渉するようになった。
 彼氏はいるの? なんで作らないの? いるなら早く連れて来なさい。孫はいつ見れるの? 〇〇ちゃんは結婚したんだってよ。
 そんなことばかり、言うようになったのだ。

 それがストレスになり、私は連絡を控えるようになった。それでも手紙まで書いて私に送ってくるお母さんに嫌気がさして、距離を置くようになった一年後、お母さんは病に倒れて突然の別れがやって来た。そんな時になってようやく、私の中に後悔の念が生まれた。しかし、遺体を前にしても結局謝ることも出来ず、さよならも言えず、何も伝えられないまま、お母さんと別れてしまった。

 墓参りの為に一人で降り立った駅には当然、誰の迎えもない。私達親子は母と子、二人で駅近くの団地で暮らしていた。お母さんに至っては最期まであの団地を出ることはなかった。今ではすっかり古惚けてボロボロになった元実家の団地を横目で眺めながら、近くのアーケード街へ足を運んでみる。人影はまばらで、年々シャッターが下りる店舗が増えて行く。
 その中に一つだけ、見覚えのないリサイクルショップが出来ていることに気が付いた。新しくオープンしたらしく、高齢化が進むこんな場所をわざわざ選ぶなんて……と思ったけれど、もしかしたら高齢者に漬け込んで物を売る悪い奴かもしれないと思い、中へ入ってみることにした。

 店の中はありとあらゆるガラクタが山のように積まれ、かなり雑然とした印象を受けた。龍の角膜から作ったという怪しげなペンダントの横に、洗濯ネットが五枚百円で売られているような適当さ。これはきっと、営んでいる主人は人を騙せるほど狡猾な人間ではないだろうと考えていると、店の奥から「お姉さん」と声を掛けられた。
 振り返ると奥のレジに野球帽を逆さまに被り、丸い眼鏡をしたヒゲの男性が立っていた。愛想良く、私に向かって微笑んでいる。

「ど、どうも……」
「ずいぶんと狭い店だけど、ゆっくり見て行ってね」
「ここは最近オープンしたんですか?」
「お、察しが良いねぇ。勢いに任せてこのテナント契約しちゃってねぇ。実はこの辺のこと何も知らないんだよね」
「そうだったんですか」
「お姉さん、この辺の人?」
「まぁ……今は違いますけど、母のお墓があるもので」
「あぁー……墓参りねぇ。そういや最近行ってないなぁ、まぁ、別に死人に対して考えることもないし……いっか」

 そういう人もいるよね、と思いながら目を逸らすようにして棚に視線を下ろすと、やたら安い価格でタクシーチケットが売られているのが目に飛び込んで来た。三百円、と書かれている。

「すいません、このタクシーチケット……ちゃんと使えるものですよね?」
「あー、それねぇ。使えるけど、普通のタクシーじゃないよ」
「普通のタクシーじゃない……んですか?」
「うん。思い出の場所まで運んでくれる、特別なタクシー。だなんて言ってね、あるタクシー会社が創立記念で出したジョーク品だよ」
「そうだったんですか……なぁんだ。じゃあ、いっか」

 そう言って棚に戻そうとすると、何故か突然母に会いたくなった。「思い出」という言葉を人から聞くことが滅多にないからなのか、眠っていた感覚が刺激されたのかもしれない。三百円ならいっか、と思ってレジに差し出すと、ヒゲの店主はニコッと微笑んだ。でも、その目の奥が全然笑っていないことに気付いて、突然背中に寒いものを感じた。店主の細い目の中が、一瞬全て真っ黒になったかのように見えたのだ。

「毎度ありー。またお墓参り来た時はよろしくね」
「は……はい。どうも」
「かわいこちゃん、またねー」

 陽気な口ぶりと表情があの目の奥とは全く不釣り合いで、不気味に感じた私は足早に店を出た。
 繁華街にいるような「怖い人」とは違う、得体の知れない怖さを私はあの店主から感じ取った。それが何なのか考えながらアーケードを歩いていると、後ろからやって来たタクシーにクラクションを鳴らされた。立ち止まり、脇に避けるとタクシーは私の横でゆっくりと停車した。痩身で顎が長い男性の運転手が助手席から身を乗り出し、私に声を掛けて来る。

「チケット、お使いになりますか?」

 運転手は抑揚のない声でそう言ったが、私はその意味が分からなかった。

「はい?」
「チケット、お持ちですよね?」
「もしかして……これですか?」

 私はさっきのリサイクルショップで買ったタクシーチケットを見せると、運転手は「どうぞ」と言ってドアを開けた。タクシーに乗り込んで、私はなんだか得した気分になって声を掛けた。

「これって本当に使えるんですね! やったぁ、得しちゃったな」
「…………」

 運転手は私の言葉に何の反応も見せず、アクセルをゆっくりと踏み込んだ。

「あの、行き先は上清寺でお願い出来ますか?」
「行き先は、一つだけです。指定は出来ません」
「え、ちょっと。どういうことですか?」
「…………もう、着きますよ」

 なんだか呆れてるみたいな声で運転手がそう言うと、曇っていた空に光が射し込んで、街のあちこちを照らして行く。通りは駅前からほとんど変わっていないはずなのに、何かがおかしいと思った。

「え、えっ? ちょっと、嘘でしょ?」
「…………」

 私は自分の目を思わず疑った。古惚けていた団地はまだ真新しさを感じさせる造りになっていて、アーケードは多くの買物客で賑わっていた。通りを歩く人達の化粧や格好は何処か懐かしい感じがして、駐車されてる車はどれも年代を感じさせる型の古いものばかりだった。
 こんな大掛かりなレトロ施設はないはずだし、私はタイムスリップでもしたのだろうか。思い出の場所まで運んでくれるタクシー。それは、本当なのだろうか。
 パニックになり掛けていると、車はゆっくりとアーケードの入口で停車した。サイドギアを引くと、運転手は「思い出です」と言ってドアを開いた。

「あの……どうなってるんですか、これ?」

 運転手は私の問い掛けには答える気はないようで、前を向いたまま振り返りもしなかった。


「注意事項を説明します」
「えっ、ちょっと」
「辺りを散策するのは構いませんが、どの様な形であれ、決して誰とも会話をなさらないで下さい。繰り返しますが、決してです。終わったらまたここへ戻って来て下さい。では、どうぞ」
「え……? いいの、これ?」

 会話をしちゃダメ、と頭の中で繰り返しながら、興味本位で恐る恐る足を踏み出してみる。すると、私の中で記憶が一気に、そして鮮やかに蘇って行った。
 目の前に広がる光景は間違いなく私が小さな頃に見ていたアーケードの景色に違いなかった。
 今はもう潰れてしまって錆びた看板だけが残るお肉屋さんが揚げたてのコロッケをケースに並べながら、太った主人が声を張り上げている。

「うまいようまいよー! うちのコロッケは日本一だよー!」

 そうそう、あの姿とあの声だった。思わず「おいしいの知ってます!」と答えそうになり、口を紡ぐ。脳梗塞で倒れて店を畳むことになった主人が、イキイキとした姿で目の前で商売をやっているのを夢でも見ているかのような気持ちで眺めていると、騒がしい声を上げながら私を子供達が抜き去って行く。
 その手にはゴムで飛ばすプラスチックの竹とんぼのような玩具が握られていて、思わず「懐かしい」と呟いてしまった。会話をした訳じゃないから、大丈夫だよね? と自分に言い聞かせながら小さな頃に見ていた景色の中を歩いて行く。
 靴屋のお婆ちゃんも、お洋服屋のおばちゃんも、みんな知っている。そうそう、やたら真っ白なテナントのペットショップ。猫が欲しくてここの前で駄々をこねて、お母さんに凄く叱られたこともあった。

 火事で無くなった洋食屋さんがまだ現役の姿で目の前に現れて、このお店の分厚いハンバーグが何よりも大好きだったことを思い出した。その途端、お腹が鳴ってしまった。食べるくらい、いいかな? と思ったけれど、注文をしたら会話になってしまうと思い、泣く泣く離れた。
 どうしてこんなことになっているのか分からなかったけれど、私は思い出の中を楽しい気分で歩いていた。
 行き交う人達は皆忙しなさそうで、こんなに活気に溢れていたんだなぁと驚いていると、十メートル先を歩く親子に胸が高鳴った。
 その後姿だけで、それがお母さんとまだ保育園に通っていた頃の私だとすぐに分かった。

 お母さんが、生きた姿で歩いている。
 伝えられなかった言葉や後悔が一気に胸から溢れ出して、私は身体ごと震えそうになる。緊張しているからか、足を踏み出せずに、楽しそうに繋いだ手を揺らす親子がどんどん遠去かって行く。
 ダメだ、でも。ダメだ、でも……。
 私は頭ではダメとは分かりながらも、走り出していた。親子がぐんぐん近付いて来ると、堰を切ったように胸から色んな想いが溢れ出して、私は大勢が行き交うアーケードのど真ん中で泣いてしまった。
 それでも後悔するよりもマシだと思い、手を膝につけながら叫んだ。

「お母さん!」

 アーケードに響いたその声に、多くの人達が振り向いた。泣いている私を見て笑っている人もいれば、不安げな顔になっている人もいる。当然だ。頭のおかしな三十路女が現れたと思われているのだろう。
 振り返った人達の中に、お母さんの姿もあった。
 お母さんはまだ若くて、当たり前だけど今の私にそっくりだった。それを見て、心が少し落ち着いた。きっと、分かってもらえないかもしれない。頭のおかしな女だと思われるかもしれない。それでも、私は胸の内につかえていた言葉を伝えた。

「お母さん、ずっとごめんなさい! 優しく出来なくて、つっけんどんなことばっかり言って、ごめんなさい! 本当は、本当はお母さんが大好きだったんだよ!」

 お母さんは困ったような表情を浮かべながら小さな私の手を握ったまま、私を見ていた。
 そして、目が合うととっても優しく微笑んで、大きく頷いた。たまらなくなって、もう一度お母さんと呼ぼうとしたけれど、お母さんは小さな私の頭をゆっくりと撫でると振り返って歩き出した。すぐに、親子の後姿は見えなくなった。

 運良く会話にはならなかったけれど、想いは伝えられた。お母さんは能天気な所もあったから何のことなのか分かっていなかったかもしれない。それでも、何か伝わるものがあって欲しかったし、そう願った。
 タクシーがいなくなっていたらどうしようと思ったけれど、アーケードの入口に戻るとちゃんと停車していた。運転手は変わらず無愛想なまま、私が乗り込むと行先も告げずに走り始めた。
 アーケードをぐるっと囲むようにして進んで行くと、アーケードも団地もすっかり草臥れた景色に変わり始める。
 寂れたアーケードに戻ってドアが開く。運転手は何も言わず、私も何も返さないままタクシーを降りる。タクシーはすぐに走り出して、音の少ない世界がやって来る。
 とっても不思議な体験だったけれど、私の胸の中はとても晴れ晴れとしていた。

 アーケードへ戻ってあのリサイクルショップへ寄り、店主にお礼を言おうとしたけれど、店じまいが早いのか昼下がりなのにもうシャッターが降りていた。
 元のアーケードを歩いていると、それにしても本当に人が少なくなったんだなぁと実感する。歩く人の数はまばらどころかほぼ無人になっていて、人の気配すら感じない。曇り空の下で陰影を失くした景色は、より一層寂しさを際立たせているようにも見えた。

 こんなことがあったんだよ、とお母さんに教えたくなる。
 そう思っていると、なんだかまたすぐにお母さんに会えるような気がしてくる。
 私はお墓に供える花束を買いに花屋へ向かう。今年の墓参りはお寺まで歩いて向かおう。あの時みたいに、お母さんと手を繋ぎながら、沢山歩こう。そう思いながら、私は無人のアーケードを進んで行く。

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