【小説】 最後の1ピース 【ショートショート】
先日、商店街を歩いていると「酒井商店」という小さなリサイクルショップが新しく開いているを見つけた。
店の中は狭く、あちらこちらにごちゃごちゃと物が積まれており、リサイクルショップというよりまるでゴミ屋敷のようであった。
これはすぐに潰れるだろうと思っていると、丸眼鏡を掛けた痩身の店主に声を掛けられた。
「まだオープンしたばかりで、散らかっていてすいませんねー。そのうちキレイにしますから」
店主は狐のような目をした男だったが、見た目に反して柔らかな声であった。それに安心してしまった私は、ついつい目の前にあったどうでも良いような商品を手に取ってしまった。赤富士のジグソー・パズルだった。
今の今まで生きて来てジグソー・パズルという物に興味はなかったが、眺めているうちに暇潰しには良さそうな気もして来る。値段は500ピースで驚きの100円。
「すいません、これ下さい」
「あー、お客さん面白いの見つけましたね」
「いやぁ、実は挑戦したことがなくて」
「そのパズルはね、完成するまで止められないって噂なんですよ」
「完成するまで止められない?」
「まぁ、それくらい楽しいってことなんでしょうね」
「一度ハマれば深い趣味になりそうですよ」
店主はどこまでも愛想良く笑っていたが、100円を渡して店を出ようとした直後に振り返ってみると死んだ魚のような暗い目で私を見送っていることに気が付いた。寒気を感じ、すぐに店を出た。
家に帰り書斎にこもると、すぐにパズルを始めてみた。何をどう進めても良いか分からず四苦八苦したが、あの店主が言うように止められないということはなく、途中何度も休憩を挟んで翌朝を迎えた。
止められないことはなかったものの、別の問題が発生していた。いよいよ完成が見えて来たのだが、最後の1ピースが見つからないのだ。生まれて初めて取り組んだジグソー・パズル。しかも500ピースといきなり本格的なものに手を出したものだから、ここへ辿り着くのに10時間以上も費やしたというのに、最後の最後で赤富士の濃い赤を表現した真っ赤な1ピースが見当たらないのだ。
書斎の椅子の下、部屋の隅々まで引っ繰り返して探し続けた。それなのに、ない。ないはずがないのに、ない!
苛立つ心を平静に保とうと意識して、ここ半日の出来事を反芻してみる。まずは今朝起きてから、リビングでトーストと珈琲だけの軽い朝食を済ました。妻に
「それだけでいいの?」
そう問われた私は、珈琲を飲みながらピースを嵌めこむ仕草を彼女に見せた。すると、「何が楽しいんだか」そう言って呆れていた。急いで書斎へこもってパズルの続きをやろうとしたのが見透かされたのか、席を立った瞬間
「食器くらい洗ってよね」
きつい目で言われたもんだから、流しに立って言いつけられた自分の仕事を済ました。それから書斎へこもって2時間ばかりパズルに取り組んでいた。つまり、ピースを失くす要因はないものと思われたのだが、ふと自分の足元を見て「あっ」と声を漏らした。
私は家の中では靴下を履かない。家の中で素足でいられないと、なんとなく気持ちが悪いのだ。他人の家でもすぐに靴下を脱いで丸める癖があるので、中年になった今もよく注意を受ける。この自由気ままな素足が、きっと犯人に違いない。私はそう、アタリをつけた。
素足の裏、つまり中年脂のベタ足が床に落ちていた最後の1ピースを部屋の外へ連れ出した。そうなると、朝食の為に座ったリビングテーブルの足元にピースが落ちている確率が高い。私はすぐにリビングテーブルに向かったものの、すぐに見つかりそうな真っ赤なピースは見当たらなかった。
今日は月曜日……。月曜日!!
私は妻に向かって吠えた。
「おい! 今朝この辺りを掃除したか!?」
日中の情報番組が紹介する運動に合わせ、呑気に腿を上げ下げしていた妻が振り返る。
「掃除機掛けたわよ」
「くそうっ!」
我を忘れる勢いで掃除機のゴミ溜めカップを開いた瞬間、私は声を失った。
「な……ない……」
今日はゴミの日。つまり私の推測する所に寄れば、リビングテーブルまで運ばれた最後の1ピースは無残にも掃除機に吸われ、そして残酷なことに燃えるゴミとしてまとめられ、捨てられてしまったのである。
しかし、項垂れている暇はない。まだ、勝機はある。
「ちょっと、出掛けて来る!」
妻に言い残し、私は家を飛び出した。まだパッカー車が来てなければ間に合うはず。家の近所の集積所へ向かってみると、なんと目の前でパッカー車が走り出して行ったのが見えた。
「うえぇー! まっ、待て! 待ってくれぇ!」
パッカー車を追い掛ける私の声や姿は当然届くはずもなく、その姿はすぐに小さくなり、やがて消え去った。しかし、まだ勝機はある。
家に飛び込んだ私は玄関で鍵を取ると、急いで車に乗り込んだ。あのパッカー車が向かう先は分かっている。私はクリーンセンターへ向け、アクセルを踏み込んだ。
たくさんのパッカー車が出入りするクリーンセンターへ着くと、私は駆け足になって例のパッカー車を探し回った。しかし、どれも皆一律にクソつまらない無個性なグリーンで統一されており、該当するパッカー車がどれなのか分からなかった。
冷静さを失って行き、焦りに負けた私は受付の職人へ怒鳴りつけるように声を掛けた。
「おい! 大切なものが勝手に捨てられたんだ! なんとか出来ないのか!?」
老齢の職員は眉一つ動かさず、つまらなそうに呟いた。
「そりゃオタクの管理が悪いんでしょ。うちはそんなの知らないよ」
「知らないとは何事だ! 大事な、大事なピースなんだ!」
「ピースって、なんだいそりゃ。煙草かい? オタク、いい歳こいてタバコ銭が足りてないのかい」
「あぁっ! もう、いい! 話にならん!」
役立ずのクソじじいめ! こうなったら自分の目で見て、確かめる他はない。
パッカー車が次々とゴミを放出する先に、巨大な穴が見える。穴は縦10メートル以上はありそうで、その真ん中で巨大なUFOキャッチャーのようなアームが上下に稼働しながらゴミを掴んだり放したりしている。
最後の1ピースを取り返すべく、私はゴミ穴に近付いた。そのフチから視線を下げると、ゴミの山には無数の蠅が集り、悪臭が鋭く鼻をついた。どれがどれだが分からないものの、あの中に確実に真っ赤な1ピースがあるという感覚に私は襲われた。
やっと見つかった。あぁ、よかった!
私はそう思いながら、躊躇うことなくゴミ穴へ向かって飛び込んだ。数秒後には蝿の舞うゴミ溜めの中へ突っ込んで行き、私の身体は重力に負け、ゴミに叩きつけられるだろう。真っ赤な鮮血が身体から溢れ、すぐに家庭ゴミに混じり、そして助からない。その姿を上から見たのならば、私はまるで失くした1ピースのように真っ赤で、その時にあのパズルが完成するのだと、ここへ来てようやく私は悟ったのであった。
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