見出し画像

【小説】 Loss 【一話完結】

 少年は息も凍りそうな夜に、窓枠にしがみついたまま長い間外を眺めている。
 眩いほどの喜びを感じた夜の記憶がまるで昨日のように蘇り、少年はまだかまだかと心待ちにしていたのだ。 
 昨年の同じ日の、深夜だった。「サンタ・クロース」は大きな袋の中に沢山の玩具を詰め込んで、この小さな町にやって来た。
 家族が寝静まった真夜中に、家のドアをノックする者がいた。
 少年の父はベッドから身を起こし、すぐにショットガンを手に玄関へ向かった。

「メリー・クリスマス。この家には煙突がなくて困ってしまってね、開けてもらってもいいかな?」

 少年の父はその声を訝しんだものの、ドアのレンズから外を眺めて「確かに」と、ひとりごちた。ショットガンを手放さないまま、ドアを開けると頭に降り積もった雪を払った恰幅の良い白髭の老人が、笑みを浮かべて両手を広げてみせた。

「私は何も物騒な物は持っていないよ。持っているのは、夢と希望だけさ」
「何しに来た?」
「何しに? ツリーに靴下をぶら下げていたから、こうしてやって来たんじゃないか。私の大好きな子供がここにはいるね。男の子かな?」
「子供は私達の宝であり、財産だ。どうせ唆す気だろう」
「ほっほっほ、そんなに人を疑っていたらいけないよ。私は子供に夢と希望を届けにやって来た、タダの物好きな老人に過ぎないさ」

 老人の背後に荷台のついたソリ、そして体格の良いトナカイが居るのが見えた。土地の痩せたこの辺りに、あんなに栄養の生き渡ったトナカイはいない。それに、ソリを滑らせる音は寝ている間にまるで聞こえてこなかった。少年の父は例え眠っていたとしても家からだいぶ離れた場所で狼が鳴けば、その声で目を覚ますほど神経質な男だった。
 痩けた頬に生える金色の無精髭を撫でながら、少年の父は老人の赤い服の一点をまじまじと見詰めながら問う。

「ズボンが濡れていないのは何故だ?」
「それは私が正真正銘、本物のサンタ・クロースだからさ」

 誇らしげ老人はそう答える。少年の父は息子が靴下をツリーにぶら下げながら、目の前の老人の名を呟き、何かの願い事をしていたことを思い出す。見当違いの願い先に「戯言だ」と一蹴し、相手にしなかった。しかし、目の前の老人を見て、息子の願いが通じてしまっていたことを確信する。

「すまないが、掟があるんだ。すぐに帰ってくれ」

 少年の父はドアを閉めようとしたものの、老人は衰えを知らぬような強靭な力で返した。あまりの力に唖然とした少年の父に、老人は悲しそうな顔になり、低い声で呟いた。

「何故、この町は私を受け入れない?」
「……すまないが、これ以上の長居は」
「おや?」

 老人の顔が満面の笑みへ変わると、少年の父の顔には狼狽の影がさす。焦りが心に届くよりも早く、少年の無垢な声が雪の夜に放たれる。

「サンタだ! サンタ・クロースだ!」

 駆け出した少年は老人に飛びつき、軽々と抱え上げられた。楽しげな少年と老人の笑い声と姿に、ベッドから起きて来た少年の母は言葉を失くす。
 少年の父は諦めたように首を横に振ると、少年の母は嗚咽を漏らした。
 誰も受け取らなかった無数の玩具が部屋の中へと運ばれ、サンタ・クロースは足跡一つ残さずに去って行った。

 少年はそれから一年もの間、老人との邂逅を待ち望んだ。
 サンタ・クロースに抱き上げられた時に感じた暖かな感情は、何の取り柄のないこの町で、そして神経質な主の居る家の中では味わったことのないものだった。
 生まれて間もない少年を置いて、父は自分の故郷である小さな町を守る為に出兵した。酒好きだが陽気な性格だった彼は、戦地で目にした数々の惨状に心を擦り減らしてしまった。運よく生き延びて町へ帰還したものの、以前の彼はもうこの世界のどこにも居なかった。
 少年の母は女手ひとつで我が子を守ろうと必死だった。度重なる寒波の所為で飢饉に見舞われても、自ら欲することを止め命の全てを乳飲み子に注いだ。
 町は戦争で多くの男達を失った。誰もがもう二度と悲しい想いをしたくないと疲弊したある日、町に「掟」が生まれたのである。

「我らが帰依する神に祈りを」

 自然発生のようにも思えたその「掟」は、巧妙に仕組まれたものであった。聖夜には永遠の象徴であるツリーを飾ることが習わしであったが、その頂上には星ではない別の物が飾られるようになった。

 少年はそれが当たり前だと信じ込んでいたが、テレビで偶然見かけた「サンタ・クロース」の話しに胸が騒いだ。それは喜びによるものだと直感したが、隣に座る母の鋭い横目に気が付くと表に出してはならない感情なのだとすぐに悟った。それでも、来る日も来る日も少年はサンタ・クロースを待ち侘びていた。そしてついに出会うことが現実のものとなり、表に出してはならない感情の波は父と母を戸惑わせた。

 少年が聖夜を待つ一年もの間、少年の父と母には町の人々によって業が科せられ続けた。
 サンタ・クロースが訪れたあの晩、町に住むほとんどの者の目は雪の降る暗がりの奥から、少年の家の一挙一動を見つめていた。あくる日、掟に背いた罰として母の背中には裏切りの烙印を、そして父には烙印と併せ、とある使命が科せられた。使命の未遂は命を代償とすることへの最終通告でもあった。

 一年後。

 少年は息も凍りそうな夜に、窓枠にしがみついたまま長い間外を眺めている。
 眩いほどの喜びを感じた夜の記憶がまるで昨日のように蘇り、少年はまだかまだかと心待ちにしていたが、母の声で振り返る。

「そんな寒い場所に居てはならないわ。紅茶を入れたから、ここへ来て飲みなさい」 
「やだ。だって、もうすぐサンタが来るんだ!」
「聞き分けのない子ね。またぶたれたいのね?」
「ぶてばいいじゃないか。きっと、サンタが僕の味方をしてくれる!」

 母は木の棒を手に、少年の背を容赦なく叩いた。小さな悲鳴が上がるが、その晩の少年はいつものようにひれ伏して「ごめんさない」を連呼することはなかった。そのことが、母の怒りの感情に火を点けた。
 掟の為に、町の為に、散々教育して来たのに。このままでは失格者となり、この土地で生きて行かれなくなってしまう。
 力へと変換された怒りが、少年の身体を何度も襲った。その行為は少年の為ではなかった。自身のプライド、そして多くの者を失った小さな町を存続させる為だった。

「窓の外が見ていたいなら死ぬまで見てればいいわ」

 木の棒を投げ捨てた母は吐き捨てるようにそう言って、ダイニングテーブルに腰を下ろした。
 肉を載せていた少年の皿がすっかり空いていることに、母は底意地の悪い高揚感を覚え、口の端に笑みを浮かべてしまう。
 少年はよろめきながら立ち上がり、窓枠にしがみついてじっと外を眺め始める。ツリーの上に飾られた星の代わりのカルガモの飾りは、音もなく木の上から外れて落ちた。それを目にしても拾うことはなく、母は笑みを浮かべながら少年に優しく声を掛けた。

「ねぇ、風邪を引くわよ」
「へっちゃらだよ」
「サンタを待っているの?」
「あぁ。だって、一年前は来てくれたんだ。今夜もきっと来てくれるって、約束したんだ」
「そうね。その約束のおかげで町は助かりそうよ」
「ふん。去年はみんなしてサンタを無視した癖に」
「ええ。でも、用事が出来たの。その用事も、もう済んだわ」
「へぇ。サンタはまだ来ていないっていうのに?」
「来たわよ」
「嘘だね」

 少年が力強く言うと、母は家中に響き渡る大きな笑い声をあげ始める。窓から目を離し、少年は振り返る。食事を終えたはずの母が、真っ赤な口紅を塗った姿で不気味な笑顔を見せている。内心苛立ちを覚えたが、少年は窓の外を向き直す。
 すると町の広場で何かが突然燃え上がるの様子が見え、少年は息を飲んだ。炎の周りには、多くの町の男達が集まっていた。その中心には父と、掟の指導者の姿があった。
 誰もが楽しげな表情で父の肩に手を置いたり、酒を勧めたりしている。聖夜の宴かとも思ったが、燃え上がる炎の中に見覚えのある物を見つけ、窓枠に手を掛けていた少年は叫び声を放った。
 燃え上がっていたのはくべられた木材ではなく、大きな荷台のついたソリだった。
 パニックを起こしかけた少年だったが、嘘だと信じることで事実から目を背けようとした。しかし、その次の瞬間に心を支える脚は折れてしまう。
 父の肩に手を置いて楽し気に笑う男達の中に、酷くぶかぶかの赤い服を纏った男の姿を見つけた。
 お調子者で有名なその男が、暗がりの中から酒瓶を片手に、白い大きな袋を引きずって来る。袋から取り出されたクマのぬいぐるみ、セルロイドの人形、ブリキの車を辺りにぶちまけると、男達は笑いながらそれらを踏み潰し始めた。
 少年は眩暈を起こし、その場に倒れそうになる。
 これは事実じゃない。嘘だ、全部嘘だと言い聞かる。
 倒れそうな少年の姿に、母は立ち上がってこう言った。

「サンタはここには来ないわよ」
「嘘だ。嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!」
「最近めっきりだったけど、今夜は美味しいお肉が食べられたでしょう?」
「……」
「トナカイが迷いこんだの。それも特別な、とっても大きなトナカイが」
「……嘘だ」
「あなたは叱ってもらわなければいけないわね。お父さんは役目をしっかり果たしたわ。あぁ、本当に良かった。けど、息子のあなたがそんな体たらくじゃいけないわね」
「何言ってるのか、わからないよ」
「わかるまで教えてもらえるから安心なさい。さぁ、もう行くわよ」
「……どこへ?」
「行けばわかるわ。あなたはもう、うちの子供じゃないんだから」
「どういうこと?」
「あなたは、この町の大きな希望。今からはこの町の子供なのよ。他の子供達も、私達も、一緒」
「……」

 炎を取り囲んでいた男達が嬌声を上げ始める。闇を切り裂き、雪を弾くその声が、徐々に大きくなり、悪夢の塊のように少年の耳を通じて脳を揺さぶり出す。

「さぁ、立ち上がって」
「……」
「立ち上がって、踊る準備をしなさい。願いは果たされたのよ」
「嫌だ」
「嫌、じゃないわよ。お祝いへ行くのだから、早くなさい」
「嫌だ!」

 少年は立ち上がり、雪の舞い散る外へと飛び出した。
 男達の嬌声にたまらず、足がもつれそうになる。しかし、少年は嬌声とは別の方向の、森へ向かって走り出した。
 サンタ・クロースが待っている。きっと、この先に居る。森の奥の、あの小屋の中に、きっといるはずだ。
 少年は雪を掻き分けながら、必死に森の奥を目指し始める。
 嬌声は遠ざかり、その分冷え切った足が感覚を失くして動かなくなる。 
 まだ、まだだ。まだ、遠すぎる。動かなくなり出した手足で必死に雪を掻き分けていると、森の奥から誰かが近付いて来るのが見えて来る。

「サンタ、サンタ・クロース! 僕だよ!」

 ゆらめく影に、少年は声を放る。しかし、近付く者の姿を見て少年は意識を失くしてしまう。最後の気力がとうとう尽きてしまったのだ。 
 遠のいて行く意識の中、少年は誰かに担ぎ上げられる感覚だけを感じ取っている。それは大きな男の感触だった。力強く、抗いようのないほどの大きな男の身体だ。
 少年は冷えた身体が人肌の温もりに溶けて行くのを感じながら、真っ暗な意識の喪失の奥へと落ちて行く。身体が揺られている。規則正しく雪を踏む足音、再度近付いて来る男達の嬌声。その先へ行ってはならない。
 決してその先へ、向かってはいけない。
 そう願い、訴えながら、少年は深い意識の底へと着地する。

サポート頂けると書く力がもっと湧きます! 頂いたサポート代金は資料の購入、読み物の購入に使わせて頂きます。