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【連載小説】 この素晴らしい世界を 【第三回/全五回】

朝方、聞き覚えのないスマホからの緊急ブザーの音で叩き起こされた。送り主は『日本政府』。
テレビをつけると大統領がこう言った。あと24時間で人類は突然の終わりを迎える事になったと。
僕は彼女と最後の日常を過ごす為に、旅へ出た。

 九時間後。午後三時。

 広い通りに出たが交通量は相変わらず少ないままだった。天気の良さも相まって、思わずアクセルを踏む力が強くなる。あと半日後には何もかもが木っ端微塵になって消えてしまう景色の中を、快適なスピードで進んで行く。

 心地良く運転していると突然背後からスピーカーで呼び止められ、僕は心底驚いた。

――前の車、左に寄って下さい。左に寄って停車して下さい。

 ミラーで確認するといつの間にか白バイにつけられていたようだった。僕は大人しく車を路肩に止め、罰金かと思ったがこんな時にまで払うのかと思うと腹立たしくなった。

 窓をノックする警官の目は見ずに、僕は不貞腐れて窓を開けた。

「お兄さん、スピード出てましたねぇ。軽く三十キロはオーバーしてましたよ」
「あー、はいはい。罰金、おいくらですか? こんな時でも取るんでしょ?」
「ははは、いらないですよ」
「は?」 

 その声に意表を突かれ、僕は思わずハンドルから目線を上げた。声の主は四十半ばの、細身の男性警官だった。 

「いらないって、だったら何で停めたんですか?」
「ほら、どうせ明日になったら皆死んじゃうでしょ? だったら、今わざわざ事故なんかで死ななくて良いじゃないですか」
「確かに、そうですけど」
「停まってもらっちゃって、すいませんね。これも僕らの仕事なんで。安全運転でお願いします」
「あの……」
「はい?」
「いつまでお仕事されるんですか?」
「いやぁ、死ぬまでです! 警察官は小さい頃からの憧れだったんで、最後まで自分を裏切りたくなくて。職務を全うして死ぬつもりです」
「あの……本当に、ご苦労様です」
「いえいえ」

 照れ臭そうに笑った警官は僕らに敬礼し、白バイに乗って颯爽と去っていった。
 あんな人もいるんだな、と思いながらミラーでぼんやりその後姿を眺めていると、紗希も僕と同様にその後姿を眺めていた。

「凄いね、あの白バイの人。私、カッコいいって思っちゃった」
「俺も、あんな人いるんだって思った。もうすぐ全部終わるっていうのにさ」
「このラジオのDJだってそうだよね。皆、まだ生きてるんだね」
「俺達だって死んでないよ」
「うん。会社、電話使えるうちに連絡しとけば良かったな……」
「うちは、皆どうしてんだろ……」

 紗希は不動産会社の経理を担当していて、僕は都内の小さな広告代理店に勤めていた。仕事仲間や取引先の人達の顔が浮かんだけど、最後に挨拶一つ出来ないことが少しだけ悔やまれた。まさかこんな時にオフィスに出勤しているような奴は一人もいないだろうけど、納期に追われる日々を最後にほんのちょっとだけ、味わいたいと感じていた。

 会いたい人の顔は次から次へ浮かんで来ても、時間も手段も限られている。幸せな最後を迎えられるよう、最後の時まで心の中で祈り続けるしかないのだろう。父も、母も。友人達も。

 紗希の実家から近い街の市内に入ると、駅前で異様な光景に出くわした。オフィスビル周辺には無数の人だかりが出来ていて、彼らはスーツ姿のまま酒を酌み交わしていたり踊っていたりしていた。ビルの窓から絶えず花吹雪のように書類がばら撒かれていて、まるで花見でもしているかのような光景が広がっていたのだ。

 「酒井企画株式会社解散式」と墨で書かれた大きな横断幕の前では中年男性達が集まり、万歳三唱をしている。絶叫に近いその声は車の中に居てもしっかりとこの耳まで届いた。仕事こそが我が人生、会社こそが我が家族、と言わんばかりに皆熱心に万歳を繰り返し、各々目に涙を浮かべている。

「凄いなぁ、あぁいう人達ってさ」
「普段どんな仕事してるのか気になるわね」
「代理店も不動産の経理も、人類滅亡の前には何の役にも立たないもんな」
「之彦は人類滅亡後のイメージを描けるんじゃない? 宇宙人にプレゼン出来るわよ。その間、私は滅亡までの残り時間でも計算しようかな」
「そうだな。せっかくだから仕事して行く?」
「どちみち死ぬけど、死んでも嫌よ」

 僕らはそう言って少しだけ笑って、アクセルを踏み込んだ。

 十一時間後。午後五時。

 紗希の実家へ辿り着いた。涙目になって紗希を抱き締める両親を見つめながら、何となく最後の瞬間はこの場所で迎えるのだろうという想いになった。
 食卓を囲み、本当の最後の晩餐が始まった。紗希の母が「冷蔵庫にあるものになっちゃうけど」と言いながら様々な料理を食卓に並べてくれた。煮物が出されたのを見て、訊ねてみた。

「こっちはガスきてるんですか?」
「そうなのよ、朝のうちは停まってたんだけど昼頃からまた使えるようになったの。誰か働いてくれてるのかもしれないわね」
「ありがたいですね。こっちは朝イチに停まったままだったんで」
「あらそう? ごめんね、最後の晩餐がこんな手料理しか出せないで」
「いやいや、とんでもないです。ありがたいですよ。頂きます」

 紗希の父にビールを注がれ、若干恐縮しながら紗希と三人で乾杯する。

「之彦君、紗希を連れて来てくれてありがとな。感謝する」

 金型職人の紗希の父は、テーブルに額がついてしまうまで深々と頭を下げた。

「いえ、いいんです。紗希には最後は家族で迎えて欲しかったので、頭上げて下さい」

 頭をゆっくりと上げた父が、僕の目を真っ直ぐに見る。力強い瞳が、潤んでいる。

「之彦君は、ご家族には?」
「いや、うちは北海道ですから。電話だけは出来たので、それだけでもう」
「そうか……こんな時に紗希だけ連れて来てもらって、本当に申し訳ない」
「いえ、とんでもないです」
「これは私からのお願いなんだけど、聞いてもらえるかな?」
「はい、何でも」
「母さん」

 父が母に目配せをすると、母は一升瓶と盃を持ってテーブルへやって来た。

「急だったから、申し訳ないけどこれで勘弁してね」
「日本酒ですか?」

 僕と紗希は目を合わせて首を傾げた。すると、父が頭を掻きながら言った。

「之彦君、最後になってしまうけど、今日は私達の本当の家族になって過ごしてくれないか?」
「えっ、あ、はい」
「こんな形で申し訳ないが、二人の結婚式をしようと思ってな」

 目を見開いて驚く紗希の前で、僕は言葉を失って頭を下げる事しか出来なかった。

 正直、紗希を家に送り届けた後はどうしようか迷っていたのだ。

 昨日まで、僕は紗希の父にあまり好かれてはいなかった。 
 大学卒業と同時に、当時付き合っていた彼氏と同棲を始めていた紗希とは、会社関係者の飲み会で知り合った。
 マニアックな音楽の話題で盛り上がり、意気投合した僕らはその日のうちに連絡先を交換した。その後何気ないやり取りを繰り返しているうちに会うようになり、僕らは彼氏を差し置いて二人きりの関係を持つようになった。

 紗希の彼氏は大手商社に勤めるいわゆる「エリート」だったし、奪ってやろうなんて勝負に出る事さえ出来なかった。しかし、会えば会うほどに気持ちだけは募って行った。

 婚約前に僕と紗希の関係が発覚すると、彼氏は僕をこれでもかというくらい罵倒した。会社にまで押し掛けてくる始末で、居心地が悪くなった僕は勤めていた出版社を辞めて今の小さな広告代理店に勤めるようになった。
 同棲を解消した紗希は一度この実家へ戻り、その後も僕との関係を持ち続けた。

 紗希の父は将来性のある彼氏から紗希を奪った僕を、心の底から恨んでいたように思えた。二年連続で正月に挨拶に訪れたが玄関から先へは入れてもらえてなかったのだ。
 だから、リビングに入るのも今日が初めてだった。

 紗希と同棲した事さえ報告していなかったし、父から逃げ続けていたのかと問われれば、その通りだと言うしかなかった。
 こんな時に、いや、こんな時だからこそ。父に認めてもらえたことに僕はつい、泣いてしまった。
 喜びもあったが、こんな状況にしか縋れなかった自分の不甲斐なさに後悔した。平和な日常の中でしっかりと紗希の父に頭を下げ、僕達の関係を認めてもらえるべきだったのだ。

「之彦君、いいんだ。私が頑固で、ダメな親父ばっかりに……」
「いえ、僕がもっと早く謝っていれば……本当に、すいませんでした」
「実を言えば、本当はもっと早い時期に認めてやれてたんだ。正月に君が来た時も、素直になれなくてな。娘を散々叱り付けておきながら、娘が選んだ道というのを私は何も見れていなかった。いや、見ようとしていなかった」

 紗希が驚いた表情で父を見た。

「お父さん、私達の事……認めてくれてたの?」
「あぁ。最初はそりゃ、之彦君の事を間男のようなとんでもない奴だと思っていたけどな、すまん。あの男と別れて、この家に戻って来た後も之彦君との関係を紗希が続けていると知った時に、これはもう本人同士に任せるしかないと思っていたんだ」
「母さんもね、もう子供じゃないんだからさっさと認めてあげなさいよって言ってたのよ。知ってるでしょ?」
「なんというか、子供に嫌な顔をされるのが父親の役目だと思っていたんだな。私は一人相撲を取っていただけだったんだ。全く、馬鹿者だよ」
「本当に、ありがとうございます」

 父は咳払いをひとつして、静かに言った。

「之彦君、紗希。結婚おめでとう」
「ありがとうございます」

 僕と紗希は声を自然に揃え、深く頭を下げた。最後まで残されていたわだかまりを溶かしてくれた親の存在の大きさに、僕らは喉を詰まらせた。

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