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【小説】 単発工場派遣にて 【ショートショート】

「えー、君と君。それから、君。あっちのグループに行って」

 今日は食品工場の単発アルバイトへ来てみた。
 私も含めたその場にいる全員が全員、真っ白な作業着姿で立たされている。髪を隠す保護ネットのついた帽子も白で、マスクまで真っ白な為、確認出来る姿と言ったら目元しかない。あとは太っているとか、痩せているとか、そんな少ない情報しかない。
 各派遣会社から搔き集められた人間達に名前などは要らないようで、名札やプレートの類は一切なく、誰が誰かも分からない状態だが、リーダー格の社員は集められた人間の何かを見てグループの行き先を餞別しているようであった。
 二十名ほどの男がいたのだが、それぞれが肩を掴まれ、「君はあっち」と声を掛けられながら一人、また一人と消えて行く。
 残ったのは私を含めて三人だったが、私も他の二人も五十は越えていそうな容姿だと目元と姿勢で分かる。つまり、使い道がないと判断されたのだろう。

 リーダー格の社員は私の前へ立つと、ジロジロと舐め回すように全身を眺め出した。そして、「あ」と呟くと足元を指さした。

「ズボン、ちゃんと長靴の中にしまっておいて。着替えの時に言われたっしょ?」

 着替えの時間は確かにあったが、それはとても壮絶なものだった。
 バスから降ろされ、訳も分からないまま工場の薄暗い通路を突き進んで行くと、小さなロッカーが押し込められた十畳ほどの部屋に案内された。
 年配と思しき作業着姿の案内係は、作業着の入った数個の巨大な袋を持ってくるなりこう叫んだ。

「狭いですけど十分以内に全員着替え終えて下さい! 作業服の着方が分からない人いたら声を掛けて教え合ってね! それからロッカーは鍵が掛からないですから、貴重品を持って来てる人は私に預けて下さい! 着替えを終えた人から部屋の脇の通路に立って待っていて下さい。勝手にどっか行ったりしないで下さいね!」

 二十人の男が一斉に靴を脱ぎ、袋からそれぞれの体格に合った作業着を漁り、着替え始める。私は後方で空くのを待機していたが、全員がその場で着替え始めるので作業着を手にし、仕方なく通路で着替えを行うハメになった。
 先に現場へ向かう人達の目線が痛かったが、十畳しかない部屋の中は半裸の男達が大渋滞で着替えを行っていて、私が入る隙間すらなかったのだ。
 入口に半身を隠す形でズボンを脱ぐと、通り掛かった女性作業員の二人組が笑いながら私の横を通り過ぎて行った。

「ユウちゃーん、朝からヤなもん見ちゃったねー」

 そんなダミ声が聞こえて来たが、私は自分を押し殺しながら身を縮めて必死の着替えを何とか済ませた。
 なのでズボンがどうのこうのは特に意識などしておらず、長靴の中にしまわなければならないのは注意されてから初めて知ったことであった。

「すいません、すぐに直します」

 私は怒られたことをすぐに修正し、ズボンを長靴の中へ入れ込んだ。
 私達三人は立たされたまま、餞別担当の社員は「朝礼あるからちょっと待ってて」と言って、別の作業場へと向かって行った。
 残された我々は突っ立ったまま、スピーカーから突然流れ始めたラジオ体操のメロディを聞いていた。
 隣に立っていた小太りの男が居ても立っても居られなくなったのか、メロディに合わせて体操を始めると、私と痩身の男もそれに続いた。
 ラジオ体操が終わると別の場所から私達の立っている場所に続々と白作業服の作業員達がやって来た。奥の部屋からキャスターのついた機械やら資材やらを取り出し始め、私達の立っている場所の前を行ったり来たりし始める。
 これからここで何かの作業をするのだろうと思って眺めていると、まだ若そうな作業員から

「立ってんならもっと奥行って! 邪魔だから!」

 そう、怒鳴られた。
 作業を始める準備をしている彼らは、私には全く分からない言語でやり取りをし始める。

「昨日の三番の続きなんだけど、何ロット生産?」
「違う違う。マジマさんがペアで回すって言ってたから三番はB棟でやるって」
「え? でも資材表見てみ。うちになってんじゃん」
「あ、本当だ。じゃあ向こうにも話し回ってない感じなんじゃね?」
「マジかよ! 出たぁ、絶対タカギさんだよ」
「馬鹿、マジうけんだけど!」
「ひゃはははは」

 この場の管理者らしき二人の作業員はそう言ってゲラゲラ笑い声を上げ始めるが、それぞれ白作業着姿でマスクまでしているので、まるで人形が笑い声を上げているような不思議な感覚で持ってそれを私は眺めている。

 知らない現場で聞く慣れ親しんだ者同士にしか分からない会話というのは、一人ぼっちで居る時分の数十倍も心の孤独を強調させる。
 おまえはここの人間ではないという烙印を押されているような気分になり、ちらりと横を見てみると小太りが同じように孤独な目で持って私に声を掛けて来た。

「あのデカイ人、来ないっすね」

 デカイ人、というのは餞別係の社員のことだろう。私は「ですね」と一言だけ返すと、小太りが続けた。

「あれですか、日払いですか?」
「ええ、まぁそうですね」
「じゃあなかったら、こんなトコ来ない来ない」

 そう小声で言って、小太りは笑いながら小さく顔の前で手を振った。
 もう一人の痩身はどうやら人としての何かがおかしなようで、私達の会話を聞きながら一人でぶつぶつと復唱していた。

「日払いですよね、まぁそうです、こんなトコ来ない……来ない……うん、うん」

 小太りもその異様さに気付いたようで、腰に手を当てながら私の方を見てわざとらしく首を捻った。
 私達は置いてけぼりのまま、目の前で何かの作業が始まった。移動式のラインが運ばれて来て、五人ほどの作業員が集まった。古い箱から取り出したレトルトパックがラインに流されて行くと、それを拾う作業員が脇で組み立てられて行く段ボールにそれを詰め込み始める。
 私達の存在は彼らに無視されたまま、時間だけが過ぎて行った。

 そうやってもう十五分ほども過ぎた頃になって、あの餞別係が戻って来るのが見えた。
 肩を怒らせている様子で、入って来るなりいきなり怒声が飛んだ。

「何やってんだよ! おめーら話し聞いてねぇのかよ!」

 最初、私達が怒鳴られたのだと思って一気に身が竦む思いをした。
 しかし、違うようであった。
 怒鳴られていたのはこの場の管理者と思われる二人組で、餞別係は移動式ラインの停止ボタンを押すと、積み上げられていた段ボールを蹴飛ばして、なお叫んだ。

「誰が四番やれって言ったんだよ、おい!」
「え、でも工程表に書いてありますよ」
「それいつの?」
「昨日のダッシュ終わった後に出したやつですけど」
「なんでイントラ見てねぇんだよ! 今朝、工程表変わってっから! 今日これだけの派遣呼んだ意味をまず考えろよ。なぁ!」
「すいません、見てませんでした」
「見てませんでしたじゃねぇんだよ! 片せ、これ全部!」
「はい」
「ったく、いつまで経ってもマジ使えねぇなぁ! おまえらなぁ!」 
「本当、すいません」
「もういいや。セキヤ、全員連れてB棟行って。おい、そこの三人!」

 私達は突然呼ばれ、従順な犬のように即座に駆け出した。我ながら、派遣労働が身についていて嫌気がさした。
 餞別係の元へ行くと、段ボールを片付けるように指示された。説明している間、餞別係はずっと苛立っていた。

「箱の裏にテープ貼ってあっから、キレイに剥がして畳んで奥の倉庫にしまっておいて。それくらい出来るよな?」

 はい。としか答えられない状況で、小太りが質問をした。

「終わったら、我々はどうしたらいいですか?」
「ここで待機」
「あっ、はい。わかりました」
「あんたらそれ以外できないっしょ。無駄なこと聞かないで」

 そう言って餞別係はどこかへ電話を掛けながら、他の作業者達と共にぞろぞろと部屋を出て行った。
 残された私達は積み上げられた段ボールのテープを剥がし、ひたすら畳むことに没頭した。しかし、十分ほどで作業が終わってしまうと、すぐに手持無沙汰になった。
 小休憩らしき鐘が鳴っても誰かがこの部屋を訪れることはなく、時間だけが過ぎて行った。
 途中、声の高い女性社員が入って来てこんなことを告げた。

「ニシハラさん来たかな?」

 ニシハラが誰かも分からず、首を傾げると何故か笑われた。

「あ、いいや。君達、四番作業出来る?」

 その作業はさっきまで目の前でやっていたあの作業のことだろうか。しかし、見ていただけでやり方は分からないので素直に「分からないです」と答えると

「こりゃ、問題外」

 そう吐き捨てられ、また捨て置かれた。
 結局、昼休みになる前に朝の案内係の年配者がやって来て掃除をすることになった。
 午後はウェスにアルコールを噴き付け、工場のあちこちを拭いて回るように伝えられた。
 何か作業が発生すれば呼ぶからと言われたが、呼ばれることはない気がした。
 小太りは「ラッキーだよ」と喜んでいたが、痩身は「ウェス、アルコール、ウェス、アルコール」とぶつぶつ繰り返していた。

 昼休みはパイプ椅子と長机がびっしりと並んでいる以外に自販機すらない休憩所で過ごした。小太りと痩身はどこか別の場所で休憩を取っているのか姿が見当たらず、私一人で誰と話すこともなくただただ時間が過ぎるのを待った。
 その間に、これはどういった類の仕事だろうかと考えてみた。
 具体的に何かを作ったりすることには携わっていないし、午後もその気配はなさそうである。
 少しばかし考えてみて、これは疎外感を金に換える仕事だと私は理解した。
 休憩時間の終わりまで、まだあと二十分もある。
 そんな時間でさえも耐えなければならないのがこの仕事なのだとも、私は理解した。

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