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【小説】 空気「正常」機 【ショートショート】

『冷め切った家庭内、ギスギスした部署内、腐敗し切った上層部の空気にも!』

 そんな謳い文句が書かれたパンフレットに目を通しながら、デスクの足元に密かに設置した「空気正常機」の電源を点けてみる。
 見た目は普通の空気清浄機だが、空間のホコリや浮遊物を浄化するものではない。

 二ヵ月前、俺の部署のエース・前田と派遣社員の我妻の交際が発覚した。
 社内恋愛はご法度とは言わず、まぁ目を瞑れる範囲でなら……というのがうちの方針だったのだが、都合が不味かった。

 前田はまだ二十六になったばかりだが仕事が出来て背も高く、誰が見てもイケメンで社内で大変な人気のあるナイスガイだった。
 それを狙っていたのがうちの部署の花輪という教育係の女で、誰の目で見てもありありと分かるほど、前田に惚んでいた。

 物忘れがひどい私に対して、いつもぶっきらぼうに

「何回言っても分からないのは何故なのか、答えてもらっていいですか?」

 と冷酷非道な物の言い方をする癖に、前田がうっかり忘れ事をすると

「前田君いつも忙しいもんね? ひとりで抱えないでみんなで仕事しよ? 営業さんをサポートするのも私の仕事だから、遠慮しないでね?」

 などと、声のトーンを二つも上げて話すのだ。
 その花輪が教育しているのが派遣社員の我妻という美人で、性格が大人しいもんだから花輪にやり込められている場面にこれまで何度も遭遇したことがあった。

「我妻さん、この前のおさらい。ここからここのセルに必要な情報を入力してみて。いちいち見てられないから、出来たら声掛けて」
「……はい」
「は? ちょっと待って、っていうかキーボード触らないで。ていうか、いきなり間違ってるんですけど。何入力してんの? そんなこと教えてないよね? 誰にやれって言われたの?」
「……えっと、すいません。別のシートと混同してしまって」
「あー、もういいわ。あたし今日忙しいからさ、社内資料読んでて。あんたに構ってる時間ないから」
「……すいません」
「ぶっちゃけ言うとイライラすんだよね、あんた。相手してるとこっちが疲れるっていうか」
「…………」
「ったく……仕事も出来ないのにオトコは出来るんだね。あっ! メグちゃ~ん! 出力してくれたのぉ? ありがとう~! って訳で、あたし忙しいからあんたは資料でも読み込んでて」
「…………」

 あまりに残酷な対応だ。それもあの前田が我妻に惚れているという噂が出た途端に、あぁなってしまった。ただ惚れているだけなら良かったのだが、交際までおっ始めてしまったもんだから近頃部署内の空気が重たくて重たくて仕方がないのだった。

 何ちゃらハラスメントが怖くてガツン! と言えない私は通販サイトで一万円を切っていた空気「正常」機だなんて怪しげな商品に縋るしかなく、機械の「AUTO」と書かれたボタンを押してみる。

 五分……十分……やはり何も変わらないだろうと思っていると、花輪が驚いたような表情で我妻に駆け寄った。
 また粗でも見つけて小言でも吐くつもりなのだろう。
 そう思ったが、違っていた。

「我妻さん、ごめんね! 資料ばっか読んでたらつまんないよね?」
「えっ……まぁ、はい……」
「あたしが作った練習用のエクセルシートあるからさ、使ってみる?」
「いいんですか?」
「いいのいいの。だって教育用に作ったんだから」
「ありがとうございます……!」
「あっ、社内資料ボロボロ……いっぱい読み込んでくれたんだね。ありがとうね」
「あ……いえ……」
「それ、もう捨てちゃいなよ。PDFにしたのあるから、その格納場所もついでに教えるね」
「ありがとうございます!」 

 なんということだろう。私は、夢でも見ているんだろうか?
 あんなにギスギスしていた二人の関係が今や正常な教育担当と新人の間柄のようになっているではないか。

 これは……効果絶大かもしれない。この空気「正常」機のカバー範囲はかなり広範囲のようで、シマが異なる隣の部署からも楽し気な笑い声や話し声が聞こえて来た。連中は冴えないオヤジばかりで、いつも薄暗い空気だったのだが今は笑いながら健康診断の結果などを話し合っているようだ。

 これはイイ買い物をした。機械ひとつでみんなが平和に過ごせるなら、それに越したことはない。何より平和が一番だ。
 和やかな空気の中で仕事をすると作業も捗り、うちの部署も同じフロア内の部署の成績もぐんぐん向上していった。

 しかし、すぐに問題がやって来た。
 空気「正常」機を導入してわずか一週間でフィルター交換のサインが点滅し始めたのだ。
 正規フィルターが入荷までに一週間待ちとなっていたので、翌日配送可能な互換性のある他社製のフィルターを急いで注文した。
 花輪が我妻を見る眼つきが夕方になると、若干きついものに変化していた。

 翌日の午前にフィルターが届き、私は急いでフィルターを交換した。
 よほど空気が悪かったのだろう。外したフィルターは真っ黒く汚れ切っていた。

「我妻さぁーん? 悪いんだけど、この資料至急作成よろしくぅ」
「あの……花輪さん、手順をまだ教わってないです」
「はぁ? 教わらないと出来ないの? 派遣って即戦力なんじゃないの? あ、戦力じゃなくて奴隷の間違いだったかなぁ。ごっめ~ん。じゃあ掃除でもお願いしようかなぁ。それともシュレッダー係がいいかしら。どっちがいい? あんたにお似合いのお仕事、選ばせてあげるぅ」

 マズイ! これはマズイ! 早くも濁った空気が部署に蔓延し始めてるじゃないか。
 私は手早くフィルターをセットし、大慌てで電源を点けた。そして、「MAX」というモードを選択した。今すぐに空気を正常化しなければ、ただならぬ事件でも起きそうな予感がしていた。

 空気「正常」機が作動し始めてたった三分で、その効果が現れた。
 パソコンの前でモニターと睨めっこしていた前田が急に立ち上がり、奇声に近い大声を上げた。

「よーし! いけるぞぉ! 原部長!」
「おっ、おう? どうした?」

 前田はスーツのジャケットを肩に掛けると、私の所へやって来た。
 歩く姿の熱量が何やらすさまじく、蒸気でも出そうな雰囲気を醸し出している。

「会社の信念を貫いて、ドミンゴ社にもう一回営業掛けて来ますね! かまいませんよね!?」
「おい、あそこは断られたんだろ? それに、アポがまだ……」
「ハハハ! アポなんて要りませんよ! 僕の顔と、この会社の信念がアポですよ! じゃあ行って来ます!」
「おい……」

 一体、前田に何が起こったのだろう……。やたらテンションが高かった。
 そう思ったら、私以外の誰も彼もが、エネルギーに満ち溢れた顔つきで業務を行っていた。

「花輪さん! その調子でこっちの資料もまとめちゃって! 自分の正義を貫いて!」
「はい! 私はこの会社の信念と共に、私の正義を行うだけです!」
「それでいいわよ!」

 隣の冴えない部署からも活き活きとした声が飛んで来る。

「もしもし? はじめまして! 弊社は世界一素晴らしい企業の遠藤商事と申しますがさっそくお話しさせて頂きますね!」

 これは、どういう風の吹きまわしだろうか。私以外の誰もが、夢中になって仕事をしている。それも、かなり高いテンションだ。

 異様な光景に戸惑っていると、私宛の電話が掛かって来ていると部下の山下がやって来た。

「原部長! ドミンゴ社から電話です! なんでも前田が「社長に会わせろ」と直談判し、それを止めた警備員をぶん殴ったそうです!」
「なぁんだと!?」
「まったく、ふざけた野郎ですよ!!」

 本当、何してくれてるんだ! あのバカ前田、イケメンで仕事が出来て美人とニャンニャンしてるからって調子こきやがって!

 業界最大手のドミンゴ社にご迷惑をお掛けするなんて、会社丸ごとタダでは済まされないだろう。私はすぐに電話を代わるよう山下に伝えた。

「まったくバカモンが! すぐに代わる!」
「俺がガツンと言ってやりますよ!」
「おまえ、何言ってんだ?」
「前田さんの正義を踏みにじるなんて、あのドミンゴの野郎ども……ふざけやがって! 我が社の信念をありったけのパワーとジャスティスで伝えてやりますよ! 止めないで下さい!」
「おい!」

 日頃大人しい山下まで、正義正義とは一体どういうつもりだ。 
 もしかして、と思いながら私は先ほど捨てたフィルターの説明書をゴミ箱から戻し、ある項目を確認してみた。

 そこには、こう書かれていた。

『MADE IN USA』


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