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【小説】第二秘書浅見賢太郎 【Ⅰ】

 ここに、とある人物の手記がある。
 決して上手いとは言い難い文字や文章を見る限り、日記と呼べば良いだろうか。
 日記の持主は正文学会という新興宗教団体代表・吉原大源の第二秘書を務める浅見賢太郎である。

 年齢二十六歳。身長一八一センチ。冷涼な切れ長の目、幸薄そうな薄いピンクの唇、細く高い鼻の持主であり、運動神経も抜群。彼を見る者の大半はその目を奪われ、男女問わず、一瞬心も奪われる。
 しかしながら、当の彼本人の心は高校受験の頃から既に団体代表・吉原大源に奪われている。

 浅見賢太郎は度を過ぎる程、とにかく勉強が出来なかった。合格出来そうな学校はまともになく、高校受験に悩んでいた夏のある日、その頃両親が入信したという正文学会のビデオ講演会へ半ば強引に連れられたのが彼の宗教人生が始まるキッカケであった。

 ビデオに映る丸々と肥えた吉原大源という指導者を、その場に居た全員が熱心に崇めていた。信者達が題目を絶叫する姿や、吉原の講演に涙する者を眺めている内に、浅見は身体の内側から湧き上がる猛烈な熱気を感じていた。

「君、信じている宗教はあるの?」

 講演ビデオが終わり、地区リーダーを名乗る七三分けの男に問われ、浅見は答えた。

「あ、あのっ、俺は映画とかで見て、キリストとかなんかカッコいいって思ったんで、クリ、クスリ? クスリチャンに憧れてると思います」
「キリストか……うん、彼は結局、悩める人生の答えの全てを神に投げただけに過ぎない。真の教えというのはね、答えもちゃんとあるんだ。それが正文学会に、そして吉原先生にはあるんだ」

 賢太郎は話の八割を理解出来なかったが、地区リーダーの熱い熱い折伏を受けたことで即日正文学会への入信を決めた。

 浅見は涼しげなルックスとは裏腹に、英語数学理科国語は軒並〇~八点と、その成績は凄惨を極めていた。社会だけは常にニ十点付近という彼にしては高アベレージを叩き出してはいたが、まともな高校へはその入口にすら辿り着けそうもなかった。

 浅見は幾ら勉強をしてみても要点を見極める事が出来ず、効率という概念すら分からず、試しに塾へ通ってみたものの、あまりに理解力のない浅見にイラ立った講師に二日目にして突然ブン殴られ、早々に辞めてしまっていた。
 しかし、一縷の望みが発する光を彼は捉えていた。

『題目を唱えることで人生が前向きになり、そして目標を必ず突破する事が出来る』

 ビデオ講演会の帰りしな、地区リーダーにそう言われたのだ。なので浅見は大真面目に毎日毎日勉強はせず、必死に題目を唱え続けた。
 すると、マクロ単位の極小奇跡が起きた。
 題目の成果なのか、地区で一番偏差値の低い高校ではなく、通学が家から片道一時間半も掛かる偏差値が県内で『二番目』に低い高校への入学を果たしたのだ。

 合格発表の日。浅見の日記には、こう書かれている。

「センセーのおきょうはスゴイ! 受検をせいこうさせてしまった。オレが受かったのは一番ひくい所じゃない。なんと二番目だ。これからはもっともっと、正文のことをみんなにセン電しなければいけないから、がんばるぞ!」

 正文学会の題目は日現宗の教えを元に(丸パクリ)したものであり、センセーの作り出したお経ではないが、とにかく高校へ入学した後はセンセーのお経を一生懸命宣伝しようと浅見少年は心に決めたのである。

 浅見は高校に入るや否や、その類稀なるルックスから学年問わず、一躍校内の人気者となった。
 部活は動神経を活かしてバスケット部へと入部。入部したてで単にボールのドリブル練習をしているだけの彼をひと目見ようと、放課後の体育館には我先にと女子の行列が出来た程である。

 群馬の片田舎出身でいまいち垢抜けない上、本人は真面目なつもりでも馬鹿なことばかり目立つので男子からも人気があった。
 ある日、浅見は空腹に耐え切れず授業中に弁当を食べていて教師に叱られてしまった。

「浅見! 弁当は昼間に食うもんだ! 授業中に食ってどうする!」
「先生、大丈夫です! もう一個あります!」

 浅見は机の中からもう一つ弁当箱を取り出すと、教室は爆笑に包まれた。

「馬鹿野郎! おまえ、本当に馬鹿だな!」

 教師もつられて笑う。だが、浅見本人は何が面白いのか分からずにいた。
 その純真無垢な心は正文という光を強く求め、ただひたすら進み始めていたのだった。

 これはその頃の浅見の日記である。

「こんなグン馬の山の中でも、オレはしやわせだ。ダイモクをあげていると、センセーに守られている気がするからだ。一しょにいる気がする。毎日へいわにすごせているのも、センセーのおかげだ。オレはわかったぞ!」

 その頃、浅見は正文地区リーダーに信者を増やす行いが自分にとっての成長になり、そして功徳を積むこととなり、やがて現世の幸せに繋がると教えられていた。
 玄関が開けば数人で宅内へ押し掛けるなど、半ば強引な手口で信者を増やし続けていた正文学会であったが、その行為を団体内では「広宣共有」と呼び、当然のようにノルマも課せられていた。

 しかし、浅見は素直に「それは凄い、もっと増やさなければ!」と感動していたのだった。
 広宣共有。それは皆が幸せになる為に正文の教えを広め、そして教えを信者達で共有する事により己の人間としての価値が上がる。そこに功徳があり、そして幸せに直結する。要は「信者を増やせ、一般人をもっと入信させろ、他宗教なら折伏しまくれ」という教えであった。

 浅見は早速校内での勧誘活動を始めた。

「皆で幸せにならないか?」

 これを決め文句とし、男子も女子も教師も問わず、片っ端から勧誘しまくった。各地の正文会館で定期的に行われる講演会のビラを配り回った。

 すると、友人が急激に減った。浅見を取り囲んでいたクラスメイト達が口もきいてくれなくなった。浅見が授業中に発言をすると、皆一様に下を向くようになった。様々な噂が流れ、その人気は失墜し、体育館前の行列はサッカー部キャプテン山本の前へ移った。

 素晴らしい教えを広めたいのに、何故伝わらないんだ。何故。浅見は焦りのあまり、普段あまり交流のない別のクラスの大人しい男子女子問わず、「遊びに行こう」という口実でもって多少強引に正文会館へ連れて行ったりしていた。
 しかし、全員で題目をあげている途中でその大半に逃げられた。

 校内の宗教活動は校則で禁止されており、浅見は後日、両親共々呼び出された。「エイトマン」という渾名の校長は困った顔で浅見一家にこう告げた。

「えーと、校内での、えーと、宗教活動というのは、えーと、これは校則で禁止されているものであります。よって、えーと、浅見くん。今後は、絶対に! こういったことのないように、えーと、願いたい」

 すると、母親は浅見へ向き直すと、なんとエールを送り始めたのである。

「賢太郎。あなたはとても良いことをしたのよ! 教えを広めたいという心がね、まだ皆に伝わってないだけよ! 頑張って! これは賢太郎自身の人間維新なの。これも使命だわ!」

 人間維新とは生きる中で人として成長し、そして人間としての維新を達成するという大きな指針であった。
 すると、父親も浅見の肩を掴んで、熱くなってこう叫んだ。

「賢太郎、今が試されている時だ! おまえにとって、この学校が広宣共有の爆心地だ! 俺だってな、会社が爆心地だ! ここから始めるんだ! さぁ! 勝つんだ! 勝て! 賢太郎!」
「賢太郎ー! ファイトー!」
「えいっ! えいっ!」
「オーッ!」

 父親は鼓舞し、母親は盛り上げた。賢太郎は大きく頷き、自信に満ちた表情でエイトマン校長に微笑んでから「オーッ!」と叫び、拳を突き上げた。
 エイトマン校長は「えーと、えーと」と呟きつつ、引きつった笑みを終始浮かべていた。

 結果、浅見は停学二週間の処分となった。

 続く。

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