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【小説】 秋桜とナイフ 【ショートショート】

「おまえら、嘘ばかりついているとロクな大人にならんぞ。どうなんだ? え?」
「か、金原くんに、やれって……言われました……」
「金原も川谷も言ってないって言っているぞ。それに、清水さんだっておまえらが「いつも私のことを変な目で見てた。怖かった」って言っているんだ。どうなんだ?」
「ち、違います、僕が好きな人はベーゼンデル物語のヒメリアちゃんだけです!」
 
 すると、突如として立ち上がった年増の中年女教師が僕の頬を思い切り引っ叩いた。

「いい加減現実を見なさい!」

 不良グループのリーダー金原は僕と佐川を先生達から見えない場所で、隠れていじめている。
 いじめは生徒達の間では黙認されていて、大人しい性格の僕と佐川はただ黙って言う事を聞き、地獄のような毎日に堪えるしかなかった。
 
 秋葉原まで出向いて買った限定ブックレット、大好きな声優さんのCD、漫画は全て金原の子分、川谷のバイクに轢かれて笑いながら燃やされた。

 ずっと楽しみにしていた声優イベントへ佐川と向かう途中、僕らは金原に偶然会ってしまい有り金を全部取られた。
 屋上で佐川と二人で裸にされ、互いの性器をしごき合うように命令されて、動画を撮られた。握っているうちに少しずつ大きくなる他人の性器の生々しさが怖かった。
 金原はいつも笑っていた。急に笑うのを収めるといつも僕らの顔以外の場所を殴ったり蹴ったりした。

 昨日のお昼休みの事だった。金原は屋上に僕らを呼び出し、あるミッションを僕らに与えた。

「手島、佐川。おまえらのどっちが早く清水友香で抜けるか勝負しろ」
「あの……こ、ここで?」

 僕がそっと手を上げてそう聞くと、金原は僕の脛を蹴って吐き捨てるようにして言った。吐き捨てられたとしても、僕らの存在価値なんか金原の噛むガム以下の存在だった。

「手島ぁ、バカか? 本人の目の前でやれって言ってんだよ」
「そ、それは……できない……」
「あっそ。川谷、あの動画グループラインで流しちゃって」

 長髪の川谷が「うぃー」と軽く返事をした。僕はもうどうにでもなれ、という気分でいると佐川が細い身体を震わせながら叫んだ。

「ぼ、ぼ、僕はや、やらせていただきます!」
「へぇー、ガッツあるじゃん」

 金原が拍手しながら佐川の頭を叩くと、撮影が始まった。
 階段を降り、清水さんがいる教室へと向かう。僕らの背後ではスマホで動画を撮影する金原軍団の足音がゾロゾロと聞こえて来る。

「……佐川、なんであんな事言ったの?」
「……うるさい……俺は……おまえみたいに臆病じゃないんだ……俺は……」
「俺は……って、何だよ?」
「……お、おまえに分かってたまるか……」

 教室が近づくと、真っ赤な顔をして細い目を吊り上げながらも、佐川がチャックを下ろした。
 僕も仕方なく股間をまさぐりながら、おそるおそるチャックを下げた。
 お母さんは当然だけど、こんな僕の姿を知らない。妹も、お父さんだって。

「みんなから構われちゃって、相手するのが大変なんだよ」
「あなたがみんなの人気者になってくれてね、お母さん嬉しいわよ」

 そう言って涙ぐむお母さんの顔が目に浮かんだ。僕は中学から変わらず、高校になってもイジメられているんだ。ごめんよ、お母さん。
 佐川が先に教室へ飛び込み、清水さんの名前を叫びながら性器を見せ付けた。躊躇っている僕の背中を誰かが蹴った。僕は性器を露出させながら、教室の中へ吹っ飛ばされた。
 悲鳴、怒声、廊下から聞こえて来る笑い声。
 沢山の声を聞きながら、性器を出したまま教室の天井を見上げた。意識の片隅で、佐川の絶叫する声が聞こえて来る。僕はあまりにも自分の全てが情けなくて、泣く事すら馬鹿馬鹿しく思えた。
 
 そして、何も知らない先生達に理不尽に怒られた。
 性衝動と向き合い、抑える事が思春期を過ごす少年の義務だ。と白々しいお言葉を頂いた。今度、僕と佐川のためだけに保健体育の授業を行うそうだ。

 放課後になって、僕らは再び屋上で金原軍団の前で並ばされている。
 川谷がゲラゲラ笑いながら僕らに動画を見せてくる。

「最高傑作いただきましたー! おまえら下手な芸人より根性あるっしょ! なぁ、カネチー、この動画、サイトにアップしよーぜ!」

 金原は僕らの前に立って、ゴミを見るような目で僕らを見下した。

「やれって言われて本当にやるんだもんなぁ、おまえら。なぁ、自分で情けないとか思わない訳?」

 金原のポケットからカチャカチャと音がして、銀色に光るバタフライナイフを僕らに見せつけた。

「おまえらさ、もう死んでるよ。今日の出来事をさ、五年、十年、二十年経ってから笑って話せるのか? 出来ないよな? だって馬鹿だし、弱いし、情けないもんな、おまえら。何本当にやってくれちゃってんの? 川谷は頭わりぃーから喜んでっけど、白けるんだわ、あぁいうの」

 やらせといて何言ってんだ、こいつ。僕はふつふつと怒りが湧き上がって来た。

「ムリだろうけど、おまえら間違っても結婚なんかすんなよ? どうせおまえらのガキも同じ目に遭うんだから。まぁ、ガキが出来たら俺がとことん追い込んでやるよ。おまえらも、おまえらのガキも、死んだ方が世のためだからな。で、動画拡散されたくなかったらどうしたらいいか分かってるよな? いくら持って来れる?」

 金原が僕らの顔の前にバタフライナイフを近付けると、佐川が鞄を開けた。顔を真っ赤にしながら、焦りを隠せない動きで何かを探している。
 笑顔になった金原が、バタフライナイフを下げた。

「おー、ガリちゃん話しが早いねぇ。今日はおいくらマン円持ってるのかな?」

 佐川が鞄から取り出したのは鈍い銀色の光を放つ、狩猟なんかで使うような、本格的なごついハンティングナイフだった。
 突然おもちゃに見えてしまったバタフライナイフをブラ下げながら、金原は自分の頬を触りながら笑い始めた。

「ははは、ダッセーの。何それ?」
「お、俺は、俺はおまえを殺す!」

 口角に泡を作って佐川が叫ぶと、金原軍団が一斉に笑い出した。
 爆笑もんだよー、馬鹿のアカデミー賞だわー、おまえが死ねよー、秋の寂しげな香りのする空気を、そんな言葉が震わせている。

「ガリ。なめてんのか、おい」

 足を一歩踏み出して佐川の首を締め上げた金原が、その場に倒れ込んだ。

「えっ」

 佐川がそう呟いて、目を見開いた。金原軍団も一瞬にして黙り込んだ。
 ワザとじゃなかったのかもしれないけど、ナイフは倒れた金原の胸元に突き刺さっていた。

「佐川!」

 呻いている金原を置き去りにして、金原軍団が屋上から逃げ出して行く。
 早く救急車を呼ばないと、と思い佐川に声を掛けた。

「きゅ、救急車、呼んで来るから! か、金原を見ててくれよ、な?」
「えっ? え、えっ? えっ? えっ?」

佐川は顔面蒼白となって首を傾げながら、地面に倒れて呻いている金原の傍に座り込んで胸元に刺さったナイフを引き抜いた。
 ストローから飲み物が飛び出すみたいに、血がぴゅうっと跳ね上がる。

「おい、佐川! 抜いちゃダメだって!」
「……何、し、てんだ、て、め……」

 苦しそうにそう言って血を吐いた金原の傍で、引き抜いたナイフを手に佐川が「えっ、えっ? えっ? えっ?」と呟き続ける。僕が何を言っても反応を見せず、佐川は「えっ? えっ?」と、キョトンとした表情のままナイフを振り下ろした。何度も、何度も振り下ろし、佐川は見る見るうちに金原の返り血に染まって行った。
 白いワイシャツの半分ほどが血に染まると、金原はピクリとも動かなくなった。佐川が金原の胸元にナイフを突き立てると、それからもう動かなくなった。

 空気に鉄の匂いが混ざり、無言の時間が流れ始める。グラウンドの野球部の掛け声だけが、屋上に響いている。
 警察、病院、職員室、呼び出し……そんな事を堂々巡りで考えていると佐川が急に立ち上がった。

「あー! 今日、キャラ恋のオンラインイベントがあるんだー! 早く帰らなきゃー! 忘れる所だったー!」
 
 棒読みのようにそう叫ぶと、佐川は鞄を残したまま屋上から姿を消した。
 僕は一人取り残され、胸にナイフが突き刺さったままの金原を見下ろしてみた。
 目を閉じて、口から血を流したままグッタリと横たわっている。
 やっと死んでくれたのか。でも、どうでもいいや。
 何の感情も湧かないでその姿を見下ろしていると、本当に微かに、金原の呻き声が聞こえた。
 僕は中々部屋から出て行こうとしない、しつこい夏の蝿を連想した。

 ナイフの柄は思っていたよりずっとヌルヌルしていて、抜き辛かったし何よりも刺し辛くて仕方なかった。体重を乗せる、という身体の使い方の意味が良く分かった。

 夕暮れの帰り道。金木犀の香りが漂う街の中を、小さな子供達が走り去って行く。どっちがえらいとか、どっちがえらくないとか、そんな世界にまだ居ない子供達だ。

 僕は住宅街を抜け、街の真ん中を流れる川へ向かって歩き続ける。
 川原へ続くあぜ道を下る。川の生臭いような匂いが強くなるたび、夕方は薄闇へと姿を変えて行き、ぼんやりと浮かぶコスモスの花だけが嘘笑いでもしてるみたいに賑やかに咲き乱れていた。
 
 花を掻き分けてその真ん中に立つと、僕は何だかとても悪い事をしているように感じた。足元で折れるコスモスを見下ろすと、その気持ちはもっと強くなった。罪悪感が湧いた。けれど、それと引き換えに大量のコスモスの真ん中で見る景色は薄闇の中でも、とても綺麗だった。

 あぁ、知らなかった。こんな風に花は綺麗なんだ。もっと早く、気付けば良かったのに。
 でも、新しい発見があった。そうだ、佐川にも教えてやろう、そうしよう。

 僕は嬉しくなって、楽しくなって、子供みたいに夢中になって走り、コスモスの中から誰もいない川原へと飛び出した。
 
「なんだこれ」

 握り締めていたままのハンティングナイフに今さら気が付いて、僕はそんなものを持っている自分がとても面白く思えて来た。
 ははは、ははは、と一人で笑った。おかしくて、おかしくて、笑った。
 遠くで鳴っていたサイレンの音が近づいて来る。どんどん、音が大きくなる。その数も次第に増えて行く。

「なんだこれ」

 僕はもう一度、握り締めていたナイフを眺めて同じ言葉を呟いた。

「変なの」

 そう言って、僕はハンティングナイフを川に放り投げた。
 黒い影になったナイフが空に放物線を描いて、ぽちゃん、と可愛げな音がした。
 その途端に笑いが込み上げて来て、僕はもうとてもじゃないけど冷静でいられそうになかった。サイレンの音が耳のすぐ近くで止まった。その音は僕の笑い声で、掻き消されてしまった。

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