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自転車を買った

今年の夏、思いつきのように自転車を買った。
元々乗っていたのは籠付きの何てことはないママチャリだったものの、昨年から一日10kmを歩いたりするおさんぽ魔人、つまり、おさキチ三平と化していた僕は歩いてばかりで自転車に乗る機会をすっかり失っていた。
久しぶりに乗ろうとしたけれどだいぶ手を入れなければ乗れそうにもなく、近所のホームセンターに電話を掛けて見積もり依頼を出した所、ダミ声のオヤジが

「う"ぅ"ー、そういうのはねぇ、新しいのと交換しちゃった方が早いんですよ。かえって高くつきますから」

と、僕の傷ついたママチャリ「ニュー・フレッシュ・レモン号」を見ることもせず、オヤジは一方的にそう決めつけやがったのである。
怒りの余りホームセンターへ乗り込み、自転車コーナーの担当オヤジを連れ去り、大好きな自転車にオヤジを魔改造した後に朝方のホームセンターの駐車場へ放置してやろうかと思ったものの、これはきっと普通に犯罪になるな……と、踏みとどまったおかげで僕はこの記事を書けている。
読者も僕自身も、僕の良心の欠片に感謝なのである。

いきなり新しいのを買えと言われてもなぁ、そこまで金掛けたくねぇなぁ……と思案した後、シュンとなって頭を落とした目線の先にあるものが飛び込んで来た。

ポヨン!と音を立てて弾みそうな腹があるではないか。
開け放たれた窓から射す夏の陽光に照らされ、白い鏡餅のように「めでたいね!」とでも言いたげな様子で、僕の腹の上にいつの間にかそんなものが形成されていたのである。
僕はハッ!と息を飲んでベェッー!!と吐き出すと、すぐにこんな検索ワードをインタルネッツに撃ちてし止まんしたのであった。

『クロスバイク 中古 埼玉 即日』

どうせ自転車を買うなら、今の今まで心の中で憧れはある癖に、乗っている連中を見るたびに

「田舎っぺがウーバーイーツでもねぇ癖にぶってるんじゃねーよ💢💢💢」

と原因不明の怒りを剥き出しにしていたあの自転車を、僕は欲し始めていたのであった。

そうと決まればその日のうちに何とか手に出来ないかしら……と思い始め、検索すること二時間半。
自宅から25km離れた所で格安に手に入れることが出来ることが判明した。
こうしちゃいられない!ヨシ!腹の鏡餅を潰す為にオラ頑張るマンになるだ!なるだなるだ!
と孤軍奮闘し、バスと電車を乗り継いで無事に自転車を持ち主から買い上げたのである。

買い上げたので無論、帰りは漕いで帰らなければならない。
とは言っても自転車なんだからまぁママチャリと同じ容量で漕げばいいんだべ?オラ、知ってるど!ぐふふふ!うっしっし!とクロスバイクに跨り、ペダルを漕ごうとした途端に僕の頭の中はハテナマークで埋め尽くされた。

まず、ペダルが漕げなかったのである。
何をどうしてもペダルがピクリとも前回転せず、後回転しかしないのだ。
僕は焦った。いきなりの大問題発生である。
引き渡しの時に元の持ち主から

「漕ぎ方とか大丈夫っすか?」

と心配されたものの、僕の人三倍高いプライドが発動し

「あ、これなら全然問題ないですね。ありがとうございました」

などと「如何にも、私は分かっております」風に答えたことがいきなり仇になってしまったのだ。
しかもその日は街中で祭りをやっていやがったせいで(完全に腹いせ)、歩道には浴衣を着込んだ埼玉県民が右往左往してやがると来たもんなのであった。
右往左往する人達のド真ん中で僕は自転車を降り、目を白黒させながら

「あれー…あれー…おかしいな、ブレーキはジャストでピッチだし、自転車リムがハブで、ハブがつまり名人で、藤井聡太のはずなんだけど……」

と、にわか丸出しの謎自転車用語を呟きながらペダルをひたすらただ後回転させつつ、「ヒィィィィイ!!帰れないよおおおおお!!」と半べそを掻いていると、僕の真横を元・持ち主の車がブーッと去っていった。
心配して戻って来てくれるかニャン……?と期待したものの、結局戻って来ることはなく、歩道の真ん中でアセアセしていると、50メートル後方から

「わっしょい!わっしょい!わっしょい!」

と威勢の良い声が聞こえて来て、なんと曲がり角からドーン!と巨大神輿が登場したのである。
巨大神輿の周りには提灯を持ったいい大人達が戦車に守られながら進む一個小隊の如く群がり、大挙してこちらの方面を進んで来ているではないか。

このままでは低速度神輿に轢き殺されてしまう!!

危険を感じた僕は道の端で遊んでいた子供達に

「ごめんねぇ……おじちゃんが、ごめんねぇ、うへへ、うへ」

と、蛭子能収のように真摯に断りを入れ、自転車を寄せるだけ寄せて轢死をなんとか回避した。
これはどうしたもんかいのぉー、と思いながらあちこち触ってみると、どうやらロックが掛かっていることに気が付いた。
あー、なるほど。ア、ナルほどTHEワールドだわぁ!と問題は一気に解決し、無事にペダルを漕いで前進することが出来たのである。

そこから25km、漕いで帰ってやろうじゃないの!
と思ったものの、途中で雨に降られたり坂道がダラダラと続いたり、おまけに想像以上にケツが痛くなるわ(クロスバイクの椅子はめちゃくちゃ固いのです)で、僕のメンタルは制服を盗まれたセーラームーンくらいしょんぼりしてしまいそうになっていた。

けれど自宅圏内にようやく入った辺りで雨は上がり、夜の自然の中を走っていると心地良い風の匂いを感じたり、静けさを感じることが出来て

「1万円でこれが毎日味わえるならラッキーだな」

とすぐに感傷をカネに勘定し、腹の鏡餅を減らす算段まで出来るくらいにメンタルは復活したのであった。
無事に自宅へ到着した翌日。
自転車の防犯登録も兼ねてメンテナンスの依頼をしようと、再び憎きホームセンターへ電話を掛けたのである。
電話に出たのは例のあのオヤジだった。

「預かりになりますよ。そんなね、うちで買った自転車じゃないから後回しですよ、そんなのは。あのねぇ、大体二週間以上は掛かるもんだって思ってもらわないと!こっちだってね、その日その日で出来る訳ないんだから」

キィーッ!あぁ言えばこう言いやがってこの腐れオヤジめが!!
と思った僕であったが、メンテナンスは自分ですることにして防犯登録だけ依頼しにいざ、オヤジと対面しに行くことにしてみたのである。

ホームセンターの中へ自転車を持ってコーナーへ行くと、前掛けをしたデッカいオールバック(森元総理みたいな頭)をした、いかにも性根が腐り切ってそうなオヤジが「なんですか?」と言わんばかりの態度で現れた。

「あのー、電話したものですけど」
「あー、スポーツ車の?あー、これねぇ。はいはい」

オヤジは引き出しから防犯登録用紙を取り出すと僕の前にバーン!と叩きつけるよう置き、こことこことここを書いて。とだけ言って、奥へと消えてしまった。
車台番号だけが分からずに再び戻って来たオヤジに訊ねてみると、オヤジはそれだけでもう不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「分かんないってあんたねぇ、あんたの自転車でしょ!?」
「昨日譲り受けたばっかなんで、何も分からないんですよ。こういうの大体、どっかに書いてあるもんなんですか?」
「……おい、サブちゃん!サブちゃん!」

オヤジは苛立ちながら相方と思しきハゲた中年眼鏡を呼ぶと、僕の自転車を逆さまにしろと指示を出した。
車台番号はフレームの裏側に書かれていることが多いらしく、自転車を逆さまにしたサブちゃんはラッコ座りのカップルのような姿勢で僕の自転車を抱き始めた。
すると、オヤジは老眼鏡を掛けてフレームに近付いて行き

「えー……〇〇の2、4……えー、これはエム?んんんん?」

と、老眼全開で番号を読み始めた。
その間にサブちゃんの体力は限界を迎え、僕の自転車がゆらゆらと揺れ始める。
すると、

「あっ、あっ、アッー!!」

というサブちゃんの悲鳴と共に、自転車は真横にバターン!と音を立てて倒れてしまった。
まるでプロレスラーがロープ上から倒れた相手ち飛び込むダイビングボディプレスみたいな倒れ方だった為、僕は「おいおいおい」とサブちゃんではなく自転車を心配して駆け寄ってみると

「あの、僕もプロなんで!大丈夫です!」

とサブちゃんは怪我をしていないことを僕にアピールして来た。
手伝いましょうか?と自転車を心配して声を掛けてみたものの、オヤジは「大丈夫だから!」と僕を全否定した後、倒れた自転車に横向きになって顔を近付け始める。
結果、やっぱり見えないとのことでオッサン二人掛りで自転車を反対にさせたまま、何故か僕が車台番号を読み上げることになった。

「読んで!ねぇ、早く読んで!」
「えーっと、MDの2586の4の」
「大きい声で!もっと、もっと大きい声で!」
「エムディーのぉ!にぃごーのぉ!!」

いや、これは僕が見て紙に書けば良いだけじゃねぇのか?
とは思ったものの、オヤジは頑なに震える片手で車台番号を記入することを止めなかった。

無事に防犯登録が済んでようやく帰れるかなぁと思ったら、今度はオヤジが僕の自転車を睨みながらこんなことを言い始める。

「あんた乗り慣れてないだろ?ここ、危ないよこんなんじゃ」

そう言って、タイヤをロックする為のクイックレバーを指差した。レバーは下方を向いて止まっていたものの、通常の向きは横から上が基本なのだそうで、下向きのままではレバーが木の枝に引っ掛かったりして事故の元になるのだとキツく指導を受けた。
なるほどなぁーと思っていると、今度はタイヤの向きを調整し始めた。

「ほら、若干右に寄って回転してるだろ?ほら、見てみろよ。な?これじゃあ、あんたダメだよ!ママチャリじゃないんだからさぁ、ちゃんと真ん中に来るように調整しないとさぁ!」

とブツブツ言いながら、今度はタイヤを調整し始める。結果的にチェーンやブレーキの様子も見てもらい、(というか、職人魂に火がついたのだろう)、結果的にタダでメンテナンスをしてもらえたのであった。
口うるさいけど嫌なオヤジではないのかなぁと思い、礼を言って出ようとするとこんな質問をされた。

「昨日は何処から乗って帰って来たんだい?」
「えっと、〇〇です」
「……何キロぐらいあった?」
「25km走りました」
「お、やるねぇ」

その一言が嬉しくて、僕はちょっと嫌になり掛けたクロスバイクをまた好きになった。
だから次また文句を言われても、あのオヤジを拉致して自転車に改造することは止めておこうと思う。
もし文句を言われたら、身体のことも考えて原付バイクに改造してやろうと心に決めて、僕はホームセンターを出たのであった。

中々減らない鏡餅を減らす為、今日も自転車を漕いでいる。
鏡餅が減らない代わりに、最近妙にふくらはぎが太くなった。
それを見るたび、僕は世界の山ちゃんを思い出す。

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