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【小説】 幸せクレジット 【ショートショート】

 俺はずっとダメな人間だった。
 高校を中退してからというものの、定職にも就かず遊び呆ける毎日を送っていた。
 金が無くなれば親を脅してせびり、それすら尽きると街を歩く奴らから金を巻き上げるようになった。

 金はギャンブルに風俗、そして浅い付き合いの仲間に見栄を張る為だけに次々と消えて行った。
 消費者金融から借りた金は踏み倒し、裁判所からの呼び出しにも応じなかった。

 こんな俺がまともな職に就けるはずもなく、居着いた先は産廃の山から使えそうな木屑を集める業者だった。
 古クギで怪我をして高熱を出していたある夜、当時住んでいたボロアパートに俺を訪ねてやって来た女がいた。

「西浦さんが大変だって聞いて、仕事終わってそのまま来ちゃったんですけど……」

 俺の部屋へやって来たのは事務員の葉子だった。年は俺の一つ下で、それまで話す機会なんて滅多に無かった。甲斐甲斐しく俺の看病をしてくれる葉子はそれほど美人でも可愛い訳でも無かったが、俺はこいつに惚れ込んだ。そして、そのまま付き合う事になった。

 月日は流れて俺達の間に子供が生まれ、郊外の団地に引っ越す事になった。
 決して新しくはない団地だったけれどそこに住む人達は皆優しく、俺達一家を迎え入れてくれた。
 一家の大黒柱として、さぁこれからだ! と思っていた矢先、ある問題が起きた。
 過去の浪費癖や借金が原因で、ずっと欲しいと思っていたミニバンの審査に通らなかったのだ。

「英輔、車なんて中古だって良いじゃない。それに、大きい車なんて必要ないよ」
「いいや、ダメだ。俺達一家を運ぶ車は新車じゃなくちゃいけない。これはプライドの問題だ」
「プライドよりも現実を見て? ねぇ、お願い」
「こればっかりは……譲れないんだ」

 俺の家は昔から貧乏だった。親父の借金のせいで車もカタに取られ、小さい頃からいつもひもじい思いを強いられて来た。だから、子供の前で俺は常にかっこいい太っ腹な親父でいたかったのだ。

 昔の悪い仲間にオートローンの相談をしようと迷いながら家の近くを歩いていると、古臭い貸店舗にいつの間にか「酒井商店」というリサイクルショップが出来ているのが目についた。
 引き戸を引いて中へ入ってみると、吊り目の主人が山のように積まれた雑多な在庫を上げたり下ろしたりしている最中だった。

「お客さん、散らかってるけどごめんなさいね。ゆっくり見て行って下さいよ」
「あぁ、はい」

 見て行って、と言われても店内に置かれているのは中古のマンガ本や古い型の掃除機、陽に焼けた玩具などジャンル不確定で売り物なのかゴミなのかも分からないような物ばかりだった。
 店の中をぐるりと回って出ようとすると、ある貼り紙に気が付いて俺は店主に声を掛けてみた。

「すいません、これってここで受付済ませれば良いんですか?」
「はい、はい、ちょっと待っててねー。あー、幸せクレジットですか? はい、受付やってますよ」
「これ、利率も何も書いてないですけど、枠とかどうなってるんですか?」
「あー、これはお金じゃないんですよ」
「は?」
「幸せを前借りするクレジットなんです。ま、ジョークみたいなもんだと思いますけどね。けど、やってる会社は実在するちゃんとした会社ですよ」
「ふーん……まぁ、申し込んでみてもいいか。すいません、お願いします」

 小さなガラス細工の人形がちまちま並ぶレジカウンターで受付を済ませ、入会金の三千円を払って俺は店を出た。
 少し多めのお賽銭みたいなもんだと思えば良い。
 そう思ったが、心の中で幸せのクレジットに思わず期待している自分も居た。

 団地の階段を昇り、家のドアの前に立つと葉子のはしゃいだ声が外まで漏れて来た。何をそんなにはしゃいでいるんだと思い、俺はイライラしながらドアを開いた。

「どうしたんだよ、うっせーな。声響いてんぞ」
「英輔! 車、車が当たったのよ! 車!」
「はぁ? 当たったって、何が?」
「広告で応募してたの、まさか当たる訳ないと思って応募したら、当たったのよ!」
「え、嘘だろ? 本当に?」
「今電話掛かって来たもの! ほんとよ!」

 その数日後、手続きを済ませると本当に我が家に新車のミニバンが届けられた。
 俺達は有頂天になって車に乗り込み、無駄にあちこちを回りながらドライブをした。三歳になる息子は若干酔ったのか気持ち悪そうにしていたが、俺はとことん気分が良かった。

「よーし! ステーキでも食いに行こうか! 健人も食えるものくらい、何かあるだろ」
「英輔、ステーキなんか食べたら今月厳しくなるよ」
「大丈夫大丈夫。なんとかなるって!」

 ハンドルを叩きながら、俺は幸せクレジットの事を思い浮かべてみた。いや、馬鹿馬鹿しい。車が当たったのは単なるラッキーだ。金は苦しいが、今月いっぱいなら何とかなるだろう。
 そう思いながら高級ステーキ店の扉を開いた途端、俺達一家は店内に響き渡る耳をつんざく勢いの拍手で迎えられた。

「おめでとうございます! お客様は当店十万人目のお客様でございます! 本日は特典として全てのメニューを無料で提供させて頂きます!」

 店員だけじゃなく、店にいた客達までも俺達一家を祝福していた。俺と葉子は顔を見合わせ、互いの驚きの表情に笑い合った。
 たらふく満足に食った俺達は店を出て今度はガソリンを入れに行った。すると今度はセルフ機のルーレットで大当たりが出て、ガソリン代が無料になるどころか釣りまで返って来た。

 これは本物のクレジットなのかもしれない。
 いや、あの店主はジョークみたいなもんだと言っていた。まさかな。偶然が続いているだけだろう。

 そう思っていたが、翌日仕事場へ行くと俺の上司で部長のオヤジが今朝突然亡くなったと聞かされた。
 従業員は十人も満たない小さな会社だったから、俺はその日から一気に部長に格上げとなった。

 給料も上がり、全てが順風満帆に行っていた。
 息子の保育園も難なく抽選に当たり、葉子のパート先もすぐに決まった。それから国内旅行券が二回続けて当たり、俺達一家はやることなす事全てが上手い方向へ転がるようになっていた。

「私、幸せ過ぎて怖いくらいよ」
「全部俺達が呼び寄せた幸運なんだ。何も心配なんかいらねぇって」
「違うの。幸せに溺れそうで、怖いってだけ」
「溺れた時はよ、俺が助けてやっから」

 そんな風に言って、俺達は笑い合っていた。

 その一週間後の事だった。
 保育園で息子の健人が怪我をしたと連絡が入り、俺は急いで病院へ駆けつけた。
 みんなと遊んでいた所、何かに爪を引っ掛けて親指の爪が剥がれてしまったという事だった。
 俺は保育園に非があると思い、そこに居合わせた保育士に向かって怒鳴り散らした。

「ちゃんと監督してないからこんな事になるんでしょ!? 頭でも打ってたらどう責任取ってくれるんすか!? ええ!?」
「英輔……違うのよ、悪いのはこの子なの」

 葉子の話を聞けば皆で遊んでいた所、息子が突然癇癪を起こしたように友達の玩具を奪ったのだと言う。取り合いになっても息子は意地でも離そうとせず、玩具が引っ掛かって爪が剥がれたのだと。その相手の子はうちの息子に奪われた玩具で頭を殴られ、六針を縫う大怪我をしたのだと聞かされた。

 すぐに同じ病院内で健人が傷付けた子供の処置を待つ両親に詫びを入れた。
 深く頭を下げて慰謝料を払う事で納得はしてもらえたのだが、気分は塞ぎ込んだままだった。

「俺達の教育、何か間違ってたんかな?」
「突然暴れたっていうから……小児科で一度診てもらった方がいいよね」
「その時は俺も一緒に行くからよ……わりぃ、電話だ」

 拗ねた顔で包帯の巻かれた指をいじる息子を眺めながら電話を取ると、社長からだった。

「西浦君、前回監査が来た時……君は監査の連中に何を言ったんだ?」
「いや、立ち会ったのは部長だったんで俺は何も分からないっす」
「今は君が部長だろう? じゃあ君にも責任があるな」
「どういう事っすか?」
「焼却炉と過積載の事で前から散々言われてたらしいじゃないか!」
「いや、それは社長だって知ってたじゃないっすか……」
「覚えてない! 私は、一切覚えてないぞ! おかげでうちは一ヶ月の営業停止になってしまったんだ! いいか! この責任は取ってもらうからな!」
「ちょ、何言ってんすか? 話し合いましょうよ」
「そんな事してる場合じゃないんだよ! もう君は金輪際来なくていい! 顔も見たくない! 賠償請求は掛かるからな、覚悟しておけよ!」
「ちょ、部長!」

 電話はそこで切れてしまい、俺はいきなり理不尽なクビの宣告を受けた。
 これがまさか、幸せの返済という事なのだろうか。

 俺は次第に恐ろしくなり、幸せのクレジット枠があとどれくらい残っているのかを確かめてみる事にした。
 葉子と息子を家に送り届けると、その足でパチンコ屋へ出向いた。適当な台を選んで座り、そこから当たる事を願い続けて三時間打ってみた。
 結果、飲まれ続けてあっという間に五万円がすっ飛んで行った。

 労働基準局を通じて不当解雇の申し立てをしたものの、会社自体が営業停止期間中だったので俺は時間を持て余すハメになった。
 せっかく保育園に入れた息子は毎朝保育園に行くために家を出ようとすると異常なまでに泣き叫ぶようになり、ドアにしがみついたりするため怪我の再発を恐れてしばらくの間休ませる事にした。

 普段家にいない俺が家の中にいるからなのか、息子は時折癇癪を起こしたように泣き叫ぶようになり、その声は止むことなく一時間は続くようになった。
 警察を呼ばれ、近所で「あそこの家は再婚同士であの子は奥さんの連れ子」だ、なんて噂も立つようになった。
 虐待親父と認定された俺は団地内で冷遇され、挨拶しても無視されるようになった。

 それから数日後。労働基準局に出掛けていた俺は予定よりもだいぶ早く家に帰る事になった。
 何処かへ行ってもどうせ散財するだけだと思い、素直に家に帰ると玄関に見知らぬローファーが置かれている事に気が付いた。

 リビングでは息子が一人、お菓子を食いながらテレビに夢中になっていた。何か様子がおかしいと思い、恐る恐る寝室のドアを開けて俺は絶句した。

 平日の真昼間。ベッドの上で、葉子と知らない男が喘ぎ声を上げていたのだ。

「てめぇこの野郎!」
「ごめんなさい! あの、ごめんなさい!」

 下半身丸出しの痩身の男をベッドから引きずり下ろし、俺はそいつの顔面に膝蹴りを打ち込んだ。鼻血を垂らしながらうずくまる男を庇うように、葉子は

「やめて! お願いだから!」

 と叫んでいた。

「……テメェは誰の嫁なんだよ!」

 頭に血が昇った俺は葉子に容赦なくビンタを浴びせた。その後、二人を裸のまま床の上に正座させ、事の成り行きを無理やり吐き出させた。

 インターネットの営業でたまたま来ていただけです。

 男は最初そう言っていたが、首を絞めながら問い質すとかれこれ半年ほどこういう付き合いをしているのだと白状した。
 男の腕とあそこに根性焼きを入れ、存分に使い物にならなくさせてから免許証を預かり、その日は男を帰した。
 男が帰ると、葉子は弱々しい声でこんな事を聞いてきた。

「あの人のこと……どうするつもりなの?」
「それよりも我が家の心配は出来ねぇのかよ?」
「私……私、あの人が。ごめんなさい……」
「……もう終わりだな。じゃあ、もういいや」

 自分の寛容さの無さに呆れ返りそうになったが、愛が無いのなら子供のためにも良くないと思い、それからすぐに俺達は別れる事にした。
 チンポ男からの慰謝料は手に入ったが、誰も居ない部屋に帰ってくる寂しさに時折心が挫けそうになった。
 葉子の事はクソ女だと思えばそれで済んだが、息子の事だけが気掛かりで仕方なかった。

 それでもこれだけ痛い目に遭ったのだ。返済はもう済んだだろう。
 そう思っていた。

 仕事も変わり、新しい生活にも慣れ始めたある日の事だった。
 家に帰ると俺宛に一枚の封筒が投函されていた。
 中を開けて、俺は言葉を失った。

『西浦 英輔殿 

 毎度ご利用頂き誠にありがとうございます。
 こちらから再三に渡り返済のお願い、調整をしてまいりましたが一向に返済の確認が取れない為、一括にてお支払いして頂く手続きを取らせて頂きました。

 お支払い確認後は再度ご利用が可能となりますので、引き続きよろしくお願い申し上げます。

 執行日 ◯月◯日

 幸せクレジット株式会社』

 嘘だろう。いや、やはり実在したのか。
 あの幸せの時間は、全て借り物の時間だったのか。
 一括で返すには一体どんな不幸を味わえば良いんだ? 死を持って完済とするのか? いや、死んだら引き続きの利用うんぬんは書かないはずだ。
 家族も仕事も失った。俺にこれ以上の不幸が、何かあるのか?
 失うものはもう何もないはずだ。恐るな。
 ビビるんじゃねえ。俺はいつだって何とか乗り切って来たじゃ無いか。来るなら来てみろってんだ。

 そうやって自らを鼓舞し続けて、俺はいよいよ執行日当日を迎えた。

 日中終始緊張していたが仕事で何か問題が発生する訳でもなく、その日は丸一日平和に業務が終了した。
 残業も無かったのでスーパーで軽い買い物をして夕暮が過ぎた団地へ帰って来た。

 夕陽の消えた駐車場は既に薄暗いが、他の車は数台しか停まっていないので駐車に困ることはほとんどない。
 いつも通りバックにギアを入れ、いつもと同じスピードで枠の中へ入り込む。
 センサー音が車内に響くのは背後に立つ意味のなさそうな鉄柵のせいで、これもいつもの事だった。

 結局何も起こらずに今日一日が終わるな。
 そう思いながらブレーキを踏む。背後の壁がブレーキランプで真っ赤に染まると同時に、何かに乗り上げたような鈍い感触がハンドルに伝わった。

 猫でも轢いてしまったのだろうか?
 いや、そんな鈍い猫なんかいるはずがない。

 嫌な気分のままサイドブレーキペダルを踏むと、真横の窓ガラスを激しく叩く音で俺は思わず心臓が止まりそうになった。
 窓ガラスを叩いていたのは、何かを泣き叫んでいる葉子だった。
 ドアを開けた瞬間、葉子は俺の胸倉にしがみついて過呼吸を起こすような勢いで必死に叫び始めた。

「あ、あの子! 今日パパに久しぶりに会いたい会いたいって朝から! 新島さん、新しいパパ!」
「ちょ、どうしたんだよ?」
「あの子、新しいパパに全然懐かなかった! 本当、ダメだったの! それで、パパに会いたいって言うから、サプライズでビックリさせてあげようねって!」
「待てよ、おい、健人はどこにいるんだ?」

 そう尋ねると、葉子は血の気の引いた顔で車の後方を指差した。

 俺は無我夢中で車を飛び降りた。こんな不幸があってたまるか。

 これでようやく完済が済んだことを祈りながら、俺はもう二度と手は出さないと決めていた幸せの前借りを再び強くイメージすることにした。
 車の後方に転がる小さな命の前で、それに賭けることにした。

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