こぼれ落ちる感情 どうする?
わたしには手が2本しかない。
30個のみかんを、バラバラのまま持つのは難しい。
床にたくさん、こぼれ落ちてしまう。
どんなに丁寧に積み上げても、
文字通り手に負えない。
バラバラのみかんを、網で「括る」と、
2本の手でも、楽に30個を、
こぼさずに持てそうだ。
これは、2本しかない手の能力を、
最大化した、とも言える。
「括り」の力は侮れない。
「これを、○○ ということに、しよう!」は、
人類を様々な分野で自由にした。
まあ、今書いている、
この「言語」からして、
人の中にある、「えに言われぬ何か」
⌘😅?:!★🍔(✋・・・・を
「感情」
と言う記号に「括れば」
100%正解!ではなくても、
とりあえず、
‼️ (ハハァ〜ン)
になりますよね。
網で括ったミカンは、
運びやすくなるように、
言葉で括った気持ちは、
伝えやすくなりますよね。
「括り」を使いこなすまでは、
「感情」は床にこぼれ落ち、
四方八方に転がり続けてしまうでしょうね。
もちろん、個人の気持ちは、
どこまでも、個人の気持ちですから、
海より深く探求することもできるでしょう、
分かってくれない気分にもなるでしょう。
また、
「別にたくさん持ちたくなんかない!」とか、
「○○と言うことになんか、したくな〜い!」
という声もありますよね。
自由です。
そんな人たちも、
やはり「共感を求めている」ように見えます。
「感情」に対する共感を・・・。
「個の主体」って、
「感情」でしょうかね?
共感を、
「感情に」対して、
だけではなく、
「括り方に」対して、
向けてみても、いいのでは?
「個を大切にする」という事と、
「感情を大切にする」という事は、
本来別のことだから、
共感が、感情へ向かうと、
分散し、揺れ続け、
皆が過敏になり疲弊するでしょう。
こぼれたミカンは、どれも助からないでしょう。
共感が、括り方へ向かうと、
分散は収束し、揺れは減り、
皆が、より使える「括り方」を探すでしょう。
こぼれるミカンは減るでしょう。
「個の時代」を
「感情の時代」として括っていると、
街のあちこちに、
溢れ落ちる感情が増えるかもしれない。
そろそろ、
「個の括り方」「共感の向かう先」を、
ルート変更したほうがいいかもしれない。
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