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記号としての作業着とスーツ。僕たちは一体何に規定されているのか。

仕事場における服装というのは、随分とその人のイメージを規定するのだなと感じたことが先日あった。

サムネは父からもらった作業着だ。この春、林業を扱った会社を立ち上げた。その起業祝いに身内にプレゼント用として作ったということで、漏れなく自分ももらった。このとき、僕はリモートワークで地元の静岡へ帰っていた。まだ4月の中旬で朝夜は冷える。上着として早速作業着に袖を通した。いつもジャケットかたまにスーツを来ている身としては、すごく新鮮な感じがした。何もしていないのになんとなく労働をしている感覚を得られる。

名前はその人の体を表すというが、どんな服を着るかということも大きく人の心のあり方に影響すると思っている。
東京に帰ってきた夜、疲れを取ろうと思い、巣鴨湯へ行った。帰り道、駅前に近づいて行く道すがら、多くのスーツを来た男性とすれ違う。どんな会社でどんな仕事をしているかは想像できないが、多くの人がスーツを来ていることを改めて認識した。作業着を来ている人とその人がいる状況を見ると、なんとなくその人がどのような仕事をしているかは大方想像がつく。

その人たちとスーツを着たサラリーマンには、どのような違いがあるのだろう。現職では営業をしているが、客先訪問がなければ在宅で仕事ができ、Tシャツと短パン姿でも業務に支障がない。昼時は、そんな格好でコンビニへお弁当を買いに行くが、きっと周囲の目から見た自分は定職についていないフリーターのおじさんなどと奇妙がられているのだろう。

僕たちはそういう意味において、服装にかなり印象を操作されている。逆に言えば、服装というものが見えたい自分を演出する手段になっている。
天邪鬼なタイプだから、僕はそのどのイメージにも当てはまらない人間になりたいと思った。

同じようなことを考えている人がいるだろうか。

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