見出し画像

心の病に対する考えの総括を書いてみる

心の病で最初に入院したのは30年くらい前だからかなり昔になる。当時の精神科病院では診察と言っても入院中は医師が患者の発言に全く言葉を返さないという非人間的と思えるものだったし、環境的にも酷かったのであまり語りたくはない。

この記事で語りたいのは自分の経験した患者の意識の変遷で、最近は若い人を中心に意識が変わりそうな芽が出てきているような気がするのだ。

自分の入院中には心の病に関する書籍が図書コーナーにもまったくなく、医師も僕の病気について病名も含めて全く告知や説明もしなかったので、仕方がなく当時の全国精神科病院家族会連合会(全家連)の機関誌を病院の待合室で読んでいた。それくらい心の病に関する情報が病院内ではなかった。

ある時、全家連の機関誌を読んでいたら、当時騒がれていた池田小学校児童殺傷事件の犯人宅間守に精神鑑定が行われ、精神疾患が疑われていた。それに影響されて多数の患者が自ら命を絶ったという記事が載っていたのだ。

僕自身は「なんとバカなことを!」と思ったし、医師と科学者の家系ということも有って、精神疾患も病気の一つとしか考えていないので(今もそうだ)、宅間守の噂に巻き込まれて死を選んだ連中はどうにかしていると思ったのだった。今でも自分は人間ですら無いと思いこんでいる患者もいるようだが。

その後の30年は差別されたり、努力したものの福祉就労しか行けなかったりして残念な気持ちもするが、その件については他の記事で書いているので今回は省く。

最近の精神科医は診療時間は5分程度だが、こちらの質問にはきちんと答えてくれ、ちゃんとした投薬もしてくれている。しかも今の精神科病院には内科や歯科も併設されており、患者の身体的健康にもある程度の配慮をしてくれるようになっている。

前置きはこれくらいにして、いろいろな団体がメディアを通じて患者の人生や行動に影響を与えてきたのでそれをとりあえず自分の考えとともに書いてみたい。

やはり昔は患者の意志は無視されており、家族会連合会の意思が優先されており(今もその風潮はあるが)、患者個人の発言権は無視されている。実際家族会も長い歴史を誇るが、初期の頃の厚生労働省との癒着問題もあり、それに加えて現実的な実効性がない。噂では家族会に入る家族も減ってきているようだ。

次に患者や社会に大きな影響を与えたと思われるのは「べてるの家」とNPO法人の「コンボ」で、この両者は手を携えて患者に降りる生き方をかなりの勢いで喧伝していたと思う。べてるの家は有名人を呼んできてはたらし込み、この世の桃源郷のように語らせていた。実際あそこの患者は統合失調症とアルコール依存症の患者が多いようで、創立者の向谷地生良氏と医師の木村氏が組んで、治さない医療と降りていく生き方をさも患者の生き方のモデルケースのように言い出した。かなりの数の書籍も販売されているから、影響された患者も多いと思う。僕の好きなリカバリー理論に真っ向から対立する暴論だし、あの考えで自分の可能性を無にした患者も多いことと思う。また、当事者研究に励んだ患者もいたが、効果はなく集いも霧散したと聞いている。

僕自身はリカバリー理論で有名なパトリシア・ディーガン博士に影響されているというか、このリカバリー理論は米国の精神保健制度のコンセプトとして法制化されているし、エビデンスもあるのでかなり確かな理論だと思っている。30年前から自分のできるところからがんばって自分を高めていこうという考え方で行動してきた自分には福祉環境や時代の潮流は全く合わなかった。リカバリー理論でようやく救われた気がした。精神科医の中井久夫先生の「世に棲む患者」や「働く患者」の内容は良いとは思うが、精神科医療が80年代よりも進歩した今では少し古いような気もする。役には立つが。ただし世間は今でも80年代の中井久夫先生の考えよりもはるかに遅れている。

べてるの家の本を読んでいるような患者も勉強好きな患者がハマってしまうケースが多く、不良がかったりちゃんとした社会人としての勤めを続けたり経験したことのある患者には全く知られていなかった。若い統合失調症患者がべてるの家の言説にハメられていたような気がする。

今は調子を戻しながらできることに挑戦したり、若い気分障害の患者は働くことに挑戦したり、病後に復職する訓練コースもデイケアにできるなど、病院側の意識も少しづつ変化しているようだ。僕の時は全部自分でプランニングして進めたから不遇だったなと思うが、別に彼らを羨ましく思うこともない。

最近の兆候として公明党が推進しようとしているメンタルヘルスサポーター100万人計画や厚生労働省の進める地域包括ケアに関する制度等には両手を上げて賛成するが、欧米に比べて遅れたところもあり、そこが残念に思う。ただ、最近の精神保健福祉の改善具合は自分の評価では五分五分といったところで、小池都知事ではないが患者ファーストになっていないと思う。そこが他の診療科と違うところだし、家族や福祉関係者を中心に回っているように感じる。権利主体ですら無いのだ、心の病の患者は。

仮にリカバリー理論で上手くいかなくても、自分の調子に合わせてできることを続けることを患者には勧めたいし、治るに従ってできることのレベルも向上していくことは確かだ。決して降りていく生き方をしてはいけない。そういうことを書いていた蟻塚亮二という医師の本は全く信用しなくなったが。

今のところ、精神科医療がDMS-5を元にしたエビデンスベースの医療に変わり、標準治療的な考えと多剤併用の否定といった方向性に移っているようだし、それは評価できる。あとは病院や福祉制度がより人権的で患者中心主義的な視点を取り入れてくれることを望む。

気になるのは、筑波大学教授の精神科医斎藤環氏の提唱する「オープン・ダイアローグ」とある種の人々が言い出している「脳コワさん」で、薬なしで悪化した症状に緊急的に対応できるはずはないし、脳の保全的な視点に欠けており全く非科学的な言説だと思う。日本の精神科医療に取り入れられることはないと思うが、チラホラ踊らされている患者もデイケアで見かける。それと脳コワさんに関しては、ちゃんと蓄積された精神障害リハビリテーションという学術分野があり、その中に作業療法も入ってくる。脳の、服薬も含めた治療可能性や回復可能性を無視し、患者の社会的経験や地位を剥奪する言説はそろそろ終わりにしてもらえないだろうか。

ナラティブ・アプローチではないが、患者それぞれの社会経験や学校経験といった人生経験に基づく物語がある。その個別性を無視して押しつぶすような言説には断固反対していきたい。その意味での反差別を僕はやっている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?