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バリアフリーとワガママ

先日のXであるポストが炎上した。内容を以下に記す。

ある車椅子を使用する女性が彼女が気に入った映画館を3回程度利用したのである。その映画館はあいにくバリアフリー対応の施設ではなく、支配人は説明したもののその女性は言い分を曲げない。そこで映画館側はしぶしぶ彼女の言い分を聞き、従業員数人で車椅子を持ち上げ階段を登り、彼女をスペシャルシートまで案内したという話である。そこまではまあいいとする。その後も彼女は数回その映画館を利用しようとし、とうとう支配人により忠告とお引き取りを願う言葉を言われてしまったのだった。

まあ、彼女のポストの書きぶりも、女王様風で困ったものだったのだが、そこは大手の映画館グループで、探せば他に車椅子対応の映画館も存在するはずなのである。自分がもし身体障害者として車椅子を使用する立場だったとしたら、バリアフリー対応の映画館をセレクトして楽しく映画鑑賞をして終わる話である。

どうも彼女はリクライニングシート型のスペシャルチェアを気に入っていたらしく、それをめがけてわがまま放題。読んでいて呆れた。僕の場合は性格的にお年寄りや体の不自由な方や体調の悪い人や妊婦さんにバスで席を譲るタイプなので、こういう場をわきまえない人がとても苦手なのだ。

以前の知り合いが「自由と平等は両立しない」と言っていたようだが、彼の言っている自由とは自由主義経済のことだと思うから横に置くとしても、人権派を自認する自分としては自由と平等は基本的人権としてとても大切だと思うのだ。現実としても理念としても。

ところが、能力差や財力も含めて人には違いがあるというのも自分の考えのひとつであり、社会的に極端な不自由がない限りそれを抑制していいのか?という気持ちもある。今回の件にはバリアフリーという平等権的な考えが適用されると思うのだが、結局普通にバリアフリー席で彼女は映画を見て愉しめば良いだけだったのだと思う。

それを召使のようにして映画館の従業員を使って、思い通りの席を確保しようとした。バリアフリー非対応の映画館で特別席を狙って。

この話を書いたのも、人権がどうのというよりも公平感に近いもので、車椅子の方の公共施設使用を非難したいわけではないのだ。世の中にはルールや倫理というものがちゃんとあり、それを守って暮らさないと世の中が円滑に動いていかないと思うのだよ。

いわゆる箱とりんごの絵を描いて、不自由な人には箱を高くしてみんな平等にりんごを取れるようにしましょうねというのもあるが、結局人には差ができるわけだし、平等ってなんだろうねと考えてしまうが、機会の平等は確保する必要があるだろうと思う。完全なる平等というのは絵空事だと思うし、社会的にはいかに公平感を持てる状況にするかだと思う。

まあ、車椅子の方を非難する内容ではなく、とても非常識でわがままな女性がたまたま車椅子利用者だっただけだから、その点は誤解なきようにお願いします。


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