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芸術って、よくわからん。
聞こえる声
ふむふむ、これは素晴らしい絵ですな。特にこの表現技法が、、、。
なるほどなるほど、これは歴史的に意義のある作品で、、、。
これは落書きなんかじゃないよ!現代アートを理解しなきゃ!!、まずは、、、。
わかってないなあ、これは社会に対する皮肉が込められていて、ここが、、、。
芸術、わからん。
芸術と呼ばれるものは、世の中に溢れかえっています。簡単にそれを言葉で表すのならば、製作者と鑑賞者の感情の共鳴のための媒介物。そう言い換えられるでしょう。
しかしながら、どうにも難しい。よくわからない。世間から色んな声が聞こえてきます。浅学非才な自分自身の責任でよくわかっていないのでしょうか?私は世間の言う芸術を享受するには、まだ未熟なのでしょうか?
芸術鑑賞?歴史の勉強?
個人的に感じているのは、芸術そのものではなくその説明ばかり注目されているのではないだろうか、ということです。例えばその作品の歴史的・文化的意義、製作者の信条・生まれ・時代・広く背景についてなどです。
確かに宗教画などを正当な意味で評価し鑑賞するには、その宗教自体に関する知識、そしてその当時それがどのような解釈で受け取られていたのかに関する理解が必要でしょう。ただ、それは本当に芸術鑑賞なんでしょうか?歴史の勉強になっている気がします。
知識だけを自分の頭に詰め込んで、それをひけらかすことと、芸術とどうしても結びつかない。理解というのは必ずしも知識を前提としないんじゃないのか、そんな気がしているんです。
岡本太郎さんとの出会い
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そのような私の芸術に対するモヤモヤした気持ちを解消してくれたのが、岡本太郎さんです。ふとしたきっかけで作品を幾つか観た瞬間、ビビっときました。
その絵自体が訴えかけてくる力は、どんな励ましや労いの言葉よりも強力でした。
生への衝動がこの絵から発散されている。生きるというのは、こういうことなんだぞ!!!そう語りかけて、いや、怒鳴りつけてくれているような。ただその怒鳴りは決して攻撃的なものではなく、ただ突き動かされる原動力になるようなもの、、、。そう感じました。
この絵が描かれた経緯や時代背景、岡本太郎さん本人の出自や主義主張などは当時一切把握していませんでした。
しかし、自分の中でこれは、、!!と響く箇所が存在していたわけです。
私はこのような自分の中で起こっている心の動きこそが、芸術なんだと思いました。
確かにこの心の動きを説明するためには、知識は必要になってくると思います。しかし、作品に無の状態、ある種無防備な状態で対峙することによってこそ芸術鑑賞は出来るんじゃないか、そう捉えるようになったのです。
知識先行型からの脱却
前述しましたが芸術鑑賞において、どうも説明が先行していませんか。○○という偉大な芸術家が制作したから、この作品は素晴らしい、となっていませんか。美術館で作品自体よりも、横にある文章の方を眺めていませんか。音声ガイドばかりに集中していませんか。
自分の中での芸術鑑賞のあり方を見出すまでは、私自身実際そのような状況でした。作品を知識をとりこむためにみていたような、不純な鑑賞になっていたような気がします。歴史を学ぶ考え方と、芸術という感覚を共鳴させる行為とを混ぜ合わせてしまった故に、不純物が生まれてしまったようです。
とにかく芸術は難しく考えられすぎていて、高尚にされ過ぎているんじゃないですか。教養という言葉が世間で流行している状況を見ていても思いますが、どうもそれぞれ各個人がコンプレックスを解消するために色んな知識で優劣を生み出しているように見えます。わかっている方が、上なんだと。
何度も申し上げているように、知識はもちろん議論においては必要不可欠です。それは間違いありません。しかし、それを重視したり悪用したりすることで、それが芸術と人とを分断する壁になってしまう。これを絶対に避けなければならないと思います。だからこそ、1度知識先行型から脱却し、無の状態で受け入れる経験こそ尊ぶべきなんじゃないか、そう考えています。
終わりに
岡本太郎さんは言います。「芸術は民衆のものだ」と。
1部のお金持ちやマニアが独占し、教養人として鑑賞するものでは決してない。そのような強い気持ちが込められているのでしょう。私も本当にそう思います。作品に対して不愉快な気持ちを抱くことすら、芸術鑑賞として成功なんです。大事なのは向き合う事。知識があることでは、無く。
芸術は、よくわからない。でもそれでいいんだと今はハッキリと言えます。わからなくても、感じることは出来るはずです。だからこそ私はこれからも、様々な作品に対峙しようと考えています。できる限り感動できる機会が多い人生の方が、楽しいでしょうから。
またnoteでビビッときた作品や考え方があれば、書き残していきたいと思います。それでは、また来週会いましょう、さようなら。
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