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小説「ユメノミライ」②

それから三日後の夜、ベッドに寝転がり、アクション漫画を読んでいるとスマホの着信音が鳴った。

ユリという名前の前後に赤いハートが表示されている。初めて彼女が出来たと気持ちが舞い上がり、そう登録したのだ。


俺は体を起こして、電話に出る。

もしもし、と少し震えた声でユリは言った。

「どうしたの?」

と俺は何事もなかったかのように返す。喫茶店で会って以来、LINEのメッセージが届くこともなかった。


「あのさ、この前は急に帰っちゃってごめんね。私、よく考えたんだけど」

そこで少し無言になる。電話越しにコホンと咳をする音が聞こえた。


「やっぱり、ヒロシとずっと付き合っていたい。」


俺の思考が麻痺したようになった。まるで思考が働かない。

「え、えーと、どういうことかな?」

俺は何とか力を振り絞り、そう聞いた。

「だから、もっとヒロシと一緒にいたいのよ。」

ユリは真剣に言っているようだ。

俺はこの予測していない事態にパニックに陥った。

なぜこうなってしまっているのか。


冷静になれ、と何度も自分に言い聞かす。


返事に迷っていると、ユリはかすれた声で話し出した。

「ヒロシのことちゃんと考えていなかったの、今までね。だからもっとヒロシのことを知っていければ、ちゃんと仲良くなれると思うのよ。」


ここは俺から別れようと言うべきなのか。

もしくはユリに話を合わせて、初めての予測していない未来を味わうべきなのか。

俺は悩んだ。呼吸が荒く、心臓の鼓動が忙しなく鳴っている。

未来が夢通りでなくなることが、俺にとって最大の恐怖なのかもしれない。


「君は、本当にそんなことを思っているわけ?この前、別れ話をするとか言っていたくせに。」

「うん。ここで別れても絶対ヒロシのことばかり考えてしまいそうなの。」


俺はゆっくりと部屋の埃っぽい空気を吸った。そしてスマホを口元から離して、息を吐いた。


「こ、こちらこそ、お、お願いします。」

迷った末に出た言葉に、ユリはフフッと笑った。

「なんで敬語なのよ。こんな時でもふざけてるわけ?」

「いや、別れたいって言われると思ってたからびっくりしちゃって。」

と言って、俺も無意識に笑った。


電話を切り、俺はまたベッドに寝転んだ。

天井の染みを眺めていると、それが人の顔のように見えた。

嫌な視線を感じてしまう。


この予想通りではない展開に身を委ねてしまった俺はこの先どうなるのだろうか。

そして、今後の既に予測されている未来は変わってしまうのだろうか。


俺は見た夢が常に正夢になるのだ。そして見た夢を忘れることはなかった。


レム睡眠時に見ている夢は俺の確かな記憶として脳内の海馬に収められていた。

だから常に既視感のあることしか起こっていない。

だいたい五年先に起こるであろう出来事の夢を見ているのだ。


俺は異様な強い不安に襲われていた。

そして、もう一度見た夢と現実の出来事の違いを比較した。


夢の中では、電話を出た時に謝られることなどなかった。すぐに、あなたといるのはもう限界なの、と言われていた。そして、私たち別れましょう、と言われた瞬間に電話を切られていたはずだ。

また、ユリは俺を名前で呼ぶことは今までになかった。ずっとあなたと呼んでいたのだ。

俺は頭の中を整理して、起き上がった。

ユリと付き合い始めた時の写真が大事に立て掛けられている。俺とユリ以外に四人の男女がカメラ目線で写っているものだ。


一つだけ疑われるのが、電話をしてきたのがユリではないという可能性。声は確かにユリだった気がするが、声が似ている第三者とも考えられる。ただ、何のためにそんな事をするのかは推測できない。


こうして、またユリと会う約束をしたのは一週間後の土曜日である。


たまに感じられるそよ風が肌を優しく撫でる。早朝には若干雨が降っていたが、カラッと晴れ、遠くに虹が見えた。

街路樹の葉から時々水が滴り、地面に落ちる。

落ち着かない気持ちのまま、待ち合わせ場所へと足を速める。


デパートの入り口の前に立っていたユリは以前よりも綺麗に見えた。

ネックレスや大きめのピアスを身につけていて、ロングスカートを履いていた。化粧も幾分濃く感じられる。


会話が続かない中、ゆっくりと俺たちは歩いた。通りすぎていく男は皆、ユリをさりげなく見ているようで、何度か俺とも視線を合わせた。


ユリの家から近所にあるファミレスに入ると、お昼時だからか店内は家族連れで賑わっている。小さな子供たちが美味しそうにハンバーグやエビフライなんかを食べていた。


「なんかヒロシ変だよ。心ここにあらずって感じ。」

ユリはそう言って、お冷やとメニュー表を置いたウエイトレスに頭を下げた。

「いやあ、この前の電話の内容にびっくりしちゃってさ。」

「本当に別れ話だと思ってたのね。」

ユリはテーブルに前のめりになり、口角を上げながら俺をじっと見た。

俺は少しずつ思考の回転速度を上げる。おそらくこの場面が人生のターニングポイントであるのだろう。しかし、展開が全く予想できない。


「君はこの前喫茶店で会って以来、何か変わったことが起きていないだろうね。」

メニュー表を開こうとした手を止めて、ユリはこちらを見た。

「例えば?」

それは、と言って少し考える。

「俺の未来予想が絶対当たることに気がついたとか。」

「相変わらず言っていることがおかしいわよ。」

そう言って少し微笑んだ後、

「何もないよ。ただ、あんな態度をしちゃったからヒロシに嫌われてないか不安になっただけ。」

俺はヒロシと言われるたびに違和感を覚えていたが、そこは敢えて触れないことにした。


注文を聞きに来たウエイトレスにまだ決まっていないことを手振りで伝えた後、俺は深呼吸をした。

「実を言うと、この前の電話の内容が俺の予測と全く違う。」

そう伝えると、

「いつまで、未来を予想するとか愚かなことをやっているわけ?」

と、ユリは鼻を膨らました。

「俺が夢で見たことは全て現実に起こっていたんだよ。今までずっと。」

それが、と言って一旦黙った。


とりあえず注文を決めよう、と言ってメニュー表を差し出す。 適当な四品とライスとスープを二人分頼んだ。


どこまで話したっけ、と俺はユリに聞いた。

ユリはずるそうな笑みを少し浮かべて、見た夢が全て現実に起こっている所からだと答えた。


「まあ、今回の電話の夢は確かに見ていたんだ。ただ、それは別れようと言われてすぐ電話を切られる夢だった。一週間前の日付で間違いないし。」

ユリは何かを考えるように目を瞑った。


隣の席の赤ちゃんが甲高い声で泣き出し、その母親がトイレに連れていった。

#創作大賞2022


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