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祖母の戦争体験+余談 (酒井みるくさんの記事を読んで)

上の酒井みるくさんの記事を読んで、思い出したことがあり、僕も書いてみます。大切な記録として。

僕も戦争の話を生前の父方の祖母から聞いたことがあります。

でもその前に、いきなり余談ですが戦前の話を。

父方の祖父の妹(僕の大叔母)は静岡県沼津市に住んでいたのですが、10代後半か20代前半の頃、そこに興行で来ていた芸能関係の歳上の人と恋に落ち、当時としては……いや今でもなかなかないことですが、家族に黙って大阪に駆け落ちしました。

大叔母は歳をとって介護が必要になった時にようやく大阪から沼津に戻ってきて、老人ホームに入ったのですが、やはり駆け落ちするぐらいの度胸はあるので、大変気が強く、あれが気に入らないこれが気に入らないと老人ホームを転々とし、元気で亡くなりました。

以上、余談でした。

でもこれは面白い記録として残しておきたいと思います。

さて、本題の辛い記録に入ります。

祖母は静岡県沼津市に長女として住んでいたのですが、祖母の母親が遠方に用があって行った時に沼津は大空襲に見舞われました。

祖母は母がいない不安の中、妹と一緒に街中を必死に逃げ回ったそうです。

一方、祖母の母は遠い山から空襲に遭っている沼津をただただみているしかなく本当に心配だったようです。

空襲後、祖母は機銃掃射にもあいました。はっきりと戦闘機のコクピットの兵士の顔が見えたと言っていました。

(でもこの記憶は、戦争研究者の方々が言うには機銃掃射にあったほとんどの皆さんが「コクピットの顔が見えた」と仰っているそうですが検証してもそういうことは実際にはないはずだという説が有力だそうです。ただ、僕の祖母を含め皆さんがそう言っているのはおそらく恐怖のあまり心理的に見えたと錯覚してしまっているのではとのことです)

さて戦後まもなく、沼津は復興していき、祖母は働きたいと思っていたのですが、祖母の母が過保護だったのか当時としては珍しく長女の祖母に働かせなかったそうです。

しかし祖母は働きたいと思っていた。そのジレンマとの闘いでこれもまた辛かったという話でした。

話の最後に祖母は「戦争はよくない」とはっきり言っていました。そして「将来が不安だ」とも。

以上です。


最後に、酒井みるくさん、良い記事ありがとうございました!

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