記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

米映画『インビテーション』(2015年)を振り返って

アデイOnlineの連載の第2回目に取り上げたのは、カリン・クサマ監督『インビテーション』(2015年)だった。当時この映画をどう読み込んでいたか、は、残念ながらその最終版テキストを紛失してしまった(発達障害の弊害)ため、正確な形では取り戻せないのだが、だいたいこういうことを書いていたと思う。

西海岸に住む金持ちが一夜のパーティで再集合する。顔ぶれが異様に政治的に正しく多様性に溢れている。彼らは意識高い系であるが故に「人を差別する人だと思われたくない」という思いから、端々に現れる不吉な前兆を見逃してし、惨劇が起こる…。

という風に読んでったら面白いというように「金持ちザマミロ系」として処理していた。たしか2016年の春だったか。当時の私は、インド映画は全く知らず、アメリカ映画が一番好きだった。一方、思想転向というものがひと段落したような気がしてもいたから、オバマ期のアメリカについては支持80%、疑念20%位だったところ、敢えて疑念の割合を強めてみようと思って書いていた。

でも当時、やっぱりアメリカというものについての情報が足りていなかったと思う。不勉強による不十分な考察で終わってしまっていた。同作のラストは、彼らの住む高級住宅街全体があるカルト集団のために騒乱に巻き込まれようとしている中、主人公カップル2名が手を握り合って背中をこちらに向けて終わっていた。不穏な光景をバックに、二人の強い決意が見える終わり方である。でも、どういう決意なのだろう?この疑問に答えられるだけの情報を持っていなかったのだった。

あれから6年経ってみると、どういう決意だったか、そしてそれは案外現実に起きていたんじゃないかという気がして来た。

どういう決意?

当時は大統領選挙でトランプが出て来るだろうという予感と、恐らくはオバマのうちに固めた牙城を崩されるかもしれないという焦りみたいなのがあったのだと思う。そして、「自分たちの」町が奴らの思惑で攻撃を受けたとしても、我々(リベラルな価値観を持つお金持ち)は必ず勝ち残ってみせるという決意だったのだと読める。そしてトランプ氏当選によって彼らの予感は的中した。その流れの中で、MeToo運動や、BLM運動が巻き起こる。その中でハリウッドのホラー映画は大いに「ソーシャルスリラー」作品を連発し、そうした運動のバックアップに回った。

現実には?

現実に起きていたこと。それは都市部における騒乱に次ぐ騒乱であったらしい。シアトル市がしばらく社会活動家(と呼んでおく)たちの暴動の中で占拠されたというニュースは日本にも流れて来た位だから私でも知っていた。でもまだそれは私の中で『インビテーション』とは結びついていなかった。

それを私の中で結び付けてしまったのは、LGBTQ∞運動の中のトランスジェンダリズムである。その思想が敵対しているものは何なのかと見て行く中で、過激化する運動の裏には「消されてしまう」という恐怖心理や不安があるのだろうという意見をツイッターで読んで、何となく繋がって来た。

『ザ・インビテーション』の中で描かれていたラストはかなり本気の度合いが高かったのだろう。予言、或いは決意表明だったのである。ハリウッドの映画界が「もう文化的な衝突は避けられない」というアメリカの空気を察知し、そうした社会的な危機をマーケティング的に利用するテクニックを開発してきたとも言える。そして虚構で覆い隠されたものは何だったのだろうか。それがこれから映画の中で出て来るのかもしれないし、今のブラムハウスプロダクションの様子見的な映画表現を見ている限り、これからも見ないふりをするつもりなのかもしれない。

同作は暴動が起きるのはカルトのせいだと描いていた。アメリカは旧世界の旧教からのスピンオフである。つまりカルト的な意識から始まっている国であり、先住民の排除を肯定するような略奪的な発想を持っている。元が砂漠の一神教かつ、別の宗教から分かれて来た(スピンオフ)宗教だからそれは過激なものにもなりそうだ。したがって同作の中で「カルト教団」を悪役のツールとして使う表現はアメリカ映画には顕著に多い。

しかし実際に街を破壊する程の騒乱を起こしたのは、むしろ、リベラルかつ意識高い系金持ち側の陣営にいた飛び道具層ではないかと思われる。でも私が一部内面化した価値観はこう言う:いやいや、米議会を占領したのはトランプ支持派だろう。BLMのような生存に直結する運動で少しくらい暴力沙汰があっても仕方ないではないか。当事者はその位怒っているのだから非当事者は黙って受け止めよ、そして彼らを助けよ。おそらく意識高い(Wokeって言葉も当時は知らなかったから意識高い系と書いていた)系の頭はそうなっているはずで、彼らの飛び道具層の活動がどんなに過激化しようとも、彼らを直接非難することはできないのだと思う。或いは非難に値することが行われているという意識も無いのだろう。内部からの批判が起こりにくいのが左派の特徴だとよく言われる。

今日、我那覇真子さんの動画を観て、一方ではそういう虚構や幻想や願望に対する「検証」が行われていたのだと改めて知った。それも、勇気をもって報道し続けた人が命がけで行って来た行為だったらしい。アメリカの凄いなと思うところはこれ。国内に何かを隠ぺいしようとする動きを察知すると、必ず、暴いてやろう、検証してやろう、それが民主主義なのだという動きが出て来ることである。さすがである。

https://t.co/JpZLXRodHw

自分自身が時代の肥やしになってやろうという勇気がまず素晴らしい。それでいて、いつかは自分自身が否定される立場になるかもしれないということをうっすらと自覚する苦しさを知っているんじゃないかという気もする。

この動画の中でAndy氏、我那覇氏が触れていた中でカギになると思った点は、過激化している運動の根っこにあるものは、居場所が無いと感じる若者達の不安心理や孤独なのだという指摘だった。怖いのだ。自分はどこにも居場所が無いのではないだろうか。何と言ってもキリスト教が活き活きしている社会であるからして、禁欲的であれと求められ、それを自分の意思とは関係なく内面化しているのだと思う。それが文化のパワーだ。そういう社会において、日本みたいに宗教色が後退してしまった社会(日本の場合は後退している代わりに超自然的なモノやカミへの希求は全く衰えていない)で育った私みたいなぼけーっとした人間の緊張感のなさなんてのは分からないのだろう。私もキリスト教を内面化した人が持つ緊張感は肌感覚としてはほとんど理解できないだろう(これが恐らく、米国で繰り返しスラッシャーホラーが作られる背景に繋がっているのではないかと思う)。

そして、若者の不安や孤独感というのは、昨今の米ホラー映画の中でもしばしば色濃く出ている(それを面白がって見せたのがアリ・アスター!の『へレディタリー』!家族なんか止めちゃえーけけけけけーと文化と社会を破壊して笑ってみせた天才)。一方、日本なら陰キャと言われるようなオタクが集うシーンですら、アメリカの人は「明るく積極的でポジティブであれ」という価値を内面化しているように見える人がいる。それを間近で見ると結構苦しい。そんな無理しなくていいじゃんって思う。でもそれが文化の違いというものだ。簡単には越えられない。

そんな不安でたまらない、知的レベルの高い若者達を吸い込んで飛び道具として使ってしまうのは、結局もっとずるがしこい権威を持った人たちの集合意識なのだと思われる。そういう意味で、Andy氏の指摘のとおり、彼らはタージホテルを占拠し人を殺して自爆した若者達の相似形なのだ。彼らはムスリムの教えと社会の不正義のギャップに怒り、結局はそのどちらにも貢献することのない活動に落ち込んでいった。スリランカやバングラデシュでも起きている。Andy氏の魅力的なところは、あのような活動に飛び込んでしまう個々人の心理を察知して同情しているようなところかもしれないね。あそこまでされても尚そういうことが言える凄み。少なくとも、そこを押さえることが本当の敵を乗り越え、倒すための戦術になりうると考えているのだろう。凄いとしか言いようがない。

欧米のように豊かで自由で、世界で最も進んでいるはずの国々でああいう形で、よりによって、ようやく権利が獲得できてきた性的少数者を巻き込む形で攻撃や破壊が起きてしまうのは、個人的には、本当に残念だし恐ろしい。それは「進んでいない社会」に住んでいる我々カップルにとって、これからの議論の進み具合や報道のされ方、そしてその都度の我々の振る舞いによっては、死活問題になって来るだろう。にこにこしていればほっといてくれる段階を超えてしまうその引き金は誰が引くのかと言えば…ここ数年の様々な事実から想像すると、今の段階では少数者とされる我々の仲間の誰かなのだ。

実は最近、東欧出身の人とお話する機会があって、最近のLGBT∞運動について感想をそれとなく聞いてみたんだけど、複雑な怒りを感じたの。彼はノンケの男性だから、今一番道徳的な攻撃に晒されている層であるから聞いてみたかったのね。私たち目の前にいるゲイカップルと仲良くしてくれたから、それ以上その話はしなかった。でも、政治的なコンテクストにおいて我々はその属性によって必ず敵対してしまうのだという昨今の意識高い思考法は、結局誰のことも幸せにしないんじゃないかと思ったよ。あの思考法には生活実感というものが欠如しているとしか言いようがない。インドという異郷で、外国人のゲイである私のそういう心配が伝わったら、少しは気が軽くなってくれないだろうかと、そして私達と敵対することが起こらないようになったらいいなと勝手なことを思うわけよ私は。東欧の状況は、ハンガリーやポーランドでの様子を見ていると何とも言えなくなる。それはそのままチェチェンで起きているようなことに繋がっていくのかもしれない。そうした国々の状況について、より豊かでEUの勝ち組国家の豊かな国民が一方的に非難する構図は、考えるほどに頭が痛い。

結局、『ザ・インビテーション』の結末の通りになっていくのだろうか。町が戦乱のような状態になってしまっても尚、戦い続けるのだと決意を新たにするのだろうか。彼らは。ホラー論的に考えるなら、それはカルトに軸足を置いている社会の宿命のようにも思える。そしてそれが世界に大きな影響を与え得る国の映画というメディアによって、どう発信され、どう受け止められるのか…映画評を書く者として、その表現されている未来への予言をどう解読したらいいのか。とても難しいと感じながらニュースを眺めている。

※追伸:邦題が誤っていたので訂正ゴゴゴ

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?