フォロワーを抱える人間は高学歴者のように飽和状態時代へ
こんな言葉を聞いたことがある。
「東京大学に入るよりも高校球児が甲子園に出場する方が難しい」
これが事実かどうかは調べれば分かることだが、それだけ東京大学出身者は多いということが分かる。
僕が住む地域にある保育園でも、東京大学よりも入ることが難しいと言われる保育園があるのが驚きだ。
それだけ日本人は教養を得る機会を得てきた。東京大学出身の主婦(主夫)も少なくないと思う。
高学歴が飽和状態になると「学歴なんか意味がない」「学歴はないけれどビジネスで成功した」といった言葉を色々な場面で聞くようになり、SNSなどテクノロジーの進化によってさらに「学歴の意味」が問われる時代も訪れるだろう。
特に自分たちの子ども世代での判断はとても難しいように思う。学歴は結果であって、重要なことは集中力や自分で考える力がなのかもしれない。
そんなことを考えながら今朝ツイッターを見ていると、フォロワー1000人を超える人たちが何人も目に入ってきた。10000人を超える人たちもいる。「SNSマーケティング」と呼ばれるビジネス用語もよく聞くワードだ。
色々な意見はあるけれど、現代においてフォロワー数には力がある。特にビジネスをする人間にとっては...。
僕のnoteのフォロワーは7600を超えているが、それらを自分自身の実力だけで得てきたとは到底思っていない。noteの成長とnoteという仕組みの中で「受動的に頂けた価値」だと考えている。
フォロワーという価値は、考えながら努力すれば、しかもうまく時代に乗ることができれば得ることができるのだ。それはまるで学歴のように。
そんなフォロワーをたくさん抱えた人が増えた昨今、多くのフォロワーを抱える人間の数は高学歴の人間のように飽和状態に入るのかもしれない。なぜならフォロワーはフォロー解除をしなければ減ることがないからだ。
以前、あるYouTuberが騒動を起こし炎上したことがある。その時「フォローを外そう!」という動きが生まれ、フォロワーが減る様子がYouTubeLIVEで流れたほどだ。しかし結果、フォロワーは1割程度しか減らず、その後そのYouTuberは復活し、今もフォロワー(チャンネル登録)を増やし続けている。
この騒動は、今後フォロワーをたくさん抱える人間という存在の数を増やし続けることを意味したのだ。
フォロワーを増やす!と躍起になっている時代は、良い大学に入る!と受験戦争を戦ってきた世代によく似ているのかもしれない。
とするとインフルエンサーという言葉の意味も「≠フォロワーの数」となるはずだ。
そんな時代を目の前にして、僕たちにできることは何か。多分それは学歴社会後に起こったことと同じように、仕組みや組織に価値を見出すだけではなく、自分自身に価値を持つべきなのだと考えている。
そしてその価値が日本だけでなく、世界で価値を持つという思考を持つべきなのかもしれない。
竹鼻良文/TAKEHANAKE
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