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セミリタイア人生を充実させたい人向けの話です。その10

皆さん、今日もよろしくお願いいたします。
偕髙塾塾長の髙橋です。

このnoteでは第一部では
セミリタイア人生を充実させる為の「考察」
第二部はセミリタイア実体験を基にした
「小説」を展開させていただいています。

第一部も第二部もまだまだ模索しながらですが
今回、第二部を作成している中で
面白い言葉を見つけて考える機会がありました。

「五感」を調べていると
「六根」という言葉を見つけるコトが出来たのですが

皆さんは「どっこいしょ」という
言葉を知っていますでしょうか?
どうやら、この「どっこいしょ」という言葉は
「六根清浄」という言葉が語源という説があります。
仏教用語の一つらしいのですが、
「六根」の考え方がとても面白いと思うのと
セミリタイア人生を充実させる為にも
必要になってくる要素だと思うので
本日の考察は展開してみます。

六根とは、
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より
仏教用語:眼,耳,鼻,舌,身,意の6つの感官能力をいう
(意を除いて五根ともいう) 
これらは人間の知覚および認識
(→六識 ) を成立させるよりどころとなるもので,
それぞれ色,声,香,味,触,法 (→六境 ) を感知する

五感と六根の違いは
「意」という言葉の存在が
大きいのではないかと思ってしまう
仏教的には「あれこれと考える心のはたらき」であり
一般的には「心に思うこと。考え。意見。」となる。

どちらにしても「心」の働きが大きくなる
この部分を踏まえて先述の「六根清浄」
考えると認識が深まる様な気がする。

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六根清浄とは六根を清らかな状態にすること
六つの力、ひいては心身を清らかな状態にすることを
六根清浄と言います。

六根清浄の功徳
眼根清浄
目は心の状態を表す。
善悪美醜を厳しく見分ける力。
耳根清浄
ありとあらゆるものの声を聞き、
喜怒哀楽を共感できる力。
鼻根清浄
良い香りと悪い香りを嗅ぎ分けられる力。
舌根清浄
美味しく味わって食べられる力。
口から出る言葉で人の心を動かすことができる能力。
身根清浄
御奉公をすることに生きがいを感じられる清らかな身体。
意根清浄
感謝の心、慈悲の心、善悪を正しく判断できる心など、
厳しさと優しさを兼ね備えた心。

現役・セミリタイア・リタイア、
どの期間においても
「六根清浄」の考え方は必要だけれども
現役とリタイアを結ぶ
セミリタイアの期間だからこそ
特に「意根清浄」を心掛けるべきだと思う。

そもそも「六根清浄」しなければならないほど
人生は迷ってしまうものなのは致し方ないし
迷ったから悪いものでは無い
セミリタイアしたから全て欲と言うモノから
離れなければいけないという訳でも無い。

でも、「六根清浄」の功徳を積めれば
必ずセミリタイア人生は充実すると
「六根」を調べれば調べるほど
思える様になってきた。

セミリタイア人生の良さの一つは
現役の立場と違った視座で
モノゴトを俯瞰して見れるコトだと思う。

執着した欲から離れるコトによって
様々なモノを見れる様になれるが
一番いけないコトは
見れる様になった気がするコトであり
いつも「謙虚」な気持ちを忘れない為に
今日の「六根清浄」
常に忘れないでいたいと思う。

次回もよろしくお願いいたします。

【小説】スラッシュワーカー/喜嶋富魅尭/

第十話

まだまだ自分1人の力だけでは
仕事を獲得する事は出来ないので
既存のサービスを利用する事にする。

本当にありがたい事に
様々なサービスが充実している
これらを組み合わせて上手く利用出来れば
企業支援と自分自身の経験値のブラッシュアップ
この両面が可能になりそうだ。

不慣れながらも、
様々な会社への登録をしながら
同じ様な手続きを繰り返していると
同業の会社でも手続きについては
やはり微妙に違う部分があるコトに気付く、
大きな違いについてはまだ分からないのだが、
これからその違いが分かってくる様な気がする。

手続きをしている中では、
他にも気付くコトがある、
特に職務経歴書を作っていると
自然と自分自身を振り返る機会となり
様々な気付きにつながった。

以前はいただいた職務経歴書
逆の立場で読み込みながら
その背景について確認させてもらっていたが
いざ、自分が書く立場になると
その難しさと面白さを感じる。
この作業は塾で行う、
「起業」「転職」「就活」
それぞれの支援にもつながると思う。

職務経歴書を作る作業は難しいが
振り返りながら作成していると
その時々の情景を思い出す事が出来る、
鮮明に覚えている記憶と
朧げに覚えていた記憶を辿りながら
当時の詳細な状況を思い出してみる。

これは自分だけかもしれないのだが
やはりちゃんと覚えている記憶は
五感で覚えている様な気がする。

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視覚で言えば、
色付きの記憶の方が白黒の記憶よりも
明確に覚えている。

嗅覚においても、
その時の印象が強ければ強いほど
鮮明に匂いを思い出す事が出来る。

記憶を辿っている中でも
一番の違いは、聴覚で覚えているかどうかだった。

味覚と触覚については、
自分自身においてはそれほど記憶の差はなかった。
味覚ぐらい覚えていると思ったけど、
残念ながら美味しかったくらいしか
覚えてはいなかったし
触覚については皆無に等しい。

思い出せば何となく
「こんな感じだったなぁ」
と思うくらいかもしれない

人によるかもしれないし、
仕事の記憶の部分が多かったからかもしれない
その中で視覚・聴覚・嗅覚で印象深いのは
やはり海外での経験の方が多い

何故、海外の経験の方が印象深いかだが、
やはり人間は未体験のモノに対しては
印象が格段に変わってくるのもしれない
その他にも国内外問わず、
強烈な経験についての五感の記憶は鮮やかだ。

反対に結構な割合でも
ルーティンの仕事に近い内容に関しては、
五感では無く論理的に覚えている様な気がする。
画像や業務内容を思い出す事は出来ても、
それには色も音も匂いもついていない。

それが悪いといっている訳ではなく
今回、職務経歴書を作る作業の中で
自分自身が「記憶」として
ひとまとめにしてしまっていたものについて
じっくりと振り返る事が出来た。


自分らしさを考えると
やはり「五感」で感じる方を優先する方であり
「五感」だけでは対応出来ない部分の
「補完」として「論理的」
考える事をしていた様に思える。

ただ、「五感」の記憶は
いつもギリギリの場面であり
とても大変な記憶ばかりで、
ずっとその状態が続く事で
自分自身がどうなるかを
想定出来ない記憶ばかりなコトに気付く

「五感」について考えていると
「六根」という言葉を見つけた。

少し調べてみると、
六根とは仏教用語であり、
眼,耳,鼻,舌,身,意の6つの感官能力をいう
他にも六境、六識という言葉も見つけた
面白い記事に関しては、
その中で「どっこいしょ」という言葉の語源が
「六根清浄」という言葉の可能性が
あるらしい事が分かった。

本筋から離れるので元に戻したいと思う、

「意」「意識」と捉えれば
「意識」して覚えている事については
それこそ「意識」して覚えようとは
むしろしていなかったかもしれない

「心が知覚を有しているときの状態」
を意識しているというらしい、
意識は、目や耳などの感覚器官が、色や声など、
それぞれ別々に認識するのに対し、
「対象を総括して判断し分別する心の働き」
という事からも「心」が大事な気がする。

そう考えると「意識」して覚えている事の
どれをとっても大変で厳しい環境だったけど
今では面白い記憶となっている、
すると「記憶」の中では「五感」のどれかが
鮮明になっているのが理解出来た。

「論理的」に覚えているコトと
「意識」して覚えているコトについて
自分なりに整理する事が出来そうだ、
覚えなければいけない事を
整理して覚えている内容は
どちらかと言えば「論理的」であり
「意識」して覚えている内容は
「感情的」な記憶が多い。

自分自身を振り返って中で、
「論理的」な記憶が多い仕事をしている時ほど、
ミスも少なく、堅実な仕事をしている。
反対に「感情的」な記憶の仕事は、
大失敗もしているのだが、
それを楽しんでいる自分がいたし
時に大成功につながったコトもある。

職務経歴書を作りながら
各サービスへの登録をすませると
ありがたい事に面談の連絡も
幾つか入ってきた。

今後に向けて、
どの様に自分自身の
キャリアをデザインするかを
論理的に考えなければと
思い過ぎていたかもしれない
職務経歴書を作りながら
自分自身を振り返った中で、
もっと自分の
「五感」を信じて良いのかもしれない

今の段階で、
「かもしれない」ばかりなのは致し方無い、
以前は判断基準が
必ずどこかに存在してくれていたのだから、
今となれば、
とても有難いコトだと認識出来るが
そこに依存し過ぎていた自分がいたコトを
改めて理解する機会となった。
今こそ、
自分自身で判断基準を作り上げなければいけない

「かもしれない」ばかりのバランスを
徹底的に考えに考えて考え抜こう、
答えを出す事は重要だけれど
答えを出すプロセスを楽しむ事にしよう。

続く

2018年に退職後、 独立して頑張っております。 まだまだ不慣れですが 何に対しても頑張りますので 温かく見守ってくださいませ(^^)