「アンチャンティー」2

 打謳の胡散臭さを語るのならばその見た目に注目しないわけにはいくまい。まず服装だが、これは一見とても整えられた、清潔できっちりした印象を与えてくる。しかし、なにごとにも裏はあるというもので、打謳の場合は形の良いジャケットの裏地にその本性が隠れている。黒と紺を基調としたジャケットの内側には、アフリカ大陸のどこから仕入れて来たのかというひどくエキゾチックで呪術的な紋様で染められた生地で派手に飾られている。そしてその紋様はズボンの裾やシャツの襟など、とにかく人の目に触れづらい内側にばかり施されている。

 極め付きはその髪型だ。長めの黒髪をオールバックにし、サイドを刈り上げ、もみあげや襟足は剃り落とし、自然な部分など一ミリも残さないよう徹底的に人の手を入れた反自然主義の髪型だ。見た目こそきちんとして見えるが、私のこの、羊毛のようなふわりとした天然パーマの方がよっぽど清潔だと思える。奴の髪型は理容師の努力でもって築かれた技術で、私の髪は血の成せる業による芸術だ。

「ずいぶん長いこと黙っているが、私のことでなにか失礼な思考を構築していないかね?」

「住居不法侵入を犯した反自然主義者のペテン師に失礼な思考など浮かんで来もしない」

「いま三つ失礼な単語が浮かんできたけど」

 打謳は私の右手から飲みかけのグラスを取り上げ、勝手にアルコールを足し、レモンを丸々ひとつ絞り、マドラーの代わりに筆の持ち手で液体をかき混ぜた。そしてグラスを口元で傾けることなくアンチャンティーの横においた。

「何がしたいのだ貴様」

「邪魔に決まっているだろう!」

 両腕を鷹揚に広げた芝居のような立ち居振る舞いは、見慣れてしまった私には効果がないが、こいつと初めて商談をする芸術愛好家には、どちらに場の主導権があるのかという暗示をかけるのに効果的らしい。

「というのは冗談で、ちょっと頼みがあって立ち寄ったのだよ。ほら、これ名古屋のお土産」

 そう言って赤福の包みをパレットの上に乗せる。裏側が潰された絵具で悲惨なことになっていそうなのですぐには取り上げないでおく。

「ありがとう。礼は言わんぞ。さぁ、帰れ」

「だから、帰れない事情があるんだって」

「やだよ。お前必ず面倒事を引き連れてくるんだからさぁ」

 新しいアンチャンティーを淹れ、レモンを取りに席を立つ。その間、打謳はずっと筆の持ち手でもってレモンハイをかき混ぜ、あれ、これって蓮太郎が握っていた筆だっけ、バッチイ! とひとり叫びながら、またべつの筆の柄でもってグラスの中をぐるぐるさせている。

 申し遅れたが、私は小滝蓮太郎という。明治時代に活躍した音楽家と名前が似ているから、覚えてもらいやすいと思う。大分県で、結核によって夭折した、あの音楽家だ。ただ私は彼より長生きだから、彼より立派な芸術家になれるはずだと、日々自分に言い聞かせながら夜を越えている。今年で二七歳になった。まずは名前だけでも、憶えていただけるとこれ幸い。

 冷蔵庫を開ける。なんの疑いもなく伸ばした手は、チルド室の中で空を掴むこととなった。身を屈めて覗き込む。あの見事な黄色がどこにも転がっていない。そうか、さっきのレモンが最後のひとつだったのか。

 冷蔵庫を閉め、代わりにクローゼットを開ける。絵具で極彩色に染まったエプロンを外し、Tシャツの上から母が編んでくれたセーターを着こむ。手先が器用だった母は編み物の腕も一級品で、そこらの量産品よりもずっと頑丈で洗練された趣のある服をつくることができた。このセーターも受け取ってから五年が経とうとしているが、いまだ毛玉のひとつもできたことがない。

「どこへ行こうというのだ。話はまだ終わっていないぞ」

「黙れ。話などはじまってすらいない。そういった交渉は相手に聞く耳がそろっていてはじめて成り立つものだ」

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