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京都・下鴨神社の片桐功敦「LIGHT OF FLOWERS花と光」展でひかりをみた
京都の下鴨神社で行われた、いけばなのエキシビョンに出かけてきました。
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これは、フランスの高級ジュエリーメゾンVan Cleef & Arpels ヴァン クリーフ&アーペルと、華道家の片桐功敦氏のコラボレーションによる生け花とジュエリーの展覧会です。(会期は2022年11月3日から12月12日終了)
片桐功敦(かたぎりあつのぶ)
花道みささぎ流家元。1973年大阪生まれ。人類が原始的にもつ、物や自然への憧憬や畏敬の念を具現化するために、民俗学を手掛かりに、いけばなの技術を用いた表現方法を模索している。出版に写真集『Sacrificeー未来に捧ぐ、再生のいけばな』(青幻舎 2015)などがある。
展覧会タイトルは「LIGHT OF FLOWERS 光と花」そのタイトル通り、光がとても印象的な展示でした。下鴨神社の糺の森の木々にも、花にも、作品にも、光が宿っていました。
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下鴨神社の境内三ヶ所に設けられた展示場所のそれぞれを巡ります。まずはエキシビジョン1、糺の森(ただすのもり)の会場です。
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エキシビジョン1(糺の森)
糺の森は、賀茂御祖神社(下鴨神社)の境内にある森です。縄文時代から生き続ける森で、世界遺産にも登録されています。森の中を小川が流れ、とても気持ちのよいところです。
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紅葉の美しい森を歩きます。歩くたびに足元で落ち葉のカサカサという音が響き、鳥の鳴き声と心地よく重なります。鳥たちに導かれてふと上を見上げると、そこには見事な紅葉の天井がありました。
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紅葉の美しさにふあ〜と見とれていると、いきなり目の前に落ち葉でできた古墳のようなものが現れました。
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よく見るとエキシビジョン1とあります。ここが展示会場のようです。
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もしかしてこれって、この展示のために作られたのでしょうか? まさかね。エキシビションの案内をされている係の方に聞いて見ました。するとやはり、これらは展示のために設えられたものだそうで、展示が終わるともとの状態に戻されるようです。
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入ってみます。なんだか地下の秘密基地に潜るようでワクワクします。
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落ち葉古墳の中ほどに、窓があったので見上げてみました。糺の森の木々が見えます。
「春は芽吹きの季節、夏を輝かせる葉の緑、紅葉に深まる秋、そして来るべき次の春を待つ冬。花が枯れて実をつけ、その実もやがて落ちて葉の色を深く染め、静けさと一種の恋しさを運ぶ晩秋のあいだにも、花はその姿を見せなくとも生きる営みを止めることはありません。そう、それは土の中で、わたし達の足元のさらに下で、ひっそりとでも確実に行われているのです。
次の春を待つ宿根草の根や、こぼれ落ちた一年草の種たちが、地面の中から空を見上げる時、そこにはどんな風景が広がっているのか。降り積もった赤や黄色の落ち葉の間から太陽の光を探すとき、その光はまるで天空に瞬く星のようで、我々の知らない彼らだけのもう一つの宇宙のように見えるのではないでしょうか。」片桐功敦
落ち葉の下に潜ることで、わたしたちはここで次の春を待つ種となって、空を見上げることができるのです。
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さらに進むと、わたしたちはまるで再生の時をむかえるかのように明るい地上へ出てきます。地中を歩いてきたわたしたちは、ようやく小川のせせらぎにたどり着きます。いけばなはその小川のなかにいけられていました。
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花たちは川の流れをせき止めるわけでもなく、その流れのなかに浮かんでいます。花たちによって新しい水の模様がつくられ、ほどかれ、つらなりながら水は流れていきます。
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鬱蒼とした森のなかに映える鮮やかな花たち。
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木漏れ日がまだらの陰翳をつくり、そして同時に光の場所をつくっています。水面に反射した光が、チラチラと花たちのまわりで戯れていました。
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「主会場のすぐ横にとうとうと水の湧き出る社があり、その水源から湧き出た水が小川になって森の中を流れて、鴨川に注がれています。人工的に造った空間の中の水ではなく、会場そのものの下に脈々と流れる水脈があり、それが大きな川へ流れ込んでいるという、会場全体を包む大きな水の循環が、すでにここにある。」片桐功敦
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ここでふと、もといた場所を振り返ると、落ち葉にたくさんの光が降り注いでいました。木々にも、花たちにも、作品にもたくさんの光が宿っていました。
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森のなかを進んで、さらに奥へ。「畏怖」ということばを思い出させるほどに森は暗く。
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暗い森のなかにほうっと灯るような、紅葉の赤さにどきっとします。
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エキシビジョン2(特設会場)
境内の特設会場は光のアートのなかに花がいけられていました。
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エキシビジョン3(細殿)
細殿に特別に設けられた障子の空間。ここに左官仕上げの陳列台が備え付けられ、ヴァン クリーフ&アーペルのジュエリーが展示されていました。
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細殿、障子、左官という純日本風の空間なのに、どこかキューブリックの映画を感じさせるような、不思議な近未来空間体験でした。
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いけばなとジュエリー
日本のいけばなとフランスのジュエリー、生きている花と、枯れない花。展示を見る前は、この組み合わせはわたしにとって、少し意外な気がしていました。
しかし展覧会を見て、そしてパンフレットをじっくり読みこんでいくと、儚い花や自然の美しさをなんとか表現したい、またその美しさの謎を解き明かしたいという職人たちの切ない想いのようなものを感じることができたのです。
「咲いていない花を見ようとすることは、わたし達の想像力をかき立てます。その見えない姿によって励まされることもあります。想像するという行為は、その対象がなんであれ、他者を思う慈しみの発露であると思います。花の命の巡りの中で最も素晴らしい瞬間をとらえてその美を永遠のものにしたい、というヴァン クリーフ&アーペルの職人達の執念にも近い願いは、まさに花への慈しみそのものです。」片桐功敦
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自然への想い、畏怖、憧憬。
同じようにいうのはとてもはばかられるのですが、わたしは小さいころ、青い雪の影や、夕陽に輝く雲の光る縁取りを見て、どうしてこの美しい色が見たままに絵の具で再現できないんだろうと心の底から悔しがるような子どもでした。あの時の焦がれるような悔しい気持ちは、今もものづくりをするときの原動力になっているような気がしています。
自然のあまりの美しさにうちのめされ、到底叶わないのはわかっている、それでもその美しさの謎を解き明かしたい、少しでも近づきたい、自分で表現してみたいという想いは、片桐氏がいうように太古の昔からの人類共通の欲求なのかもしれません。
そのくるおしいほどの想いそのものが、作品に奇跡のような光を宿らせるのだと思うのです。
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その光を、わたしは、たしかに見ました。
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最後に、片桐功敦氏の写真集『Sacrificeー未来に捧ぐ、再生のいけばな』について。東日本大震災から2年半後に福島県南相馬市を訪れた片桐氏が撮影した、「花」の写真集。
自然の容赦ない爪痕が生々しく残された大地に、再生の思いを込めていけられた、あまりにも美しく、かなしく、胸に迫るいのちの花たち。
その光景を美しいと言いたいのだけれど、そうするのが憚られる場所でもある。咲く花だけがそんな心と体の隔たりを優しく埋める存在だった。
花を探し、手折りいける。それだけが僕がここにいることが許される行為と言い聞かせて日々を過ごすうちに春夏秋冬がすぎていった。
ちいさな声を体に溜め込みながらようやく見つかる一握りのその日の花達。僕という命が悩みながら濾過したこの土地の声を再生するように、地に根ざしていたときよりも一層美しく咲きますようにと願いつつ、花達をいける。
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