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30回

近くの丘のようなちょっとした山の散歩道。ほぼ毎日、ほとんど同じコースを歩きながら、同じような葉っぱの写真を撮っている。

そうすると、同じような時間帯に犬の散歩などをされている方と出会うことも多く、「何を撮っておられるのですか?ほー、葉っぱでしたか」と声をかけられることがある。

確かに単なる葉っぱだしどれも同じようなもので目立つこともないから、人からは不思議に見えるのだろうし、自分でも、そりゃそうだよなぁ、と思ったりもする。

でも全部違って見えて面白いのだ。天候や光の具合によっても違ってくるし、なにより風が吹けば飛んでいく。ましてや人や車が通るだけ同じ場所に同じ角度で存在する葉っぱは皆無だ。

だから同じコースで同じように撮っていても、それらは全て偶然による一期一会。恐らく街中でのスナップ写真と根本は同じなのだと思っている。どこまで意図的に撮影するか、というのはあるかもしれないけれども、やはり偶然の一瞬なのだ。そうすると私の場合は草花スナップとでも言うのかもしれない。

街中スナップの場合、お店や建物が変わったりすることで風景に変化が発生する。特に都会の場合だとその頻度も多かったり早かったりすることで、同じ街で撮っていてもその変化を楽しめるのかもしれない。

その点、植物の場合は変化を感じにくいかもしれない。でも、それは変化がゆっくりと絶え間なくいつの間にか起きているから見逃しているだけのようにも思う。変化の大きさではなく、ほんの少しのことであっても単純に頻度ということだけで言えば、街でお店や建物が変わるよりもよっぽど変化しているとも言える。それも絶え間なく。刻一刻と変化している。

そんな小さな変化ではなくても、季節という少し長いスパンで考えてみればわかりやすい。例えば日本のように四季があるとすれば、少なくとも1年間で4つの変化を感じることができる。昔よりも多少わかりにくい気候にはなってきたかもしれないが、それでもまだ春夏秋冬は残っていると思う。

でも、いったいあと何年こんな季節の変化を見ることができるのだろう。

ましてやいつまで撮影することができるのだろう。視力が衰えるだけではなく、足腰が悪くなってカメラを持って歩くことも億劫になるかもしれない。最悪、事故や病気で明日には亡くなるかもしれない。

”一期一会”という単語から、ふとそんなことを考えた。平均的な寿命からすると、あと、3,40年くらいだろうか。でも、足腰を考えたりするとざっくり残り30年かと思ったりもする。

あと30年。

30年と書くとまだ時間があるようにも思う人もいるかもしれない。でも、春夏秋冬で大きく区切って考えると、それぞれの季節はあと30回しかない。

あと30回。

急にぐっと少ないような気がした。
だからこそ、日々を丁寧に大切に生きていこうと思う。光陰矢の如し、時は金なり、など、先人達が残している”時間”の表現の凄みも改めて感じたりもする。

まぁ、生きていこう!はちょっと肩ひじ張っている気もするので、生きていけたらいいな、くらいが自分にはちょうど良いかな。

秋の雰囲気もあってか今朝の散歩はそんなことを思う一時だった。


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