おもしろい文章は「共感8割、発見2割」
「おもしろい文章は、内容がおもしろい」という残酷な事実がある。
もちろん、表現や言い回し、空気感などでおもしろさを伝えられる人もいる。しかしそれができるのは、作家など一部のプロフェッショナルだけ。下手にマネすると「さむいエッセイスト」みたいになる。
プロの書き手ではないぼくたちが「おもしろい」と思われる文章を書くためには「内容で勝負する」必要がありそうだ。
ただ、おもしろいと思われるような「新しい考え方・できごと・情報」なんて、そうそうあるもんじゃない。というわけで、「やっぱりおもしろい文章なんて書けないや」とあきらめてしまいがちだ。
一方で、ふだんぼくらが「おもしろい」と思う文章は、ずっと「なるほど!」「へえ!」が続くようなものでもない。ずっと「新しい情報」だらけの文章は疲れてしまうのだ。
たとえばこんな文章がある。
パプアニューギニアは、南太平洋にあるニューギニア島の東半分及び周辺の島々からなる立憲君主制国家である。
東南アジア諸国連合(ASEAN)の特別オブザーバーであるが、地理的にはオセアニアに属する。
オーストラリアの北、ソロモン諸島の西、インドネシアの東、ミクロネシア連邦の南に位置する。
これは「パプアニューギニア」を説明したウィキペディアの文章に少し手を入れたものだ。
地理に詳しくない人にとっては「新しい情報」だらけだろう。でもこの文章を「ほうほう、おもしろい」とはなかなか思えない。しかもバンバン固有名詞が出てきてついていけない。
それよりは、
先日、パプアニューギニアに行ってきた。
……と言っても「パプアニューギニアってどこだっけ?」という人も多いだろう。簡単に言えば、オーストラリアの「上(北)」にある。
パプアと聞いて「南国少年パプワくん」を思い出す人もいるかもしれない。「南国の、ほのぼのとした国」というイメージを持つ人も多いだろう。
さて実はこの国、第二次世界大戦前までは「パプア」と「ニューギニア」という2つの地域に分かれていたことをご存知だろうか?
第二次大戦では、日本軍と連合国軍がこの地で争い、約21万人もの兵士が戦死した。大戦後に2つの領土は統合されて「パプアニューギニア」と呼ばれるようになったのだという。
のんびりとしたきれいな海も、かつては血に染まっていたと知り、ぼくは複雑な気持ちで帰路についた。
のほうが、まあまあ「読める」し「おもしろい」と思ってくれる方もいるかもしれない(いなかったらごめん)。
「おもしろい文章」のポイントは「共感」にあり
何が言いたいのかというと、おもしろいと思う文章の8割くらいは「わかるわかる」という「共感」でできているのではないか、ということだ。
先日、パプアニューギニアに行ってきた。
……と言っても「パプアニューギニアってどこだっけ?」という人も多いだろう。
などの部分は、別に新しい情報でもなんでもない。ハッキリ言っておもしろくもないだろう。
ただ、この部分があることで、書き手と読み手のあいだの溝が埋まり、
・第二次世界大戦前までは「パプア」と「ニューギニア」という2つの地域に分かれていた
・日本軍と連合国軍がこの地で争い、約21万人もの兵士が戦死した。
といった、後半の「新しい発見」が際立ち、伝わりやすくなる。
このように「旅行に行ったのね」「パプアニューギニアってどこだっけ?」「あーパプワくん、懐かしい」などといった「共感」で引っぱりつつ、残り1〜2割くらいで「そうなんだ!」「なるほどね!」と思わせる。こうすることで「新しい考え方・できごと・情報」がそこまで多くなくても「おもしろい文章」を無理せず書くことができる。
おもしろい文章を書くといっても、内容を「おもしろいことだらけ」にしなくていい。「共感8割、発見2割」を目指すくらいでちょうどいいのだ。
【追記】
……あ。そういえば、上記の内容をツイートしたときに「それは人間も同じですね!」という返信をもらって「なるほど!」と思った。
めちゃくちゃ奇抜で、まったく共通点のないような人を「おもしろい」とは思えない。むしろ「怖い」という感覚に近い。
でも、8割〜9割は自分と同じような感覚を持っていて「気が合うな」という人に「自分と違う部分」を見つけたとき「おもしろい」と思う。
8割くらい共感できて、2割くらいの発見がある。そういう人のことを「おもしろい」と思い、好感を抱くのかもしれないな。