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「悟り」とか「覚醒」ということ(905)

ここで取り上げる「悟り」「覚醒」は、次の意味を持っています。
「悟り」とは迷妄(迷想・妄想)を無くして永遠の真理を会得することであり、「覚醒」は迷いからさめ、過ちに気づくことです。要するに、不完全または誤った知識から脱却して、正しい真理に気づくことと考えるといいでしょう。

「悟り」は仏教用語として有名ですが、心理学ではPNSE(Persistent Non-Symbolic Experiences、継続的非記号体験)と呼ぶそうです。または、「ウェルビーイング(well-being)」(幸福で肉体的、精神的、社会的すべてにおいて満たされた状態)を同義的に用いることがあります。自己超越という呼び方もあるようです。

 [注] persistentとは継続的、固執という意。
     beingとは~されているところ、well-beingで満足しているの意。
     仏教の悟りとは自らの本性・仏性に気づくこと、目覚めること。

では、悟りや覚醒に至る段階にはどのようなものがあるのでしょうか。
心理学者のJeffery Martin博士は、その段階を4つに分けて説明しています。

(1) ポジティブとネガティブの二つの感情の極端に走らない、中間的な中庸の段階にある。
(2) 二元思考を超越した段階。ワンネス(Oneness)の段階と言ってよい。

  これらの二段階では、自我は拡張し、
  あらゆるものに繋がっている感覚となる。

(3) 普遍的な慈愛精神の感情だけになる段階。
(4) 自我や感情を超越した段階。自我という感覚は完全に消滅する。

  後続の二段階では、
  流れていく人生をどうこうしようという思いがなくなっていく。

(私は、このような段階は、自己探求を突き進んでいくことではないかと思っています。)

ちなみに Jeffery Martin博士は、「悟った人」と言っている50人にインタビューしたそうです。
 [補足]
   ・ 選別対象者の前提条件は、
     「少なくとも1年間は、心のベースに幸福感が常にある状態」。
   ・ 選別者たちは、平均年齢41歳で悟りを体験した。

それらの人々には、共通点があったと言っています。最も共通した体験は、「自我の感覚の変化」だと言います。これまでの感覚とはまったく「異なる自分」を感じるのだと言っています。たとえば、
 ・仏教徒は、「自分」という個人感覚ではなく、
  「広い空間いっぱいに拡大した」という感覚
 ・キリスト教徒は、「神(またはイエス)との一体化」などという感覚
と表現しているそうです。だんだんと自我意識が無くなっていき、雑念・感情などが消えていったと言います。要するに、「自分」がより大きな存在になったということです。

参考までに、人間の欲求五段階説(マズローの欲求五段解説=生理的欲求から始まり、安全、社会的、承認、自己実現の段階に至る)について補足しておきましょう。マズローの法則は、最初の二段階が物質的欲求であり、後続の三段階が精神的欲求と分けられます。また別の分け方として最初の四段階が欠乏欲求であり、最後の段階が成長欲求に分けられます。最後の自己実現欲求に満足してしまうと、「自分は素晴らしい知識を持っているのだ」などと自己満足に入る可能性があります。

Jeffery Martin博士の四段階は、強いて言えばマズローの五段階目を「悟る」という観点で分けていったものと考えることができますが、自己満足を求めるのではなく、自他ともに融合してく段階なのだと言えるのではないでしょうか。


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