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自#174|半沢直樹と時代劇(自由note)

「半沢直樹に学ぶ『レジリエンス』(ストレス社会を乗り切る術)」と云う記事を週刊朝日で読みました。「レジリエンス」と云う小池百合子さん(そうあのカイロ大を首席で「御卒業」された小池さんです)ですら、使ってないようなカタカナ用語を、自己のボキャブラリーの中に、新たに詰め込まなければいけないことが、すでにもうストレスかなと云う気もします。研究社の大英和辞典でresilienceを引くと、①はね返り・弾力・弾性、②元気の回復力・不幸や変化からの回復力、③(物理・機械)弾性物体内に貯えられる弾性変形によるエネルギー、と説明してあります。動詞resileは、①はね返る・弾力がある、②元気を回復する・快活である、です。どうやら、レジリエンスは、元来、ゴムまりをぶつけたら、はね返って来るような物理的現象を表した言葉のようです。

 半沢直樹のドラマを観て、はね返って来る元気をもらい、たとえば、バンカーの方が(下っぱであろうと、中堅管理職であろうと)頭取は無論のこと、関連の大臣や、与党の大物幹事長を敵に回して、不正融資について、毅然とした態度で、対等に渡り合い、糾弾して行くと云ったことは、システム的にも、絶対に起こり得ません。せいぜい内部告発の文章を書いて、新聞社などに情報と資料とを、送りつけることくらいしかできせん。が、資料の真偽は簡単には検証できませんし、ほぼ、間違いなく、その内部告発のネタは、スルーされてしまいます。

 テレビ冬の時代の最終回の視聴率で、32.7%の数値を出した半沢直樹は、20年代の初頭を飾る大ヒット作品だとは言えますが、リアルとはかけ離れた絵そらごとでした。人事をめぐるゴタゴタは「お家騒動」ですし、不正を暴く証拠書類は「密書」、密書を奪う「隠密」まで登場して、時代劇と、ほぼ同じだったと言い切ってしまっても、いいかもしれません。時代劇は、現実のリアルではないから、楽しめるんです。今回は、歌舞伎役者を4人も重要なキャストで登用し、大仰な身体表現で「見え」を切らせまくって、大向こうと云うか、テレビ画面の向こうの観客をうならせました。

 半沢直樹は、古典的なドラマとして完成していました。半沢直樹が放映された「TBS日曜劇場」は、松本清張や山崎豊子さんなどの原作を用いて、多くの社会派ドラマの名作を世に送り出して来たわけですが、今回は、完璧なまでの勧善懲悪のヒーローが、知恵を使って、悪事や大きな壁をぶち破ると云う、日本の古典劇の美学を、完膚(かんぷ)なきまでに、表現してくれたと云う見方もできそうです。

 現場の上司と対立したことがある人なら、誰もが理解していることですが、対立は大きなストレスを生み出します。上司と対立すれば、周囲からも疎外されます。半沢直樹のドラマには、半沢のことが誰よりも大好きな、及川光博さん扮する渡真利忍が登場します。私は、教員になって、3つ目までの学校では、ことごとく組合のボスとバトルをしていました。4つ目、5つ目の学校でバトルをしなくなったのは、組合の力が低下して、ボスが存在し得なくなったからです。組合のボスと対立したのは、マルクス・レーニン主義が嫌いだったからではありません(どっちかと云うと私は今でも、マルクスレーニン主義のシンパです)。組合のボスの法や規約、規範に基づかない、オラオラ式の独善的な支配が、嫌だったからです。ボスと対立していて、周囲の誰かが助けてくれるってことは、あり得ません。今の若い人だって、いじめられている誰かを、かつて助けたことは、99.99パーセントない筈です(私は過去35年間の教員生活を通して、いじめられている生徒を、誰か他の生徒が助けたと云う実例を、一例しか見たことがありません)。ですから、今回の半沢直樹のドラマで、No1の人気を獲得した、半沢直樹の心の友のさわやかな渡真利忍は、絵そらごとのキャラクターです。私が読んだ記事には「出世欲の強い人が集まる、ドロドロした世界で、渡真利は、人を陥れず、清廉で情に厚い。一歩引いて、半沢を助ける。現実世界でも、渡真利のような人物が求められていると云う表れではないでしょうか」と、書いてありましたが、現実には出て来ないので、ドラマのキャストとして、脚本家が、この人物を作り上げたんです。捏造と言ってもいいと思います。

 視聴者の感想が幾つか掲載されていました。
「顔芸や名台詞(お・し・ま・い、DEATH!とか、死んでも嫌だねー!!、みたいな)は、明らかに狙っている感じで、盛りすぎ、やりすぎなんだけど、それでもおもしろい」。率直で、首肯できるコメントです。

「わかりやすい。多彩な悪役。圧巻の顔プロレス」。ドラマの半分くらいは、コロナ禍の前に収録されていました。ですから、飛沫を気にせず、思い切った顔芸、名台詞などを、ちりばめることが可能でした。まあ、後半も、前半の勢いを落としてはいけないと、結構、むりくりで、やり切ったんだろうと推測できます。今、街でも、職場でも、普通にみんなマスクをしています。正直、マスクをしているだけでも、ストレスなんです。私は、学校に到着すると、1階から4階まで、階段を一つ飛ばしで、駈け上がるんですが、4階まで上がり切った時は、プチ呼吸困難に陥っています。身体を動かしている時は、マスクをすることのメリットよりも、デメリットの方が、はるかに大きいと想像してます。半沢直樹のドラマの罵声、怒声は、マスクのストレスを、多少なりとも、吹き飛ばしてくれたってとこは、多分、あると思います。

「敵だった人が仲間になって少年ジャンプみたい。アベンジャーズ状態」。確かに、時代劇だと捉えると、2003年の前作の方が、最初からラスボスが明確で、軸がブレず、ストレートだったかもしれません。

「今作ではややキレすぎて堺さんが心配」。半沢直樹は、中堅どころの年齢なので、まだ大丈夫だと思いますが、箕部幹事長が、あの年齢で、あれだけ切れたら、ヤバいかなとは私も思っていました。田中角栄さん(角さん)は、竹下登がリーダーになって造反して、怒り心頭に発して、脳の血管が切れました。私は、60代で、怒って脳卒中になった人を、若い頃、現実に、何人か見ました。還暦を超えたら、もう怒っちゃいけないと云うことを、私自身、肝に銘じていた筈なのに、還暦以降、何回か(多分、3回)怒ってしまいました。危なかったです。ですが、もう、部活もないので、このまま好々爺路線で、ゆるゆる過ごして行けると楽観しています。

「今作は勢いと役者の技量でカバーしている感じ。原作にないオリジナルキャラが出ている分、余計に詰め込みすぎ感がある」。的確な評だと思います。制作している方々も、原作は原作として、コロナ禍のストレスを吹き飛ばすためにも、派手な演出を心がけたと言えそうな気がします。

「ハラハラ、ドキドキする中、花と直樹の場面が出て来ると、ほっこりさせられた」。これから、結婚をしようとしているboy&girlたちに、きっぱりと言っておきますが、花さん(上戸綾)みたいな、明るくて、性格のよい可愛いお嫁さんとか、100パーセント、絶対にどこにもいません。お互いに敷居を下げまくって、結婚と云う一大イベントに、臨んで下さい。

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