さらばツイッター。noteで書くことが無い人、note初心者の方に捧げる記事。
タイトルの意味が、ちょっとよくわかりませんよね。
実は書いた俺もよくわかりません。
とりあえずツイッターはまだやめません。
でも前回の記事で、次の記事のタイトルは「さらばツイッター」です。って書いてしまったのでこうなりました。
ややこしいタイトルですいません。
ツイッター繋がりで話をさせて頂くと、俺は今「note」と「ツイッター」を同時に活用することができて、とても幸せを感じています。
テンション上がりまくりです。
なぜこんなに興奮しているのかと言うと、俺はnoteでよく「独り言」を書いています。とても長い変な独り言です。
そしてツイッターでは、つい最近になって「短い独り言」を思いつく度につぶやき始めました。
俺がなぜ独り言を書くかと言うと、独り言を書くと自分の気持ちが整理されてスッキリするからです。
これはまるで誰かに悩みを相談した時みたいに、文章を書いている内に、自分自身で悩みに対する答えを出しているのです。
俺はnoteの記事で、自分の気持ちや思い、考え、悩み、葛藤、喜びなどを独り言で表現しています。
この独り言をずっと書いていると、悩みに対する解決のヒントが浮かんだり、迷いが消えたり、自分で自分を応援して、励ますことができるのです。
だから俺は自分の記事内で「独り言記事」をしつこくおすすめしています。
独り言は「タメになる情報」や「役に立つ話」「面白い話」を書く必要がありません。
だから誰でも簡単に書くことができます。
話は変わりますが、知り合いにnoteをすすめた時に、こう言われたことがあります。
「自分は人に教えるほどの趣味や特技、経験が無い」
「だから書くことがない」
「自分にはいい文章が書けない」と。
それを聞いた俺はビックリしました。
いやいや、ちょっと待って下さい。
なぜnoteで記事を書くことイコール「何かを教える」になるのでしょうか。
そして「いいこと」を書く必要なんてまったくないのに。
俺はそう思っています。
むしろ俺からしたら、どこの誰かもわからない相手に、いきなり何かを教えてもらう方が違和感がありますし、知りたいことはネットで調べます。
それから「いい文章」が読みたいなら、アマゾンでプロの作家が書いた本を買って読みます。
noteで求められているのは、いや少なくとも俺が求めているのは、いい文章ではなく、何かの答えでもありません。
読みたいのは、ごく普通の人が書いた文章であり、その人が頑張って書いたひとりごと、エッセイです。
俺はその文章を書いた人が何をどう考え、どう思って生きているのかが知りたい。
言い換えれば、
ど素人の書いた心の叫びが、一番心に響くんじゃー!
ああっ、すいません!興奮して叫んでしまいました。
これも俺の「独り言」なので気にしないで下さい。
この叫びは、俺が以前から思っていた
「レベル1の勇者が、noteでは最強なんじゃないか説」
を唱えているのです。
これはどういうことかと言いますと、ドラクエやFFなどのゲームなら、レベル1の勇者(初心者)は最弱です。弱いです。
装備も貧弱ですぐ死にます。お金も無ければ魔法も使えません。
でもnoteという場所での初心者は、話が違ってきます。
もしあなたが今日noteを始めた初心者さんだった場合、noteでは何の経験もありません。
頼る人もいないし、何をどうすればいいのか、何を書けばいいのかわからないでしょう。
でも、その気持ちをそのまま素直に独り言として書けば、とても純粋で気持ちのこもった文章になるのではないでしょうか。
noteで長く活動しているベテランの人にとっては、いつの間にか忘れてしまった気持ち、思いもきっとあるでしょう。
そんな人が初心者さんの記事を読むと、自分の最初の頃を思い出して懐かしく感じたり、何か気づきがあるかもしれません。
俺は「はじめまして」の自己紹介を書いている人の記事が好きです。
期待と不安の中で書いているその人の記事が、とても新鮮で好きなのです。
そしてその「note初心者さん」が、記事にできるような知識や経験がなく、文章力も表現力も何も無かった場合、ゲームであればすぐにゲームオーバーかもしれません。
でもnoteでは、「何もない」からこそ自由に思ったことが書けます。
何もない、うまく書けない、誰も読んでくれない、どうすればいいのかわからない、寂しい、孤独だ、でも書くことが好きだ。
そんな思いが書き綴られた文章は新鮮だし、何にも染まっていないし、誰の真似でもありません。
そんな中、経験や知識を書くのではなく、ただひたすら思ったこと、感じた文章を書いていったとしたら、
これって何もなくても、何もありますよね?
日本語が確実におかしいですけど、その文章にはたくさんのことが詰まっています。
何も無いようで、実はたくさんの武器を持っているのです。
初心者にしか書けない文章。
初心者ならではの記事。
それは初めて感じたことであり、体験したことや気付いたこと。
これは初心者の方にしか書けない文章であり、初めての時しか書けない記事です。
そしてそこから少しずつ経験を積み、また記事を書く。
新たな体験をして、新たな仲間と出会う。
そして前に進んでいく。
記事を書いていくうちに書けなかった思いが表現できたり、自分では思いつかなかったアイディアが浮かんだり、もしかしたら自分では気付かなかった知識や特技に気付くかもしれません。
このレベル1から始まる、その人だけのいわば
「人生ゲームnote版」
は、その人にしか書けません。
これは大きな武器です。
読んでいる人にとっては、笑いが無くても盛り上がりが無くても、その人が成長していく姿が面白いし、「何もない」「いいことが書けない」と悩みながら書いてある、そのエッセイが面白いのです。
ですから俺は「何も書くことがない」と言うのなら、それをそのまま書けばいいと思います。
下手でもいい。いいことも言わなくていい。だってただの独り言だから。
俺はいつも記事でそう書いていますし、自分にそう言い聞かせています。
そして自分の独り言は、正しいことを書く必要はありません。
正しいか、正しくないかは自分には判断できないし、最終的に重要なのはそこじゃない。
文章を書くことが楽しいか、楽しくないか。
そこだと思います。
俺はnoteで長い独り言を書き、ツイッターで短い独り言をつぶやき、スタエフで好きなことを喋ってストレスを発散しています。
これはすべて自分が楽しいからやっていることで、この記事の内容も、いいのか悪いのか、正しいのか、正しくないのかはわかりません。
でも自分が楽しくて、好きでやっているので、誰も読んでくれなくても、反響がなくても認められなくても、何の問題もありません。
外に向かって何かを発信すると、「見て欲しい」「読んで欲しい」と多くの人に評価して欲しくなりますが、自分の内側というか自分自身に向かって書く気持ちでいると、周りの評価は気にならなくなります。
いやすいません。言い過ぎました。
本当は気になるのですが、過度な期待をしなければ、評価されなくてもそれほどガックリすることはないし、何も期待せずに思ったことを書き続けていると、記事を読んでくれる人、応援してくれる人はきっと現われます。
ですからnote初心者の方、記事を書けない、何を書いたらいいかわからないという方は、その思いを文章にしてみるのが一番だと思います。
ツイッターで俺がつぶやいているのはこんな独り言です。
何も面白くないし、何の役にも立ちません。でも俺は楽しいので満足です。
これでいいのだ。
ここだけの話ですが、現在タイムマシンを作っているので、その資金に使わせて頂きますね。サポートして頂けたら過去のあなたに大事な何かをお伝えしてくることをお約束します。私はとりあえず私が14歳の時の「ママチャリで崖から田んぼにダイブして顔面めり込み事件」を阻止したいと思います。