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ケイコ 目を澄ませて

2022/12/16上映,99分,日本

去年観た中でいちばん好きだった映画。
書こう書こうと思って1ヶ月も経ってしまった。
言葉にしようとすればするほど本質が逃げていってしまう気がする。

例えばこの映画の概要を言葉で説明しようと試みるとすると
「聾者の女性プロボクサーの孤独や葛藤を通して、周囲を取り巻く人との暖かい交流を描く」
的な感じになると思うんだけど、これではこの映画の0.1%も説明できてる気がしないのだ。
映画において、いかにストーリーというものが片端の一要素に過ぎないかということがわかる。

じゃあどうしてこんなにも感動しているかというと、おそらく、あらゆる映画的な言語を駆使して僕に話しかけてきてるからだと思うんだけど(それがまた主人公が聾者であることとの相性がいい)、評論家でもないので、全然分析できない。

それでも一つだけ、音の扱い方について言及すると、

例えば冒頭で主人公が氷を噛む音で、この映画の効果音に対するアプローチがわかる。つまり生活音の音量がでかいのだ。

そして劇伴がない。

劇伴というものは劇中には存在しない音で、観客の感情をコントロールするためにある。

でもこの映画にはそれがない。
なぜならそこで鳴る生活音すらも聴こえていないケイコに対して、劇伴はさらに遠ざかるからだ。
つまり、実際にはそこで鳴っているけど、ケイコには聴こえていない音のみで、この映画は構成されている。

グローブが小気味よくミットを叩く音、床が縄跳びを弾く音、配慮の欠如した職質の後で列車が高架を擦る音、その全てが主人公には聞こえていないという事実が、観客の心に波を立たせるのだ。

最後に唯一劇伴らしい曲が流れる瞬間がある。
それは一緒に住んでいる、おそらく音楽をやっている弟の、爪弾くギターと口ずさむメロディで、つまりそれすらもケイコのそばで実際にずっと鳴っていたけど、ケイコには聴こえていなかった音なのだ。

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