給料は労働の対価か?
おはようございます!
立川談慶さんの「落語と資本論」を読み、
久しぶりに給料のことを考えています。
給料は労働の対価という考え方は、
今は常識となっていますが、
私はそれでは幸せな気分にはなれない
と考えています。
*
マルクスが言うには、
付加価値を生むのは労働で、
その付加価値未満しか
給料は払われていなく、
残りは資本家が搾取しているといいます。
余剰価値と名づけています。
その後の経済学では、ざっくりいうと、
それは資本家が商売を考えて実行し、
リスクを取った適正な利益であり
搾取ではないとします。
今の経営コンサルタントならば、
このあたりが常識でしょう。
*
でも、そうでない考え方もあります。
人間はそもそも、
必要以上のものを作ってしまうクセがある。
という考え方です。
内田樹先生は、
蜘蛛が今日は糸の出が良いから
他の蜘蛛の分まで巣を張ってあげようとか、
ビーバーが今日は歯の調子が良いから、
他のビーバーの家まで作ってあげよう
としている姿は想像しにくいと言います。
しかし人間はそれをしてしまう。
何故なら、
余分なものを人にあげると
気分がよくなるから。
「ありがとう」「助かりました」と言われると、
とても良いことをしたような気分に
なるからです。
*
マルクスの余剰価値を、
資本家が搾取したと考えたり、
資本家が努力で得た利益だと考えるより、
人間はそれを気分よくやってしまうのだ
と考えるほうが私は好きです。
学校の先生から教わったことを
授業料払っているから±チャラだ
とは考えにくいものです。
お金には代えられません。
教えてもらった分は、
次の人に手渡していくことでしか
自分の帳尻はあわせられません。
保育・教育、医療・介護は
その色合いが強い。
それだけでなく、通常の仕事も、
自分の付加価値でできた
という側面もありますが、
お客様との双方向のやり取りがあって
生まれるものです。
お客様に育てられたという感覚や、
先輩に教えてもらったという感覚は
誰しもあるものです。
それを、給料は労働の対価
と割り切ることは私にはできません。
周りの人から渡された部分が多分にあり、
それは次の人に渡していかなければ
自分の帳尻が合わないと私は考えます。
そう考えた方が、幸せな気持ちになります。
しかし、こうした考えを、
普段の仕事でいうと
奇異な目で見られてしまうので、
あまり声に出すことはありません。
でも、時々言いたくなることがあります。
今日もよろしくお願いします。
安島
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