「虐待の連鎖を私の代で終わらせる」
先日、息子の友達の前で私が自分の帽子を脱ごうとしたら、その子は咄嗟に自分の頭をかばいました。その時、昔誓ったこの言葉を思い出しました。
自分も親になり大変さを実感してからは、「お父さんもお母さんも望む形での愛情が得られなかったバックグラウンドがあり、その悪循環の中でもがきながらもその時は精一杯だったんだ」と今となれば分かるのです。
ただ人によってはそのトラウマで自分の本心のままの選択をできない時もあります。私の姉は「観音様ですか?」と言うぐらい優しくて強くて、私と違い道に逸れる事もない人でしたが、「本当は結婚したいけれどお父さんのように2面性のある人だったら怖い」「本当は子供が欲しいけど母親のように手をあげてしまったら自分が許せないから一生子供は持たない」と10代の頃から話しており今も独身です。縁が無かった訳ではないのに、言葉を尽くしても気持ちは変わりませんでした。両親を恨んでる訳でもなく、勝気な私とは違い何でも受け止めてしまう姉は、私の倍以上に理不尽な思いをしてきたのに無条件に許して、社会人になってからは親世代の周囲も羨むであろう親孝行を献身的にしてきました、私はそこまでできません。
先日久しぶりに子供と大喧嘩をして、「息子の感情ジェットコースターを受け止めれなかったなあ」と寝顔を見ながら後悔した時に見つけたブログに私と姉のようにコントロールされていた過去とその影響による生きる上での不自由さの原因を具体的に書いてらっしゃる方を見つけました。
NOTEのクリエイターで「伴走者ノゾム」さんです。
親に甘えるという事が分からなかった子供時代がある方にぜひ読んでもらいたいと思います。読み進めていくうちに連鎖の原因と怒りを抑制するヒントがクリアになっていきました。沢山の響く記事があるので胸を突くタイトルから読み始めてもらって大丈夫だと思います。アンガーマネジメントの本を数冊読んでも感情の管理が難しかったのが、連鎖の因果関係と詳細な親の感情の機微が可視化された事でその当時を俯瞰して見れるようになり、両親の苦しさが分かった事で本当の意味で許せたような気がします。そして、子供のそのままの気持ちの大冒険に寄り添えるようになりました。
いわゆる自分の親が毒親で、そして自分の子供が何かしらの発達障害を抱えている場合は、「残酷な時間」を過ごしている関係になりやすいと、療育の場で目撃した親子を見てきて感じています。
どうにもならない事を誰かに助けてもらうのは脆さを露わにする事でも恥をかく事でもありません。見過ごされやすいですが助けを求める事は最も効率的な改善の方法だと思います。