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【カムヤマトイワレビコ】クマに襲われ大ピンチ!?のちの初代天皇をあの神様が救った話【日本神話】

どーも、たかしーのです。

今回は、日本の神話に登場する『カムヤマトイワレビコ』について、書いていきたいと思います!

前回の『トヨタマビメ』の続きから話は始まります。


神武東征(前編)

※今回も「古事記」をベースに書いていきます。

イワレビコ、誕生!

前回のおさらいですが、ヤマサチビコことホオリは、海の神ワタツミの娘トヨタマビメと結婚し、息子ウガヤフキアエズを授かりました。

ホオリとトヨタマビメの子 ウガヤフキアエズ(wikipedia)

ですが、ホオリがトヨタマビメとの約束を破ってしまったため、トヨタマビメは海の国へと帰ってしまい、代わりに妹であるタマヨリビメを息子を養育するという理由で、遣わせることにしました。

タマヨリビメ

で、その続きになりますが、成人したウガヤフキアエズは、なんとタマヨリビメと結婚をすることになります!
つまり、ウガヤフキアエズからしてみれば、自身の伯母を妻に迎えたということになります。

そして、ウガヤフキアエズは、4人の子供を授かることになります。

  • 長男: 五瀬命イツセ

  • 次男: 稲氷命イナヒ

  • 三男: 御毛沼命ミケヌ

  • 四男: 神倭伊波礼毘古命カムヤマトイワレビコ※またの名を 若御毛沼命ワカミケヌ 豊御毛沼命トヨミケヌともいう。

このうち、次男であるイナヒは、母タマヨリビメの故郷である海の国に行くようになり、また三男であるミケヌは、常世の国に行くようになったので、4兄弟のうち2人が、葦原中国(地上界)を去ることとなります。

なお、この常世の国は、海の彼方にあるとされる異世界だとされており、かつてオオクニヌシの国造りをサポートしたスクナビコナも、この常世の国に帰ったと『古事記』には書かれています。

↓「スクナビコナ」については、こちらをどうぞ。

そして、残った四男であるカムヤマトイワレビコが、のちに初代天皇である神武天皇となるのです!

カムヤマトイワレビコ 改め 初代天皇 神武天皇(wikipedia)

ここまでの内容で、神代の話が書かれた『古事記』上巻は終了となります。

イツセとイワレビコ、東の地へ!

※毎回、カムヤマトイワレビコと書くと長いので、ここから「イワレビコ」と略して記載をします。

時は経ち、葦原中国に残った長男イツセと四男イワレビコは、天孫であるニニギが降り立った 日向ひゅうが(現在の宮崎県)の高千穂の地にいました。

↓「天孫降臨」の話については、こちらをどうぞ。

あるとき、イワレビコは、兄イツセとともに、葦原中国を治めるにはどこへ行くべきかを相談し、その結果、東の地で政治を行うことを決断します。

これが、かの有名な「神武東征」のお話になります。

そう決めたイワレビコは、兄イツセとともに船団を率いて、東の地に向けて、出発します。

日向国を出発した一行は、 豊国とよのくに 宇沙うさ(現在の大分県宇佐市)へと進みました。

そこから北上して、 筑紫国つくしのくに(現在の福岡県東部)の 岡田宮おかだのみや1年を過ごし、

イワレビコが1年過ごした岡田宮(岡田神社)(wikipedia)

さらに東へと進んで、 阿岐国あきのくに(現在の広島県西部)の 多祁理宮たけりのみや7年

イワレビコが7年過ごした多祁理宮(多家神社)(wikipedia)

さらにさらに東に進んで、 吉備国きびのくに(現在の岡山県とその周辺)の 高島宮たかしまのみや8年を過ごしました。

イツセ、死す…!

イワレビコ&イツセの移動ルート(おおまか)
(引用:はじめての三国志

おおよそ16年もの年月をかけながら、ゆっくりゆっくりと東へ進むイツセとイワレビコ。今度は、 浪速国なにわのくに(現在の大阪府)の 白肩津しらかたのつに船を停泊させて、上陸をします。白肩津は現在の東大阪市付近であるとされています。

すると、そこでは、ナガスネビコ(登美能那賀須泥毘古)の軍勢が待ち構えていたため、イツセとイワレビコは、やむなく戦うこととなりました。

そして、この戦いで、兄のイツセは、ナガスネビコが放った矢が当たってしまい、重傷を負ってしまいます。

それを知ったイワレビコが、兄イツセのもとへと駆けつけると、イツセはこう告げました。

イツセ「ああ、ワイらが間違っていた…。太陽神アマテラスの子孫でありながら、太陽に向かって戦ったのがいけなかったんや…。せやから、イワレビコよ。これからは大きく迂回して、太陽が背になるようにして、戦わなアカンで…。」

それを聞いたイワレビコは、イツセの言った通り、南に進路を変え、紀伊半島沿いを船で下り、熊野(現在の三重県熊野市)で上陸をして、南から攻めのぼることにしました。

ですが、この道中、 紀伊国きいのくに(現在の和歌山県と三重県南部)の 男之水門おのみなとという場所で、兄イツセはついに力尽き、亡くなってしまいました。(イツセ……!!!!!!)

イワレビコ、クマさんに出会う

兄イツセを失った悲しみを背負いつつ、ついにイワレビコは熊野に上陸を果たします。

山道を歩き、熊野の村で休んでいると、突然、大きな熊が現れました。

この熊はイワレビコの前に現れたかと思うと、すぐさま消えてしまいました。ですが、実はただの熊ではなく、熊野の山に住む土地神が熊に姿を変えたものであったため、イワレビコはじめ彼が率いた兵士たちは、この神様の毒気にあたり、全員気を失ってしまったのでした。

このピンチに、同じく熊野に住むタカクラジ(高倉下)という男が現れ、気を失ったイワレビコに大太刀を献上しました。

大太刀(wikipedia)

すると、イワレビコは、この大太刀が持つ不思議な力によって覚醒し、そしてこの大太刀をもって、熊野に住む荒ぶる神々をバッタバタと切り倒していったのでした。また、倒したことによって、気を失っていた兵士たちの意識も回復したのでした。

イワレビコを救ったのは、あの神様!

この大太刀のおかげで一命を取りとめたイワレビコは、タカクラジに手に入れた経緯を尋ねました。

すると、タカクラジは、自分の夢にアマテラスタカミムスビが現れ、私はそれに従ったのだ、と語りました。

太陽神こと最高神 アマテラス(wikipedia)

タカクラジの夢の中で、アマテラスはこう語っていました。

アマテラス「今、葦原中国は騒然としていて、私の子孫たちはとても悩んでいます。なので、葦原中国を平定したお前が再び天降りをして、なんとかしてきなさい!」

と、ある神様に命じました。

その神様は…

タケミカヅチ(wikipedia)

かつて、ニニギが天孫降臨する前に天降りをし、葦原中国を統治していたオオクニヌシに国譲りを迫り、見事に成功をおさめたタケミカヅチだったのです!(再登場キターーー!!!)

↓「タケミカヅチ」が活躍した国譲りの話がこちらから。

こう命じられたタケミカヅチは、アマテラスに対して、こう答えました。

タケミカヅチ「ならば、ワイが葦原中国を平定した際に使った大太刀を降ろしたりますわ!」

と言いい、自分ではなく、自分の大太刀を降ろすと告げたのでした。(もう葦原中国に降りるのが、めんどくさくなってそう…)

なので、その受け取り手として、タカクラジが夢を使って呼び出され…

タケミカヅチ「ええか?ワイがお前さんとこの倉の屋根に穴を開けて、そこからワイの大太刀を落としとくから、それを持って、イワレビコのとこへ運んでくれんか?」

と告げられました。

ここで、目が覚めたタカクラジが、すぐさま倉へと向かうと、夢で告げられた大太刀が本当にあったので、イワレビコのもとへと運んだ、といういきさつだったのでした。

この大太刀は、その名を霊剣 布都御魂ふつのみたまといい、現在は奈良県天理市にある 石上神宮いそのかみじんぐうに、ご神体として祀られているそうです。

石上神宮(wikipedia)by Zeter114514

おわりに

『神武天皇東征之図』(wikipedia)

神武東征」のお話はまだまだ続きがあるので、それは次回書いていきたいと思います。

なお、今回の主人公『カムヤマトイワレビコ』が誕生したあたりで「古事記」上巻までのお話が終了し、「神武東征」のお話から「古事記」中巻に突入しております。

ちなみに、「古事記」に登場するやいなや、すぐさま退場してしまった次男イナヒと三男ミケヌですが、「日本書紀」では、この2人の兄は、熊野に上陸する前に遭遇した嵐を鎮めるため、自ら海にその身を投げたと記されています。

こういった違いが「古事記」と「日本書紀」であるのも、日本神話の面白いポイントなので、他にも探してみると、新たな発見があるかもしれませんね!

他にも、歴史上の人物神話などをベースに、記事を書いていく予定ですので、是非フォローなどしてもらえるとありがたいです!

それでは!

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