見出し画像

❨420❩1972.10.25.水.晴/ポリスと喧嘩/Mossoro:Brazil

明け方雨があり、テントを出してかぶる。
ココア、ビスケット、チーズの朝食。

オッサンと別れてから、Natalの町へは入らないで通過。

トコトコ走っていると、いらいらして来る。暑い!約10km走り、百姓小屋の前で車を待つ。
通過、通過、車はとまらない。必死で親指を立てるが、ダメ。

9時過ぎ、シボレーの小型がやっと止まった。1時迄乗った。ずっとひどい荒野だった。
その中をー一焼けるような日差しの下ーー、一人の老人がロバの背に乗って行く姿が目に入り、ずっと印象に残った。

1時半頃Mossoroの町へ入り(250km走った)、昼食。だだっ広い感じのするところだが、汚くはない。

中央市場の横の屋台で、一皿150円の定食を食う。パインも一つ、ペロッ。

もう走るのにイヤ気がさしてきた。
この暑さの中、ミイラになってしまいそう だ。

夕方までガソリンスタンド(ポスト)の軒下にダウン。
暗くなってついでにそこに寝る事にした。

ウトウトした頃、ポリに起こされた。たぶん、ポストの親父が云ったのだろう。
「ここで寝ずに向こうへ行け!」
と、頭に来るような口ぶりで云いやがった。

しばらく反発したがどうもダメで、もう相手にするのもバカらしいと思い、仕方なく自転車を引き、裏のバールへ気分直しにと思って行きかけたら、しつこくついて来て、今度は「他の所で飲め!」なんてぬかした。

もう俺のカンシャク玉がじっとしていなかった。
出るだけの大声で、知っているだけのポルトゲスを使って
「やいポリ、おまえにそんな事言う権利がどこにある。それなら俺は今から署まで行って、お前のボスに文句言ってやるから一緒に来い!」と云ってやった。

「もうボスは家に帰っていない」というから、
「じゃあその家まで連れて行け」といってやった。

20~30の人が集まって来て、俺と二人のポリのケンカを見ていた。
恥も外聞も関係なしに、怒鳴り散らしてやったら、ポリめ、黙ってしまった。
ざまあみろ!バカヤロー!と、スカッとした気分でその場を離れる。

ヤジ馬の中の、近所の親父がニコニコしながら寄ってきて、
「あのポリは悪い奴だ」「おまえは正しい」 とうような事を言って、 結局、家に泊めてもらう事になった。
こんなモメ事の後の親切は、身にしみて有難く思った。

それにしても、デタラメのポルトゲスと日本語があの二人に通じたかと思うと、おかしくなった。
勝利 勝利…

Mossoro
Mossoro

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?