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❨932❩1974.3.18.月.晴→曇/ー後記ービ~~バ ビシクレッタ!!/日本

一後記ー

何を取りあげ、何を省くか思案に明け暮れ乍ら、やっとこの一冊が出来た。
毎日記録した事を、そのまま載せただけで、読みごたえも、面白くもないと思う。
楽しんで読んでもらおうと思って書いた訳ではない。
小生の旅の間、心配をかけ、応援を送ってくれた皆さんに、感謝の意をこめて、どんな旅でどんな所へ行ったのか、少しでも知ってもらえればと思い、四冊の日記からこの一冊にまとめた。

二年半の旅は、長過ぎたかもしれない。予定は、一年~一年半の積りだった。
しかし、知れば知る程世界は面白く、興味が出て、欲が出て、最初の計画には全くなかったヨーロッパ・アフリカ・アジアまで足を伸ばした。
結果的には、様々な苦労をしたが、行って良かったと思っている。

各々の変った風習や人間について、かかえ切れない程沢山、この目で見て来たのだが、それを文字として書き残す事は、根気の必要だった事は勿論、非常に苦痛でさえあった。

自転車に乗っている時は、兎に角、走る事、体力への挑戦と、自然との闘いが主だった。そして一日が終れば、飯を作って食い、テントの中で眠る。
土地はめまぐるしく変わったが、自分の毎日の生活様式は、殆ど変わらなかった。

「何の為に走ってばかりいるのか」、分からなくなる時が幾度もあった。
だから、そんな日は、走って来た。距離その ものを計算して、その実績ーー何km走った事が、どれだけ努力したかー一を、考えるのだった。

原始的な生活をしていると、考えもまた原始的になって来る。
この旅でもっともよく考えた事は、「自然」という事だった。それはやはり、その中での生活が殆どであった為に、考えねばならな事でもあった。

人間には、自然の中で素朴な生活をする、そんな時が沢山あった方がいいと思った。
電気も水道もガスも、柔らかいフトンも家もなく、それに替わる粗末な物で、余計な物の何もない生活。そんな生活が、現代社会の人間には必要ではないか?
こんな事も、砂漠の中で山の中で、真剣に考えた。

旅の途中、正直いって、日本が恋しくなった時もあった。落ち着いた生活がしたいと思う事も、度々だった。
夕暮れ時、仕事を終え、家へ帰る人々を見 て、帰り着く所がある人が、どれ程羨ましく思える時もあった。

「自然」との闘いと共に、この旅は、孤独との闘いでもあった。
特に夕方というのは、疲れと共に気力も失せて、よくセンチメンタルな気持ちになった。
しかし、旅の慣れと共に、一人である事はかえって自分の行動を強力にしたと思っている。

全て自分で計画し、実行する事は、失敗も多かったが気楽であり、思い切ってやれた。
これから後、どれだけの人にこの旅を語るかも知れないが、小性の旅のやり方は、誰にも推薦はしまいと思っている。それは、今考えるに、あまりに危険度が高いからだ。死んでいいという人にのみ、参考になる旅の方法だと思う。

前を恐れず、後も振り返らず突き進むといったやり方は、平和な生活をしている人達から考えれば、無謀に近いのではないか?
だが自分では、それで良かったと思っているのだ。非常に下手な旅であったとも云えるが、半面、自分の力を試すには、このやり方が一番だった。

つましい生活をモットーとし、現地の貧しい人との交わりが、何より楽しかった。
時には、ゲェ〜とする様な物を無理して一緒 に食べたり飲んだりもした。
どこの国へ行っても、貧乏な生活をしている人達程、親切な人間が多く、よく歓迎もしてくれた。

人の心は、世界中どこへ行っても、そんなに変わらない。親切にしてくれた人達には、あらためて合掌したい。そして、この得た親切を、今度は子供達に与えてやりたい。

旅は終った。個の生活から、集団の中へ帰っ ていかなければならない。
またせっかちな人種の中での生活が始まる。染まらず、逆らわず・・・さて、難しいことだ。
南米に一度は捨てた命だから、それを思えば何でも出来る気もする。

ビ~~バ
ビシクレッタ!!
(自転車、バンザイ)

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