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ブランディングと脳、その“怪しい関係”

「消費者目線」への疑い

新しい知識の多くは学術研究から誕生し、それをヒントに民間企業のR&D部門で研究開発が進められ、企画部門や製造部門の手によって製品やサービスという形で具現化、マーケティング部門の施策を通して私たちの生活へと浸透していきます。

マーケティングという学術がアメリカで誕生し、日本の大学のプログラムにも採用されるようになったは1980年頃と言われています。もちろんそれ以前にも日本ならではの商慣習を伝授するための学問は存在していて、当時は「販売管理論」などの名称で呼ばれていたそうです。日本初のPOSシステムをセブンイレブンが国内に持ち込んだのもこの頃で、まさにアメリカナイズされた新たな販売管理の手法が日本のビジネスに取り入れられ始め、学術界、産業界ともにマーケティングの夜明けを迎えた時代でした。

それ以来、マーケティングに関わる私たちが最初に叩き込まれてきた最重要セオリー、それが「消費者目線」です。“マーケターたるものお客さまの目線に経って考えるべき”を第一とする、ある種マーケターのテーゼのように語られるこのセオリー。すでに私たちの頭に刷り込まれてしまっていて、疑問に思うこともほとんどありませんが、よく見つめ直してみると怪しいところがあるのです。それは、私自身も感じるところですが、そもそも消費者の目線を理解せよと掲げられるだけで、消費者のどこに、何に注目すればいいのか、具体的なやり方については語られることがないということです。

”スローガン”という言葉がまさに適しているのかもしれませんが、消費者目線の重要性を言う方も、言われる方も、具体的な消費者目線の掴み方を示すことができないとすれば、「消費者目線」はマーケターとしての気合いで終わってしまってもおかしくありません。

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行動ではなく、心理に迫れるか

近年、マーケティング領域で「カスタマージャーニー」の重要性が言われ、消費者の行動を捉えるための手法として関心を集めています。最大公約数的な想像上の消費者像を設定し、その行動を仮定して施策を企画・実行するという消費者理解に向けた具体的なマーケティング手法です。

カスタマージャーニーの策定は、確かに消費者理解に近づく効率の良い方法にも思えます。ただ、「目線」と「行動」とは明らかに異なるもののはずで、消費者が最終的に取るであろう行動だけに目をやるのは、少し不十分に感じなくもありません。消費者が閲覧や行動などの行動を取るに至るまで、巷に溢れる情報のうち何を見て、どう処理し、ブランドをどのように感じ、どのような思いでその行動を取ったのか、こうした心理や内面の変化に迫ることが”目線に立つ”というテーゼが求めることであって、またそれこそがブランディングに関わるマーケターが好奇心を持って本当に知りたいと願っていることなのではないでしょうか。

消費者のどの側面に注目し、その目線を捉えるかーー恐らくこの問いに答えはありません。消費者の視覚に注目するか(アイカメラ)、日々の行動変容に注目するか(エスノグラフィ)、発言内容に注目するか(SNS分析)など、その可能性は無限に存在します。マーケティング論の中で消費者研究を専門とする消費者行動論を見渡しても、数理的アプローチ、社会学的アプローチ、心理学的アプローチなど、多種多様な研究分野で消費者心理への迫り方が探求されています。やはり、複雑怪奇な存在である消費者をたった一つの側面で捉えることは至難の業、ことブランドという曖昧模糊な総合的なクリエイティブ表現が対象ともなると尚更です。

早速行き詰まり感が漂う中、私自身、一人のマーケターとしてできること、そして恵まれていると思うことがあります。それは、こうした様々ある消費者側面のうち、自分が興味と信念を持って探求したいと思う側面を決め、深く想像を巡らせ、そこからを得られた答えを信じて施策へと反映していく機会が日々あるということです。自分ならではの消費者理解の分析軸を定めてみること、これが消費者の目線に立つ第一歩になるはずです。

そして、今回注目する消費者の側面は、脳システムです。

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脳内に存在する2つのシステム

消費者がブランドに対峙した時、脳内で何が起きているのか。こうした問いに答えることを目指して、コンシューマーニューロサイエンス(消費者脳科学)では様々な科学的な実験が行われてきています。そこで用いられる代表的な手法は、電磁波を使って脳内の血中酸素濃度を測るfMRI、頭に取り付けた電極から脳が発する脳波を計測するEEG、脳活動の結果起こる表情の動きを評価するFACSなどで、広告や製品、ブランドを被験者が見た際、脳のどの部分で各計測値がどう変化するかによって、心理状態を推定する試みが多数行われています。

これらの方法は、非侵襲(被験者の身体内部に手を施す必要がない)手法というメリットがあり、何よりも科学的に証明された技術をもって、私たちに未知の知見を提供してくれるものです。ですが、こうした脳科学的な取り組みで行われることは、上でも書いた文字通りに「実験」であり、しかもそこでの消費者は「被験者」でしかありません。大掛かりな機械を用意し、大げさにも見える機器を身につけ、実際の購買シーンとはかなり異なる状況下で再現を行わざるを得ず、日常の買い物シーンでの消費者目線とは大きく違った結果が得られる可能性が指摘されています。

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そこで、もう少し心理学的なアプローチから消費者の脳システムを捉えてみたいと思います。2002年にノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者ダニエル・カーネマンの著書『Thinking, Fast and Slow』などによって脳内の2つのシステムの存在が明らかになってきました。それは、Fast=速い思考システムと、Slow=遅い思考システムで、それぞれシステム1・システム2と呼ばれます。よく引用される例え話を使って、もう少し噛み砕いていきたいと思います。

たとえば、私たちが山でハイキングをしているときにヘビに出くわしたとします。私たちは瞬間的に驚き、恐怖を感じ、無意識に冷や汗が出て、心拍数が上がっていきます。ですが、よくよくそのヘビを見てみると実はただの木の枝だったことに気づき、安堵し、鼓動も収まり、ハイキングを再開しようと再び歩き出します。

このうち、第一の”ヘビ”のときに起きた瞬間的かつ反射的な脳の反応、その結果として無意識下で起きた発汗や心拍上昇などの生体反応がシステム1です。また、第二の”枝”の時に起きた理性的な脳の反応やハイキングを再開しようという意識下での考慮的で意図的な行動がシステム2です。2つのシステムは、「本能」と「理性」と言ってもわかりやすいかもしれませんが、私たちがある情報を刺激として受け取ると、まずは無意識下で脳が素早く反応して条件反射的な行動を引き起こし、次に冷静に状況を観察した上で意識的に次に取る行動を決定しているというのが、この脳の2システムの考え方です。もう少しイメージを湧かせていただくため、それぞれに関連するキーワード列挙してみます。

「システム1」→ 「システム2」
 速 い     遅 い
 直感的     論理的
 本能的     理性的
 無意識     意 識
 反射的     熟考的
 単 純     複 雑
 主観的     客観的
 潜在的     顕在的
 生体反応    意図的行動

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ブランディングと脳システム

脳をたった2つのシステムに区切って解説することには限界があるようにも感じられますが、一旦この説に基づいてブランディングに話を戻すと、私たちが広告や店頭で特定のブランドを目にしたときも、この2つの脳システムを経由していると考えれます。つまり、目線に入ってきたブランドに対してまずは瞬間的・無意識的な反応が現れた上で、次に熟慮的な行動を取るということです。

今まさにこの時期、AmazonのBLACK FRIDAY セールを流し見していて、それまで購入しようとも全く思ってもいなかった商品にふと心奪われた人も少なくないはずです。「欲しい」という気持ちが湧き上がり、なくなってしまうのではないかという焦燥感に駆られ、本当にお得なのかと他のサイトや商品を比較、最終的にはなんとか区切りがついて購入を諦めたものの、二度とこの値段では手に入らないかもしれないという不安な気持ちに駆られ、なぜか落ち着かない気持ちで過ごしている。(余談ですが、こうした不安定な状態を消費者行動論では「認知的不協和」と言います。)

この少なからず私たちが経験したことがあるであろう、”ふと心奪われる”という無意識的な反応、そしてそこから”購入を諦める”という意識的な行動への変化は、まさにシステム1からシステム2への脳経路に近いものだと考えられます。

このように脳システムという側面から消費者を捉えてみると、買い物シーンでも2つの脳システムが買い物結果に影響を及ぼしていることが想像されます。ブランディングを進めるにあたっては、この2つのシステムそれぞれにおけるブランドの役割を考える必要がありそうです。

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変わること・変わらないことの脳への影響

以前のコラムで、ブランドには「変わること」と「変わらないこと」があり、そのバランスが重要であることを書きました。そして、ブランディングを日本語で「矛盾化」と表した上で、名称やロゴ、デザイン、色、形状、フォントなどのブランド資産を要素として生み出される総合的なクリエイティブ表現のうち、「変えてはいけないこと」を決めて堅持し、「変えるべきところ」を見定め変革・遷移する二面的な活動がブランディングだという考えを示しました。

このブランドに含まれる「変わること」と「変わらないこと」と、脳の2つのシステムの関係を考えてみると、「変わらないこと」は本能的なシステム1に、「変わること」は理性的なシステム2に強く影響するのではないかと考えられます。

速いシステムであり無意識下での生体反応を引き起こすシステム1においては、与えられた情報を瞬間的・直感的に判断することが必然になります。そのため、消費者に用いられるブランドに関する情報としては、それが他のブランドと比べて機能的に良いか・悪いか、価格が安いか・高いかといった比較検討のような熟慮が必要な情報ではなく、親近感、信頼性、ステータス性といったこれまでの購買経験を通して主観的に蓄積されてきたイメージが優先されるはずです。つまり、消費者がそのブランドを見た瞬間の光景と、時間をかけて消費者の脳内に構築されてきたブランドに対するイメージが無意識に紐付いていく段階ということです。そのため、ブランドの「変わらないこと」が維持されているほど、そのイメージは強固な記憶として蓄積されていきやすくなり、瞬間的に引き出される反応もよりポジティブなものになると想像できるのです。

街中であの黄色のMマークのロゴが目に入った瞬間、私たちは香ばしいフライドポテトの香り、柔らかく懐かしいハンバーガーの食感を思い出し、無意識にお腹が鳴り、よだれが口の中で溢れていることを感じたことがあるはずです(もちろん逆に、まとわりつくような油臭さを思い出す人もいるはずですが)。ブランド資産の一部を長期間に渡って堅持することによって、私たちの脳内にこうしたイメージの引き出しが用意され、ブランドのイメージが変わらなければ変わらないほど、その引き出し方もスムーズになっていくわけです。

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次に、遅いシステムであり意識的に考慮・行動するシステム2においては、たとえ自分にとって「ポジティブなブランドだ」とシステム1で判断されたとしても、そのブランドを引き続き持ち続けることは正しいのか、そのブランドの商品は本当に自分にとって必要であるかどうか、購入することによってどのようなメリットが得られるのかといった、より意識的・熟慮的な反応・行動が取られます。そのため、そのブランドの新たな要素として追加される「変わること」がより魅力的なものであるほど、比較検討において選択されるための効力を発揮することが想像されます。

先ほどの例で言えば、システム1で感じたポジティブな反応に反して、ダイエットの自制心が働き誘惑を断ち切ろうとしたものの、期間限定のバーガーの魅力に打ち勝てず、結局イートインしてしまったといった感じです。

まとめれば、ブランドのうち「変わらないこと」は本能的な脳のシステム1に、「変わること」は理性的な脳のシステム2にそれぞれ強く影響するということが考えられます。(もちろん、「変わらないこと」がシステム2に影響することもあればその逆もあるはずで、実際にはそれぞれがきれいに役割分担するものではなく、あくまで傾向として捉えるべきものだと考えます。)

ブランド本に見過ごされた、手付かずの領域

”ブランド関連の本や記事を読んだたところで、世界的な有名ブランドの事例しかなくて自分には参考にならない”ーーブランディングに関わる人なら誰しも感じたことのある不満で、実際、私自身も思うところでした。ですが、今回の記事の執筆を通して気付いたことがあります。

歴史ある有名ブランドは比較すると消費者の脳内に蓄積されているイメージの引き出しが出来上がっていることから、目にする光景が反射的に脳内で紐づきやすい”ブランド敏感状態”にある一方で、知名度の低いブランドは脳内に引き出しすら存在しない”ブランド鈍感状態”のため、そもそも脳内で無視され反応すら起こらない可能性があります。

ここで気付いたことは、”ブランド本は有名ブランドの紹介ばかり”という事実は、私たちが知り得てきたブランディングに関する知識は、実はブランドイメージが脳内に出来上がった敏感状態の消費者のみを前提にして語られていたのかもしれない、ということです。こう考えると、脳内とくにシステム1で瞬間的に反応してもらえるようブランドをどのように構築させていくのか(=無名ブランドのイメージが刷り込まれていく過程の解明)、鈍感状態から敏感状態にどう消費者の脳を変えていくのか(=その具体的なブランディング&マーケティング手法)など、まだまだブランディングには手付かずの領域が多く残されているように感じるのです。

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自分だけの分析軸を手に入れる

ところで、私は現在スタートアップ企業でブランディング責任者務めていますが、一般的にベンチャー企業やスタートアップ企業は、創業の歴史が短いこともあって、そもそも「変わらないこと」どころか変えられそうな要素すら存在しないことが普通です。言い換えれば、ターゲットとする方々のほぼ全てが自社ブランドに対して鈍感状態ということです。

こうした零細・中小企業においては、まず名称やロゴ、色、配色ルール、形、キャッチコピーなどのブランド資産を作成することから始め、それら体系的に管理することがスタートになります。言い換えるなら「変わらないこと」を作るための準備を始めるということです。そしてこの管理体制が整ったら、コンセプト改善を求める周囲の誘惑に打ち勝ちながら「変わらないこと」をベースにしたプロモーション施策を頑なに投下し続け、脳内ブランド敏感状態の方々を増やす努力をとにかく進めていく、これが大切なステップだと考え、施策の推進に努めています。

ところが消費者(私自身を含む)は、優柔不断で気まぐれな存在です。また、それぞれのマーケターの方が置かれた環境は一つとして同じではありません。そのため、ブランディングに統一的な正解や確実な方法は残念ながら見つかりそうにありません。ですが、上でもお伝えの通り、このブランディングという不確実性の高い領域においては、様々ある消費者理解のアプローチの中から最も自分が可能性を感じられる分析軸を見つけ出すことが大切だと考えています。その分析軸から消費者を探求し続け、施策のトライ&エラーを繰り返していくことが、答えのない世界では、最も手早く、確実な正攻法だと思うのです。

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【ブランディング関連で執筆したnote】
ブランディングには、「変わること」と「変わらないこと」がある
ブランディングと脳、その“怪しい関係”
ブランディングの絶対神、「有名になること」の先へ
消費者視点のブランド・デザイン ー 記号としてのブランディング
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【執筆】
和田 崇
株式会社Laboro.AI マーケティングディレクター
経営学修士(マーケティング論・消費者行動論)
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【 経歴 】
立教大学大学院 経営学修士(マーケティング論・消費者行動論)。
立教大学大学院 ビジネスデザイン研究科 博士後期課程 中退。
2005年、KDDI株式会社に入社、コンシューマ向け商品・サービスのクロスメディアによるプロモーション施策の立案・企画運営に携わる。
2014年、全国漁業協同組合連合会に入会、水産庁が推進する地域支援プロジェクトの推進メンバーとして従事。
2019年にLaboro.AIに参画。PR・広告宣伝・プロモーション領域をメインに、マーケティング/ブランディング業務を担当。
日経クロストレンド、ニュースイッチなど、寄稿多数。一般社団法人 日本ディープラーニング協会 G検定資格保有。日本マーケティング学会、日本産業経済学会、人工知能学会、情報処理学会、各会員。
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