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017:同質化の圧力への宣戦布告|クレイジーで行こう!第2章

成功者をリスペクトする開拓者の国アメリカ

先日、ウォルター・アイザックソンの「Trailblazers Podcast」に出演したことをnoteに書いた。これは、僕にとっては本当に嬉しいことだった。苦労して、苦労して、本当に苦労して、ここまで来た。毎日毎日、一生懸命に社会益のことを考え、アメリカに辿り着いた。今は亡き母や、今も心から尊敬する姉を含め、家族に対しても自慢に思った。

コロナ中ということもあり、収録は自宅から音声で参加したのだが、実際放送がされてみると、そのクオリティの高さに驚いた。もちろん編集が入っているのだが、全体のストーリーをものすごく構造的に整えている。

ウォルター・アイザックソン本人から発せられる数々の発言からは、僕がやってきたことに対するリスペクトを強く感じた。アメリカは、そもそも開拓者の国だ。また、金を掘り当てようと多くの人たちがカリフォルニアに集まった「ゴールドラッシュ」は、その典型でもある。

この国では、至るところに「リスクを取って成功した」「どん底から再起した」というような武勇伝が溢れている。この国の人はそんな話が大好きなのだ。結果として、「リスクを取って何かに挑戦し、成功した人」に対して、無限大のリスペクトがある。

面白いのは、「リスクを取って成功した人」の次に尊敬されるのが、「果敢にリスクを取ったが、結果として失敗した人」ということだ。ここカリフォルニアでは、「リスクを取らなかった人」について話がのぼることは、ほとんど無い。実に清々しい世界が広がっている。

たとえばベンチャービジネスを創造し、リスクを取って生きるということは、決して楽なことではない。良いことと悪いことが、年間、月間単位ではなく、週間、日間単位で交互に押し寄せ、年がら年中、感情がジェットコースターのように上下する。正直、胃袋がいくつあっても足りない。

「学生のときに本当に好きだった彼女に振られたのがショックで、それから恋愛ができなくなりました。私は現在45歳です」などという中年男性の話をまれに聞くが、ベンチャービジネスを始めたならば、そんなメンタリティではとても生きていけない。

僕が会社を創業してから5年以上経つが、結局、丸1日休んだ、という日が一日もない。買い物やサーフィン、ブラジリアン柔術の道場に行き、携帯電話に物理的に触れない瞬間があったとしても、その前後5分以内は、何かしらの仕事をしている。

こうなってくるともはやそれは「仕事」ですらない。最近は周囲に対して、自分の仕事のことを「まあ、趣味みたいなもんだから。あと、趣味だと思っていないと、やっていられない」と話している。

前回の記事でも書いたが、技術的、また経済的に市場に横たわる「事業機会」を追い求めることなく、他人の金を使って会社を創業し、これまた証券市場で無防備な個人という他人に対して無価値な株を押し付けようとする「架空のベンチャー話」に熱心な経営者は、こんな気持ちにはならないだろう。

幾多の困難を乗り越えるためには、それをやる根源的な理由が必要なのであり、それを実現するためには、強烈な覚悟が必要になる。苦しいことは多いが、辞めようと思ったことはない。逆境はたくさんあったが、それを乗り越えるタフさには自信がある。こういう精神力を授けてくれた母と姉に感謝したい。

そんな情熱や姿勢に対して、ウォルターからのまっすぐなリスペクトを感じ、僕はアメリカという国の素晴らしさをしみじみと噛み締めた。そしてその一方で、日本でこれまでに感じた真逆の文化について、思いを馳せざるを得なかった。

リスペクト無きメディアは衰退する

昨年末、ある大手新聞社が僕に取材したいと言ってきた。この新聞社はかつて、僕がヒト型ロボットベンチャーをGoogleに売却した後に取材したいと言ってきたのだが、あまりにも取材依頼のメールが「上から目線」だったので、取材を断った経緯がある。

その後、その新聞社は、最大手新聞社の一角にその身を置きながら、Googleによるヒト型ロボットベンチャー買収に関して、事実と全く異なる記事を全国紙の中で投げ続けた(本来的な事実チェックを行わないというカルチャーが、まだ残っているらしい)。

そもそも情報ソースが曖昧で、彼らの情報ループの内側にいる人物による、意図的に操作された情報が日本中に伝播していく。非常に残念な気持ちがした。

昨年末に取材依頼を受けたとき、PR会社を通じて、「過去の御社執筆の記事の中で、事実と異なるものが多数世の中に出回っているが、それについてどう思うか?」と伝えると、感情むき出しで、「そんなことは無い。そもそもPR会社身分がそんなことを新聞社に伝達すること自体失礼だ。逆に謝罪しろ」と言ってきた。もはや暴力団やその辺のゴロツキと変わらない。

そんな人間に編集委員だ何だのタイトルが付いているというのだから、笑ってしまう。しかし、もはやこんな男のことはどうでも良い。単純に、彼は良い死に方をしないだろう。虚飾にまみれた扇動記事を書き続けたとして、強烈なデジタル化が進む中で、数年おきに購読料(つまりその新聞社の売上)は半減していく。

中身がスカスカならば、この全国紙もいずれバタンと倒れるのだ。重要なのは、日本を代表する新聞社の取材姿勢(実際に取材における事実確認の姿勢も含む)と、アメリカのメディアのそれの違いについてだ。

以前、Fast Companyというこれまたアメリカの有力メディアの取材を受けたときも、どこまでも記者がその分野を勉強してから取材に来ていることが記憶に残った。本当に隅から隅まで調べてから取材の現場に足を運んでくる。

「なんでこんなに知っているんだ」「よく勉強しているなあ」というのが正直な感想だ。このウォルター・アイザックソンの番組についても、同じことを感じた。

取材相手に対して事前に調べ尽くし、記者が勉強してから取材に臨もうとする気概、またきちんと勉強しているからこそ生まれる、取材相手への確かなリスペクト。

アメリカはスピードが早く、非常に合理的な国である一方で、ウォール・ストリート・ジャーナルや、ブルームバーグ含め、「アメリカのメディアは世界のメディア」という意識が強く、世界中の人たちがこれに注目するという意味でも、記者の質が非常に高いことを感じた。

同質化の圧力に屈するな!

「日本には、リスクを取って成功した人間に対するリスペクトが無い」。これはその昔、歌手の矢沢永吉さんが言っていたことでもある。僕はこれまでに、色々とそういう場面に遭遇してきた。

ヒト型ロボットベンチャーをGoogle売却したとき、大きなニュースになった。自分がやってきたこと、きちんと関わってきたことが、世界中から注目された初めての体験だった。

ニュースが出たとき、たまたま仕事上の知人に会う機会があり、この話をした。

「これまで頑張ってきてよかったよ!」

彼も一緒に喜んでくれるかと思った。ところが、彼の表情は曇っていた。

「正直、悔しいです」

僕は耳を疑った。確かに、彼はそう言ったのだ。その意味が、最初はよくわからなかった。彼はサラブレッド的に育っていて、いわゆる「いい大学」を出ており、仕事の能力も優秀。だが僕からすると、彼と僕がやってきたことは全く別で、比べる対象ではないはずだ。

僕は大きなリスクを取って、それを成功させた。彼は、本当に僕と自分を比較して「悔しい」という感想を抱いているのだろうか。

日本社会の平均化と同調圧力が、多くの才能ある人たちの足を引っ張っていく。同じ学校を出ていれば、だいたい同じ才能で、その先には同じ人生が待っている。共産主義ではないのだから、そんな統制が取れるわけもない。

僕がまだ大学に通っていた頃、3年の終わりに母親が亡くなった。そんな経緯もあり、4年生になっても、すぐに就職活動ができなかった。

僕は理工学部で応用物理を専攻していたが、同じクラスの人たちでも、理工系就職をするのではなく、金融や商社などを受ける人もいたことを覚えている。正直、僕はもう間に合わないタイミングだった。たまたまキャンパスですれ違った同じクラスの人間から、

「どういうところを受けるんだ?」

と聞かれて、

「商社はもう間に合わない。銀行かなあ。東京三菱銀行が、エントリーシートの提出が間に合わなかったのに、無理やりプロセスに乗せてくれたんだよ」

と答えると、彼はこんこんと語り始めたのだ。

「東京三菱銀行は、難しくて無理らしいよ」

その言葉に、僕は首を傾(かし)げた。

この男、不思議なことを言うなと直感的に思ったのを覚えている。「難しくて無理」というのは、誰にとって難しいのだろう。誰にとって無理なのだろう。彼にとっては難しくて無理かもしれないが、なぜそれが他の人や僕にも当てはまると思うのだろう。

同じ早稲田大学の理工学部、しかも同じ応用物理専攻だからといって、僕と彼が同じ人間であるわけではなく、同じ将来がやってくるわけではない。やってきたことも、生活環境も、全然違うじゃないか。

毎回記事の最後にリンクを貼っているTBSのCS番組『Dooo(ドゥー)』でも話したが、日本では大きくて一つだけのピラミッドを意識しがちだ。しかし、実際の世の中はそうなっておらず、たくさんのピラミッドがある。その分野で成功するということは、何も「あなたよりも僕のほうが(絶対的に)優秀ですよ」なんて簡単な話ではないのだ。

たまたまその分野に才能が合っていただけのこと。僕が起業して成功したとして、それは僕の知人にとって彼がお先真っ暗ということを意味しない(何しろ多くの人は起業なんてしていないのだから)。

僕は正面切って精一杯生きてきた。Googleに会社を売却し、技術の進化に貢献した。人工知能を使って、水道配管の劣化を分析できる技術も開発した。そういう活動をリスペクトする文化があるからこそ、新しい技術が生まれるのだと思う。逆に蔑むような輩がいたら、新たな技術や成果は世に出なくなるか、つぶされてしまうに違いない。

アメリカが個人の才能をリスペクトできる背景には、このあたりをきちんと理解して、小さい頃から個々の違いを尊重する教育がなされていることがあることを付け加えよう。

これも矢沢永吉さんが昔言っていたが、いつの時代でも、やる奴はやるし、やらない奴はやらない。50歳のおじさんでも尊敬できない奴はいるし、25歳でも尊敬できる奴はいる。大切なのは皆同じじゃないということ。同じ学校を出れば同じ未来が待っているわけじゃない。

ただし、一度自分がこの分野と決めたら、人生を賭けなきゃ成功はできない。学歴でも職歴でもない。やる意義と、執着心。これからの可能性を持つ人たちは、同質化の圧力に屈せず、戦ってほしいと思っている。

蟻地獄(ありじごく)からできるだけ離れろ

同調圧力に屈しないためには、今の環境を変えることだ。

もう既に現役は退いておられるが、僕が「この人は頭が良いなあ」と思ってきた人の中に、経営コンサルタントの大前研一さんがいる。

この人は起業して上手くいくタイプではないと思うのだけれど、こと世の中の本質を語らせたら日本一、とても立派な人だ。著書も多く出していて、そのひとつ『時間とムダの科学』にこんなことが書かれている。

「人間が変わる方法は三つしかない。一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの要素でしか人間は変わらない」

簡単なようだが、僕はこの意見に全面的に同意する。アメリカに移住することで、僕は住む場所を変えた。さらに付き合う人が変わった。当然時間配分も変わっていった。それで人生が変わったと思うからだ。

若い人や女性など、日本におけるある種の同質化圧力に毎日苦しめられている人がいるかもしれない。でも、それにショックを受けて縮こまる必要はない。「私たち、一緒だよね」なんて言う奴らに引っ張られてそちらの方向に行くと、たいてい良いことはないのだ。

他人の評価や嫉妬から、できるだけ離れた方がいい。もちろん、自分がリスペクトしている人の評価は真摯に受け止める。でもそれ以外、そのあたりにいる同僚や学校の先生、学校や会社の同期なんかに振り回される必要はない。

変化しないでいれば、居心地はいいかもしれない。でもそこは、蟻地獄のようなものだ。いったんハマるとなかなか抜け出せない。抜け出すためには、独立独歩で、自分を信じて進むしかない。そのために、時間配分と住む場所と、付き合う人を変える勇気を持って欲しいのだ。

(記事終わり)

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- どうせなら、挑戦する人生を歩みたい -
「誰でも起業して成功することはできるんです」
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前編20分:

後編20分:


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