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JAPANESE ROCK 80's 名盤選

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79年から93〜94年頃までの日本のロックを盤単位で紹介。 音楽的な側面から検証・紹介していきます。
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#jrock

55枚目 D'ERLANGER「LA VIE EN ROSE」(1989年)/ヴィジュアル系のターニングポイント〜ヘヴィメタルとポジティヴ・パンクの狭間で

55枚目 D'ERLANGER「LA VIE EN ROSE」(1989年)/ヴィジュアル系のターニングポイント〜ヘヴィメタルとポジティヴ・パンクの狭間で

#jrock #80s #D 'erlanger #デランジェ #NOVELA #44MAGNUM #XJAPAN #BOOWY #ヴィジュアル系

ヴィジュアル系のルーツと呼ばれるバンドはいくつもありますが、現在のような女性的な美しさをベースにした感性へと舵を切ったのはどこだったのでしょうか。キーワードは<エレガント>です。

美しさを求めるという意味での最古のヴィジュアル系バンドは、1980年に

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54枚目 COMPLEX「COMPLEX」(1989年)/ティーニー・ボッパーとしてのCOMPLEX

54枚目 COMPLEX「COMPLEX」(1989年)/ティーニー・ボッパーとしてのCOMPLEX

#jrock #80s #complex #コンプレックス #布袋寅泰 #吉川晃司 #BOOWY

久々に書きます。

COMPLEXを聴いていて、ふと思ったことがあるので書いてみます。それは、COMPLEXの音楽は、ティーンに向けたロックンロール・ミュージック、つまり、日本のロックにおける最後のティーニー・ボッパーなのではないかということです。

ロックンロール・ミュージックは、その誕生から長い

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53枚目 ASYLUM「ASYLUM」(1989年)/民族音楽的なプリミティヴなエネルギーを発する最高傑作

53枚目 ASYLUM「ASYLUM」(1989年)/民族音楽的なプリミティヴなエネルギーを発する最高傑作

#jrock #80s #asylum #アサイラム #ガゼル #ポジパン #トランスレコード

元祖ヴィジュアル系と言われるバンドは沢山いますが、その中にポジパン=ポジティヴ・パンクと呼ばれたジャンルの占める割合は大きいと思います。

ASYLUMはYBO2の故北村昌士が立ち上げた80年代を代表するインディー・レーベルであるトランス・レコードの看板アーティストの1つ。今となっては、ポジパンからビ

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52枚目 The Comes「NO SIDE」(1983年)/初期ハードコア四天王の1つ、女性ヴォーカルのハードコア・パンク・バンド

52枚目 The Comes「NO SIDE」(1983年)/初期ハードコア四天王の1つ、女性ヴォーカルのハードコア・パンク・バンド

#jrock #80s #comes #カムズ #チトセ

ギズム、ガーゼ、カムズ、エクスキュート。日本のハードコア四天王と呼ばれるこの4バンドは、日本のハードコアシーンの黎明期を支え、その血は80年代を通してシーンの中に息づいていました。
ギズムとガーゼはそれぞれのスタイルを確立させ、息の長い活動をしましたが(ガーゼは今でも健在!)、カムズとエクスキュートは比較的短命で終わってしまいました。しか

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51枚目 REBECCA「REBECCA IV」(1985年)/80年代J-Rockのヒットの先陣を切った、捨て曲なしの名盤

51枚目 REBECCA「REBECCA IV」(1985年)/80年代J-Rockのヒットの先陣を切った、捨て曲なしの名盤

#jrock #80s #REBECCA #NOKKO

レベッカの再結成ライヴ観てきました。全盛期のライヴは映像でしか見たことないんですけど、いい意味でも悪い意味でも昔のまま。ほんとに変わらない。
NOKKOはすでに50歳を超え、昔みたいな激しい踊りこそしないものの全盛期のハイトーン・ヴォイスは健在で、声はかなり出ていた。さすがに80年代と同じようなアドリブはしなかったけど、まだまだなんの問題も

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50枚目 BAD MESSIAH「GOLDEN SEEDS」(1990年)/THE CULTに影響を受けた骨太で硬派なロックンロール

50枚目 BAD MESSIAH「GOLDEN SEEDS」(1990年)/THE CULTに影響を受けた骨太で硬派なロックンロール

#jrock #80s #バッドメサイア #BADMESSIAH #SA #馬淵大成 #JUNGRAY

50枚目はSAの野音ライヴ成功記念に、バッド・メサイアを。シンガーの馬淵大成が80年代後半から90年代にかけてやっていたヘヴィなロックンロールバンドです。これがひとクセあるバンドで。

バッド・メサイアは、(オリジナル)SAを解散させた馬淵が、佐野昌樹g(元ヴァージン・ロックス)、JUN-G

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49枚目 V.A.「THE PUNX」(1985年)/バラバラな内容だが、収録曲のクオリティがハンパないカセットブック作品

49枚目 V.A.「THE PUNX」(1985年)/バラバラな内容だが、収録曲のクオリティがハンパないカセットブック作品

#jrock #80s #ラフィンノーズ #GAS #G .I.S.M. #ウィラード #リップクリーム #コブラ #JICC #宝島

またしても久々の更新になってしまいました。
ラフィンにウィラードときたので、両方入ってるこいつをいきましょう。

「THE PUNX」は85年3月にJICC出版(宝島社)からカセットブックという形でリリースされました。カセットテープに冊子が付いていて、書籍扱いにな

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48枚目 The Willard「Good Evening Wonderful Fiend」(1985年)/インディーズ・ブームを牽引したパイレーツ・ロック

48枚目 The Willard「Good Evening Wonderful Fiend」(1985年)/インディーズ・ブームを牽引したパイレーツ・ロック

#jrock #80s #ウィラード #Willard

というわけで、ラフィンに続いて、インディーズ御三家の一角、ウィラードです。現在まで存在感を持って活動を続けるラフィンノーズや劇団を通して存在感を発揮しつづけた有頂天のケラと違って、ウィラードは解散こそしていないものの、ほぼ行方知れずの状態でした。しかし、ここ最近で3バンドとも活動が活発になりそうな兆しがあります。

ウィラードは82年にシン

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47枚目 LAUGHIN' NOSE「MEAT MARKET」(1988年)/謹慎を経て、バンドの音を一変させた問題作にして最高傑作

47枚目 LAUGHIN' NOSE「MEAT MARKET」(1988年)/謹慎を経て、バンドの音を一変させた問題作にして最高傑作

#jrock #80s #ラフィンノーズ #laughinnose

バンドブームの前にはそれと繋がる形で<インディーズブーム>なるものがありました。メジャーのレコード会社がロックをまだまだ軽く見ていた80年代前半、アンダーグラウンドなシーンでは、確実に(アンチメジャーという形で)ロックは成長していました。それも歪な形で。その勢いはNHKなどでドキュメンタリーが製作されるほどでした。中でもインディ

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46枚目 THE BLUE HEARTS「THE BLUE HEARTS」(1987年)/日本のロックの流れを変えた史上最重要作品

46枚目 THE BLUE HEARTS「THE BLUE HEARTS」(1987年)/日本のロックの流れを変えた史上最重要作品

#jrock #80s #真島昌利 #甲本ヒロト #BLUEHEARTS

なんと1ヶ月ぶりの更新になってしまいました。
80年代後半の日本のロックを語るとき、必ず向き合わなければならないにいや、もしかしたら、日本のロック史上最重要かもしれない名盤いきましょう。THE BLUE HEARTSのデビューアルバム「THE BLUE HEARTS」です。

1987年のある日、「未来は僕らの手の中」がラ

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45枚目 桑田りん「世界中の時計を止めてしまいたい夜」(1985年)/マーシーが描く、古さという名のロマンティシズム

45枚目 桑田りん「世界中の時計を止めてしまいたい夜」(1985年)/マーシーが描く、古さという名のロマンティシズム

#jrock #80s #真島昌利 #篠原太郎 #BRAKERS #佐野元春 #桑田りん

プリティ・フラミンゴスつながりでいきます。リンこと桑田りんのデビューアルバム「世界中の時計を止めてしまいたい夜」です。

プリティ・フラミンゴスとは、佐野元春のバックバンド、ザ・ハートランドの女性コーラス隊の名前で、ハートランドのメンバーがまだまだ流動的だった81~82年に存在しました。1期メンバーには白井

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44枚目 白井貴子& The Crazy Boys「NEXT GATE LIVE」(1986年)/
佐野元春から受け継がれていくルーツとしてのアメリカン・ミュージックという視点

44枚目 白井貴子& The Crazy Boys「NEXT GATE LIVE」(1986年)/ 佐野元春から受け継がれていくルーツとしてのアメリカン・ミュージックという視点

#jrock #80s #白井貴子

80年代中期に山下久美子と双璧の人気を誇った女性ロッカーが白井貴子です。87年に2枚組の「Cosmic Child」をリリースすると、バンドを解散してイギリスへ。90年にシーンに復活するものの、そこには既に居場所はありませんでした。そのせいか、それ以降も音楽的な再評価をされることなく現在に至ります。山下久美子がBOOWYと共に時代の最先端の音を作っていったのに

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43枚目 山下久美子「1986」(1986年)/大きな波と変化が起きる前の静かなる前兆

43枚目 山下久美子「1986」(1986年)/大きな波と変化が起きる前の静かなる前兆

#jrock #80s #山下久美子 #布袋寅泰 #BOOWY

最近、忙しすぎてなかなか更新ができません。

前回のシナロケからの繋がりで山下久美子いきましょう。ベースの浅田孟とドラムスの川島一秀が参加している「1986」です。おまけに、ジャケットの写真を撮影したのも同じく鋤田正義。布袋寅泰が山下久美子のプロデュースを担当した3枚のスタジオ・アルバムの最初の1枚で、モノトーンのジャケットに象徴さ

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42枚目 シーナ追悼:SHEENA & THE ROKKETS「#9」(1987年)/この4人でしか出せないロックンロールのグルーヴが聴ける最後の作品

42枚目 シーナ追悼:SHEENA & THE ROKKETS「#9」(1987年)/この4人でしか出せないロックンロールのグルーヴが聴ける最後の作品

#jrock #80s #シーナ &ロケッツ #鮎川誠 #シーナ

シーナの訃報を最初に知ったのは、内田裕也さんのツイッターでした。あまりにも唐突で信じられなかった。20数年前、どっかの学祭でシナロケを見たとき、ステージ上から伸ばしたシーナの手とタッチして、鮎川の飛び散る汗を浴びた。そのときの強烈な存在感が頭をよぎって、喪失感が押し寄せてきました。長い間に亘って、ロックンロール・クイーンの名を欲しい

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