#5「ぶたうさぎ(後)」
14時半を少し過ぎたころ、占い館を出てしばらく歩いると、彼女がパンダまんなるものを見つけた。
見た目はかわいらしいパンダの見た目をしていて、中にはチョコカスタードがぎっしり詰まっている、このあたりの名物の一つらしい。
「かわいいー!」と、吸い寄せられるようにお店に近づいていく彼女についていくと、僕の目に杏仁ソフトクリームという文字が飛び込んできた。
僕は杏仁豆腐が大好きで、本当は今日のランチにも頼もうと思っていたのだが、腹痛のせいで見送ったことをひどく悔やんでいた。
どうしても食べたかった杏仁豆腐、そしてこれまた好きなソフトクリーム、この二つが組み合わさったら、どんなに美味いのだろう…
気づいたら僕は、彼女のパンダまんと一緒に、杏仁ソフトクリームを注文していた。
「わざわざ聞くことじゃないかもしれないけどさ」
「なに?」
「さっきまでお腹痛いって言ってたのに、なんでアイス食べてるの?」
軒先のベンチでアイスを食べていた僕の背筋に、電流が走った。恐ろしいことに、僕はつい数時間前まで腹痛に苦しんでいたことを、すっかり忘れていた。なんということだろう、あれほどトイレに駆け込んでいたのに。
何だか急にお腹が痛くなってきた気がする。焦り始めた僕を見る彼女は、呆れつつも、どこか楽しげで、美味しそうにパンダまんを頬張っていた。
そんな彼女から、いつの間にか僕は、目を離せなくなっていた。
彼女が、パンダまんを、上品に、でもしっかりと、頬張る。
ただそれだけのことなのに、何百年に一度の出来事のような、いや、やはり彼女がただ美味しそうにものを食べているというだけで。
でもなぜか、目を離せない。
そうしていると、どんよりとした曇り空も、不機嫌そうなこの店の店主も、舗装された道路でさえ、急にカラフルに見えてきた。
そうか、これが ―
四月は君の嘘の宮園かをりのセリフを思い出す。
「ねえ…」
しまった、見とれていた。絶対気持ち悪いって思われた…
「あ、いや」と僕が弁解しようとすると
「その、革靴、」
靴?足元に目をやると、いつの間にか手から滑り落ちたソフトクリームが、おろしたてのDr.Martenを覆っていた。
「嘘だろ…」
僕は、どこぞの真っ白な灰になったボクサーのように、がっくりと肩を落とした。
彼女は笑いをこらえながら、ティッシュを差し出し、
「ソフトクリーム、残念だね」
と言った。コーンから上は全て落ちてしまっていて、そのコーンの中にはほとんどアイスが入っていなかった。こんなスカスカのアイス見たことない。
いやアイスよりも、問題はマーチンだ。
憧れのマーチンを買うために乗り越えてきたバイト生活を思い出しながら、僕が靴を拭いていると、
「これ、半分あげるよ」
そう言って彼女がパンダまんを差し出してきた。既に3分の2は食べ終わっていて、一口分くらいしかなかった。
しかし、僕はその、食いかけをさらに半分に割ったパンダまんを差し出す彼女を見て、
完全に、もう完膚なきまで、
心底、惚れてしまったと、確信した。
「ありがとう」
そう言って受け取ったパンダまんを、僕は口に放り込んだ。
「あっ、ちょっと寄ってもいい?」
忌々しきベンチから離れ(ベンチは悪くない)、しばらく歩いたところに、韓国ドラマ関連のグッズの専門店があった。どうやらこのあたりは韓国に関連したお店が続いているようだ。
いわゆる韓ドラが好きで、特に「イケメンなんたら」にハマっていた彼女は、ところ狭しと並ぶグッズやプロマイドに目を輝かせていた。
「うーん、ないのかー」
先ほどから何かを探していた彼女が、うなだれて僕の方にやってきた。
どうやら、その「イケメン何某」に出てくる「ぶたうさぎ」とかいうぬいぐるみが欲しかったようだが、見当たらなかったらしい。
「絶対あると思ったんだけどね、」
先ほどより少しテンションの低い彼女を見ていると、胸が締め付けられる。
「あ、ほら、あそこで甘栗売ってる」
少しでも気分を明るくしようと、近くで売っていた甘栗を買って二人で食べた。この量でこの値段、確実に損してると思うのだが、この際それは気にしない。
そうこうしていると、軽く雨が降ってきた。僕らは先ほどの韓ドラグッズショップの軒先で、雨宿りすることにした。
本当に、今日はことごとくツイてない。
腹を壊し、占いでぼろくそ言われ、新品の靴にアイスをこぼし、挙句の果てには予報外れの雨が降ってきた。
その時、彼女の携帯電話が鳴った。彼女は電話に出て、しばらく話したのち、
「ごめんね、私間違えてバイト先の金庫のカギ持ってきちゃってたみたいで、これからお店行かなきゃいけなくなっちゃって…」
「あーそっか、えーと、それは…大変だね。それこそしょうがないよ」
これだけ不運が続いた、今日は解散ってくらいじゃ今さら驚かない。
終わった。2回目のデートで終わりか。
これだけ醜態を晒したらなあ、もう3回目は無いだろうしなあ。
だけど、俺の印象は最悪でも、少しでもいいから彼女には、良い思い出を持ち帰ってほしい。
考えた挙句、僕は彼女に
「ごめん、また腹痛くなってきたからトイレ借りてくる!」
と伝えて、韓ドラグッズショップに駆け込んだ。
駅に着いた。16時少し前。本当なら今頃、赤レンガ倉庫辺りのおしゃれなカフェで、お互いの親友の話でもしながら、コーヒーを啜っていたはずだった。
「ごめんね、急に帰ることになって」
「いいって、まあ俺の方こそ、今日は運勢最悪みたいだから、これ以上恥ずかしい所見せずに済んだし」
「あ、そうだ」
そう言って、僕はポケットの中のぶたうさぎを彼女に渡した。
「え!これどうしたの!」
「さっきトイレで戻った時に、偶然棚を見たら並んでたから、これで合ってる?」
「合ってる!欲しかったの!ありがとう!」
本当は、ダメもとで店員さんに確認したらあったというオチなのだが、それは心にしまっておく。
「もしかしてさ、占い師の言ってた”あなたの大切なものが見つかる”ってこのことじゃない?」
「いや、それはこれのことじゃないと思うよ」
「え?」
「あ、でもこれのこともか、そうだね」
彼女が何を言いたいのかはよくわからなかったが、そう言った時の笑顔が今日一番の笑顔だったので、僕までつられて笑顔になってしまった。
昔のことを思い出していて、髭を剃る手が止まっていた。
そんなわけで今日は何年ぶりの中華街なわけだが、おそらく彼女はあの人形のことなんて忘れているだろう。
そういえばあの辛口占い師は元気にしているだろうか。
「いつまでひげ剃ってんのー」
既に支度を終えて、玄関に向かう彼女が言った。
ふと彼女のバッグに目をやると、そこには、普段はつけていないものがぶら下がっていた。
ぶたとうさぎを合体させたような、変な組み合わせだけど、なぜか相性抜群の、かわいらしいぬいぐるみがぶら下がっていた。
僕は、ポケットの中の、メッキが剥がれかけたペンダントを、ギュッと握りしめた。
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