Takanori Fukuyama

🏘CPO at 91works,Inc. 🧑‍🔬CPO, Founder at Quant…

Takanori Fukuyama

🏘CPO at 91works,Inc. 🧑‍🔬CPO, Founder at Quantum Box, Inc. 🏂Snowboaiding in Niseko

最近の記事

trymeっていう新サービス完成しました!

現在は、ユーザー体験のフローの整理とonboardingの用意をしています。それが2日ほどでで終わるのでその後リリースします! さて、いま作り終わったtrymeのサービス設計思想について自分の頭の整理とともに書いていこうと思います。 機能面スキルツリーでの可視化 「GoやNextjsやってました!」のようなベーススキルだけでなく、それを使って何をしたのか、スキルをどう組み合わせたのか、が重要だと思っています。(これに関してはみなさん異論はないはず。笑)  プロフィール

    • 正しさ、疑念、模索、信念

      僕のやってることって正しいのか 正しい 間違ってない いくら障壁があろうがそれは必要なピース 僕のやってることが正しいかどうかじゃなく 世界を正しくする 世界はいま正しいか いや、絶対に間違っているんだ もし、僕が間違っているなら 世界が僕を殺すまで 僕はやめない。

      • VisionDesignerの役割

        UXとは、 ユーザー体験。広義に製品・サービスを使用する際の印象や体験。 であると思うが、 まあ、広い曖昧な単語だから色々あるだろうけど。 UX DesignとEntrepreneurを合わせたような "Vision Designer" を提案したいと思う。 というか僕はこれから少なくとも僕はそうする。 UXは、現在とわりと近い未来をみてユーザー体験を設計していくとしたら、Entrepreneurはそれよりも未来のことを創造していくようなものだ。 単

        • 他人に期待しないとは評価しないということ。それって無関心に近いのでは?

          ん、他人に期待しないと言うことは、 他人に興味がないことに近くないか? 好きの反対は興味がないことだから、その状態は人を好きとは言えない。 ぎゃくにどうせだめなやつだと思うことも他人を評価していることになる。 ってことは客観的な視点で他人を見ることはとでも難しいことではないか... これは難しい問題だ。 まあ、でも、、 そうゆうことなら今自分に必要なのは他人に興味を持たないことなのかもしれない。 であれば、しばらく人類を好きってことにして隣人を愛すのは放棄しよう。笑

        trymeっていう新サービス完成しました!

          人のことは好きであって良いが、自分主観の評価をしてはいけない。期待とは自己満足の塊。つまり無駄。

          最近期待してがっかりの繰り返し まあ、おれがかってに期待してるだけなんだけどね。 他人の評価を気にしないくせに自分は他人を評価するのがよくないと悟った それは一緒なんだから人を公平にみるようにしようとおもう。 また、他人に自分の作業を任せない。自分でやる。 いくら口でみんなのためにと言ってもそれが本当にだめになっているかどうかは本人しかわからない。ただ自己満足である。結果によって、ためになるかどうかかんがえる。 とかいうことを人にはいうくせに、自分が遵守していなかった

          人のことは好きであって良いが、自分主観の評価をしてはいけない。期待とは自己満足の塊。つまり無駄。

          敬語.

          敬語って素晴らしいものだと思う。日本の素晴らしい文化だし、素敵な敬語は遣うひとその人を引き立てる。 だからこそ、綺麗な敬語を使って欲しい。 敬語使うんなら綺麗な敬語つかえ。 おれは正しい敬語使える自信もないから使わない。 そもそも、敬意がない相手に敬語を使うことに意味を感じない。本当に敬意があるなら敬語以外のところで敬意を示せば良い。 逆に敬意を持っていないくせに敬語を使うのは間違っている。うわべだけだ。 人に対しての敬意はとても大切だし、時には人をたてることも大切

          軸となる価値観など存在しない。あるのは未来だけだ。そうだとしたら、今の好き嫌いの価値観はただの感情ではないのか。

          ぼくは先入観がまるでないから、普段の会話で違和感や気持ち悪いことだらけだ。 物事に対し簡単に価値観らしきものに従ってそれいい、それ悪い、などと評価をする。 しかし、そもそもそれあなたの価値観なのかということ。その認識はどこで培われたものかの判断ができないため、自分の価値観と捉える者が多いが、それはあなたの価値観ではない。 先入観という社会に縛られた 「空気」 という価値観だ。 あなたのものではない。誰のものではない得体の知れない怪しく不気味なものだ。 それを平気で信じ

          軸となる価値観など存在しない。あるのは未来だけだ。そうだとしたら、今の好き嫌いの価値観はただの感情ではないのか。

          コミュニティマネジメント.現在と過去には興味がない.

          居心地の良し悪しに関係するかわからないが、ぼくのコミュニティマネジメント。 コミュニティマネージャーは学びが多い。 コミュニティを現在で縛ってはいけない。 つまり、今の居心地のためにルールで縛るだったりとか、価値観を共有するとか。 チームは、未来に対して収束するものである。 ぼくは物事をどこかに収束させてシンプルにしていくことに価値があると感じているので、現在がバラバラでもなにも感じない。なぜなら将来あるべきところに収束すると思っているし、そのためにいくつもの布石を考え

          コミュニティマネジメント.現在と過去には興味がない.

          共感されたら、もうそれ、終わってるよ.

          共感されたら、終わり。 その時点で誰かが考えてる。 真にイノベーションを起こすには、 共感性が圧倒的に低い、非同調空間がそのものがなりたつのはおもしろい。 それそのものに、圧倒的に価値があり、個がより強調される。 それぞれが、自分の絶対的テリトリーを主張しながら、境界を曖昧にしていく技術が必要。 そうだね、ぼくたちがやっと気付き始めてる. 生まれてすぐ、情報が無限に手に入るっていう状態なんて考えられない 学校教育って、学問を学ぶ場であるはずなのに、教育というありと

          共感されたら、もうそれ、終わってるよ.

          +2

          概念としての光に上下はない、方向すらもない。人間が光にベクトルを与える

          概念としての光に上下はない、方向すらもない。人間が光にベクトルを与える

          +2

          共感性

          「人と人は分かり合える」っていうのがわりとぼくの受け売りだが、 ぼくと人は分かり合えないみたいだ。 この世界の今の景色は少し見飽きたな。 そろそろ別アングルで見たい、変化するときかもしれない。 さっさと今やってること形にして手放したい。 固めて手放せばビジョンが2、3年はぶれることはないだろう。 共感性は、ほんのひと時の間は人を幸せにするだろう。しかし、継続的にはない。 共感性幸福に重きを置いている人はシュガーのように、共感を重ねなければ持続的な幸せはない。

          問題の本質を見つける力を身につけないと課題が見つからない。あと、AIの話。

          欲しいものって今の技術で可能なのか? 難しいならば、社会を進歩させる必要がある。それは、包括的な世界の進歩が必要。 つまりほしいものを渇望するなら、あなたは直接的に、それに取り組むべきなの? できることを全てやるべきだ 求めている過程で満足なのか、それとも欲しいからそのためならなんでもできるのか、自分で区別すべきだ 今のテクノロジーで実現不可能ならば実現可能となるテクノロジーをも生みださなければならない。 それを自分でやるのか、待つのか、 いま、君がやりたいことは

          問題の本質を見つける力を身につけないと課題が見つからない。あと、AIの話。

          使っていきたい技術(随時更新)

          僕の好きな技術 何よりまず ・firebase ・React.js ・node.js ・Python

          使っていきたい技術(随時更新)

          やさしいかくめいラボで始まったこの議論「やさしさってなに?」

          やさしさってなに?? から始まった議論 この議論は意味があった。 僕も共感性が高すぎて気持ち悪いと感じていた。 まず、 よくあるのが肯定空間。 それは、〜だろ! そうだ! そうですよねー そうだと思います! ・ ・ ・ ってやつ。 あと、議論が二極化するやつ。 議論しようって言ってるのに感情が混じった発言して共感大会になる。 妙に共感性が高すぎる空間が形成されると、コミュニティの中にコミュニティが作られる。それが、多様性を阻

          やさしいかくめいラボで始まったこの議論「やさしさってなに?」

          他人に評価されないアイデンティティには自己肯定感は必要か。(随時更新)

          自分を何かで飾る必要はあるか。 このツイートでもあるように、旧時代の遺物に我らの世代が評価される必要なんてなない。 わざわざ、過去に沿って動く必要はない。 このように、旧時代の常識を常識とする社会の風習が今の時代を進歩させつつある自然な力に反し、ぼくたちの世代がそれをスケーラブルにしようとしている価値観を阻害していることが嫌だ。 みんなが味わっているような違和感や評価はすべて過去の人が自分に対しておこなった評価づけで、それ自体は個々のアイデンティティになり得ないが、

          他人に評価されないアイデンティティには自己肯定感は必要か。(随時更新)

          メッセージ

          昔から「なんで人間って死ぬのに生まれてくるんだろう」とか「みんなにひとりひとりの主観があるのがおかしい」とかそうゆう今考えても答えが出ないようなことを考えてた。だいたい、中学生くらいの時からだったと思う。 物理学を研究してその究極理論が分かれば演繹的にすべての問題が解決すると思ったし、見たことのない世界が見れると思った。だから、物理学をやっていこうと思った。 今もそうだけど昔から他人の感情とか、人の気持ちとかに共感することがものすごく苦手だし、そもそも他人に興味がないか

          メッセージ