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共感性

「人と人は分かり合える」っていうのがわりとぼくの受け売りだが、

ぼくと人は分かり合えないみたいだ。

この世界の今の景色は少し見飽きたな。

そろそろ別アングルで見たい、変化するときかもしれない。

さっさと今やってること形にして手放したい。

固めて手放せばビジョンが2、3年はぶれることはないだろう。

共感性は、ほんのひと時の間は人を幸せにするだろう。しかし、継続的にはない。
共感性幸福に重きを置いている人はシュガーのように、共感を重ねなければ持続的な幸せはない。
共感が共感を生み、また共感を生む。

世の中に共感は尽きない。

であるならば、そのような幸福もまた、持続可能であると言えるかもしれない。

他人との相対的評価は、人を相対的に幸福にも不幸にもするギャンブルだ。

出会いはご縁という言葉は、出会いはギャンブルと同等であるから、結局他人との相対的な価値観で自分のアイデンティティを確立する人が幸せになるかどうかもギャンブルみたいなもんだ。楽しそうだ。

感情的に、浮き沈みするような生き方は実に人間らしい。
素晴らしい。

共感性が低く、他人に評価軸がない人は幸せだろうか?彼らはコミュニケーションが苦手だろうか。

もっとより深くあろう。

人にわかりやすく伝えるために、話をわかりやすく抽象的に話す癖がついてしまったのと、
そもそも日本語に興味がないため、自分の思考を表現するための語彙力がない。
そのため、つまらない文章になってしまった。

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