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30年前の阪急京都線へタイムスリップ

 30年前には、少し京阪直通優先の思想が緩和され出す時期です。ライバルのJR京都線は、高槻駅に新快速を止めるようになります。ただしこれは日中のみでした。そのため阪急も平日の日中ダイヤをかなり変更します。

15分サイクル→20分サイクルに

 元々、特急(3駅停車)を20分毎にし、代わりに急行を10分毎に増発します。また、普通もこれに合わせて、京阪間直通普通が10分毎です。これ以外に地下鉄直通普通が20分毎に運転されることになりました。
 これは、中間に住む我々には朗報でした。しかし、利用者の少ない平日日中に限ってのことでした。
 この大きな変化を見てみましょう。特急と急行の関係から見ていきますと上りは必ず、待避が発生することになりました。なお、15分サイクルのときは下りで待避していましたが、しなくなりました。普通は、茨木市・長岡天神で急行を待避をすることで、中間小駅にも恩恵をもたらしました。

朝夕ラッシュ時・日祝ダイヤ


 このダイヤは依然とほぼ同じで代り映えしません。15分サイクルのダイヤで、梅田ー河原町で特急・急行・普通が15分に1本ずつで追加で、堺筋線直通普通が高槻市まで、梅田ー北千里の普通が15分に1回入るダイヤでした。中間小駅の不便は変わらないし、ノロノロ運転の下りダイヤも同じです。
 唯一の救いは、上り(京都方面)の高槻市駅高架化完成で待避設備が復活したことで急行と普通の接続が取られるようになったことで、周辺小駅→京都方面は便利になりました。というか戻りました。
 朝ラッシュ時も、通勤特急(15分毎)・堺筋急行(30分毎)・準急(茨木市→梅田30分毎)は運転されているのは変わりません。
 なお、夕ラッシュ時は茨木市で堺筋急行が通勤特急に抜かれていました。これにより、長岡天神や桂は、高槻市でこれらに乗り換えると結構利便性は高かったです。

使用車両


 この頃には随分と変わりました。15分毎から20分毎に減らされた特急はその専用車両の6300系に運用の余裕ができ、急行にも使用されました。
 急行の使用車両も堺筋線直通電車にも大きな変更が生じています。堺筋線では利用客の増大から6両編成をを8両編成に増やすことを行っています。そのため3300系は6両編成ばかりだったのが8両編成も登場しています。そこで、急行にも使用されるようになっています。ほぼ、堺筋線と急行は共通運用化され、当時最新の8300系・7300系・5300系・3300系と古参まで活躍するようになりました。ただ、この時も京阪間直通普通は、8両編成では運転されておらず、共通運用にはなっていません。

この時期までは、ほぼ普通での運用が多かった3300系は優等運用にも入るように


堺筋線の延伸


 1993年に、堺筋線は動物園前→天下茶屋に延伸されます。これに合わせてというわけではありませんが、大阪市営地下鉄の66系が増備されているところでした。当初は、60系という阪急と堺筋線乗り入れ当初の車両の置き換えが目的かと思われていましたが、60系も冷房改造されたり、組み換えにより8両編成も誕生させたり結局はギリギリ21世紀にも残りました。最初の頃の車両は天下茶屋延伸分の増備車両と6両編成から8両編成にする不足車両の補充という意味合いが強かったようです。

非冷房時代の60系。筆者自身も非冷房時代の乗車経験あります。夏は避けたい車両でした・・・


まとめ


・急行が10分毎に運転は、かなりインパクト。
・急行と堺筋線直通電車は共通運用に
・以前の不便なダイヤは多くの時間帯で残る
 

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