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【おうちごはん】何気ないごはんの時間が光を放つとき

今から思えば、食卓での父はそこそこ厳しかったのかもしれない。

家族そろって席につき、いただきますの挨拶をする。食事中はどんな話をしたのかあまりはっきりと記憶にないが、その時々の学校生活のことを話していたのだろう。父のことが大好き!だったわけではないが、最低限の会話はする、という思春期だった。

食後のごちそうさまも忘れてはならない。
忘れたら少し咎められる、くらいのゆるさではあったけれど、それなりに厳しかった、と認識しているのだから、完全に気を許せる食卓であったかどうかはわからない。

生活時間がバラバラな家族が唯一同じ時間を共有するもの、それが食卓。

家族とごはんを食べる、という行為は、それが当たり前の日常でなくなった瞬間に少しずつ過去のものになっていく。

当時はみんな一緒にご飯なんて同じことの繰り返しでちょっと鬱陶しいなぁと思うことも多々。誰もが通る反発したい気持ちに覆われていた時期もあった。

大人になり家庭を持ち、子どもに恵まれ、ともに食卓を囲むようになると、あぁそういうことだったんだ、と実感できるようになる。

親が子どもに伝えたいことが、本当に子どもに伝わるには時間を要する。
親が贈ったときと、子どもが受け取るときは同じではない。

その時には何の色も備えていなかった場面、光を放つことがなかった瞬間が、数十年の時を経て、じわじわと色味と深みを増していく。

私が父と同じような立場になって初めてわかることがたくさんある。
父が他界して3年。
すでにこの世にいない父からの贈り物は今もなお続いている。


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noteでは、ブログでは書ききれない想いを短いエッセイで綴っています。

・プチ栄養学
・おうちごはん
・ライフスタイル

の3つの視点から、子育てのことやちょっと役立つ栄養のお話、ママの働き方、将来に想うことなど自由に書いていきます。

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